夢を叶えた大人は、どれくらいいるのだろう?
 立ち寄ったコンビニエンスストアの、レジ横に大きく飾られた七夕飾りの短冊たちを前に、ぼんやりと考えた。
 アイドルになりたい、ゲームソフトがほしい、まゆちゃんとずっとお友だちでいたい、北海道のおばあちゃんに会いにいきたい、弟がほしい。お金持ちになりたい。子どもたちのさまざまな夢が、拙い字で書かれている。
 わたしの幼いころからの夢は、作家になりたい、だ。心がきゅんきゅん疼くような恋愛小説や、どこかに駆けだしたくなるような青春小説をたくさん書いていきたいと願っていた。授業中はノートにプロットや掌編を書きちらし、休日は憧れの作家の作品を読み耽ってプロとのレベルの差に打ちのめされたものだった。
 その夢は四十六歳になるいまも、叶っていない。
「あのー、袋入れますか?」
 店員に訊かれ、我に返る。「要りません」と答えて会計を済ませ、店を出た。
 むっとした熱気が体を包む。七月に入ったばかりだというのに、もう真夏のような暑さだ。澄んだ空には入道雲が膨らみ、梅雨明けしたばかりとは思えない、ドライヤーを吹き付けるような風が頰を撫でていった。風の先を見れば、道路わきのイチョウの葉が日差しを受けて青々としている。少しだけその青さを眺めていたわたしは、車に幼馴染を待たせていることを思いだし、慌てて車に駆け戻った。
「ごめん! お待たせ、美景」
 声をかけ、ドリンクホルダーに美景の分のミルクティーのペットボトルを入れる。それから、自分用の黒豆茶のキャップをあけた。
「もうすぐ七夕なのねえ。店内に笹が飾ってあってね、たくさんの夢が結ばれてた。お金持ちになりたいってのがあってさ、もうそのお願いごとは鉄板だよね。わたしたちが小学生のときも、男子が絶対に書いてたもんね。どれくらいのひとが、あのとき書いた夢を叶えたのかなあ。その点、美景は夢を叶えたよねえ。文芸の編集者。叶えたどころか、紫芝文学賞の受賞者を育てたんだから、大成功だ」
 冷たいお茶で喉を潤し、息を吐く。ふ、と美景が鼻を鳴らした。
「あれは、あたしの力じゃない。彼のがずば抜けて素晴らしかっただけよ」
 十年前のことだ。デビューから二年、三作目で有名な文学賞を受賞した若き作家は、『この世界はもう分かった』と言ってあっさりと筆を断ち、実業家に転向した。才能を惜しむひとたちがずいぶんと引き留めたらしいけれど、彼は戻ってきていない。
 美景は、そんな彼の担当編集者だった。
 わたしは、受賞した作品よりも、彼のひとつ前の作品の方が断然好きだった。一体どこへ行くのかと不安になる転調の繰り返しが、出口も安全バーもないジェットコースターに乗せられているようで、心が酷く振り回された。その影響は本を閉じてからも続き、夢にまで纏わりつくほどだった。そんな力のある作品を名作だと言わずして何と呼ぶのだろう。しかしこの作品は、いわゆる〝評価〟は受けなかった。わたしの記憶が確かなら、重版もかからなかったはずだ。
 三作目は受賞するだけあってもちろん面白かったが、しかし二作目に比べるとその魅力は減っていた。出口も安全バーもきちんと用意されているように感じたのだ。
 彼もインタビューで『二作目の方が自信作だ』と語った。
『担当編集さんと死ぬ気で作り上げたんです。そんな、いまでも最高だと思っている二作目が見向きもされなくて腹が立った。だから今回の受賞作は、あえて賞を狙ったものにしたんです。これまでの傾向や選考委員それぞれの好みを自分なりに分析したうえで書いた。はっきり言えば受験用の作品って感じで、思い入れは特にないですね。え? 逆に、受賞どころか酷評を喰らってたら? そりゃ当然、書き続けることを選びましたよ。自分の感覚が文学からズレているんだと、必死にもなったでしょう。本音を言うと、そうなるものだと期待していたんですが、あっさり受賞だもんな。思い通りにいき過ぎて残念ですよ』
 賞や選考委員を小馬鹿にするようなインタビュー記事は、当然のごとく炎上した。作家だけでなく、彼を担当した美景も引き合いに出された。最後には選考委員の作家のひとりが『作家を過剰に持て囃し、勘違いさせた担当編集者の罪は重い』と名指しで非難したほどだった。
「夢を叶えても、楽しいことばかりじゃなかった。あのね、彩也子。何でも、憧れて追っかけているうちがしあわせなのよ。人間っていう生き物は、天国に行っても不満を覚えるものなんだよ」
 美景はいつも、少し小さな声でゆっくりと喋る。音を届けるためか顔をそっと寄せてくる癖があって、それがふたりだけの秘密の会話をしているような気持ちにさせる。そして、彼女はうつくしかった。ぬばたまのような綺麗な黒髪に、同じく黒が濃い、物言いたげな大きな瞳。学生時代は、綺麗でミステリアスな女の子だと、男女問わず多くのひとから好意を持たれていた。保育園のときから一緒で、親友のポジションにいたわたしはそれが自慢で、そして誰よりも強く、美景に憧れていた。
「幻滅することもある、かもしれないね。でも、わたしはそれでも夢を叶えたい」
 言葉を選ぶようにして言うと、美景は今度は鼻を鳴らさなかった。
「さ、行こうか。おばさんたち、きっと待ちくたびれてる」
 美景がシートベルトをしているのを確認して、車を発進させた。
 わたしたちはいま、互いの地元である小さな田舎町に向かっている。わたしがいま住んでいる町から車で三時間ほどで、遠いといえば遠いけれど、移動に困難というほどの距離ではない。美景は、大学進学を機に家を出て以来、ほとんど帰っていなかった。心配性な母と厳格すぎる父の両方と、ソリが合わなかったのだ。反してわたしは頻繁に帰省していて、スーパーなどで美景の母と顔を合わせることもあった。少しずつ年を重ねていく彼女はいつもわたしや子どもたちを眩しそうに見て、『美景は元気にしてるのかしら』と娘によく似た口調で呟いた。
「夢といえばさ、わたし、美景とこうしてドライブするのも夢のひとつだったんだよね。大学時代ならどうにか行けたと思うんだけど、お互い車を持ってなかったもんねえ。でね、どちらかが手ひどい失恋をして、真夜中に海に向かって車を走らせるの。BGMはもちろん、SUGAR SOULと降谷建志の〝Garden〟ね。覚えてる? あの当時わたしがずっと聴いてたあの曲よ。美景が『いい加減聴き飽きた!』って怒ったあれ。あとね、夜ってところが大事なの。だって、明け方に到着して、日の出を眺めなきゃいけないじゃない? あー、そういうことがしたかったなあ。海に向かって『バカやろー』って叫んだり、裸足で砂浜走ったり……っていくらなんでもベタすぎか。こんなの、小説のエピソードにも使えないよね」
 隣の美景が小さく笑った気がした。美景はメッセージのやり取りでは饒舌だけれど、わたしと一緒にいるときはあまり喋らない。わたしがお喋りだということもあるけれど、美景はわたしの話を聞くのが好きだと言ってくれる。彩也子のお喋りは心地よいラジオみたいで、眠るまで聞いていたい、と。そう言われたのは十代のころ。大昔のその言葉を、わたしはいまも信じて喋る。
「もしあのころ、レンタカー借りてでも砂浜を走る夢を叶えていたら、いま『あのときはこうだったよねー』とか盛り上がれたわけじゃない? 思ったより海が汚くてがっかりしたよねとか、砂浜走って足の裏を怪我して大変だったねとか、そういう嫌なことがあったとしても、これだけ時間が経ってれば笑い話になる。夢は、叶えなきゃその先の話ができない。あー、砂浜、ほんっとうに走っとけばよかったなあ! わたしはさ、美景とわたしたちの夢が叶った後の話がしたいよ。いまもそう思ってる」
 ハンドルをバンバン叩いて言った。
 わたしは作家に、美景は編集者になるのが夢だった。中学生のころには、『いつかふたりで最高の小説を作ろう』というのが共通の夢になった。文学賞受賞作やヒット作を読み合っては意見交換をし、わたしは掌編を書いたらまっさきに美景に読んでもらい、プロットの段階で相談することも多々あった。わたしよりも読書好きな美景はさまざまな作品を引用しながらアドバイスをくれて、思えばあのときから美景には編集者としての才覚が芽生えていた。
 わたしたちは同じ高校、同じ大学に進学し、恋人を作ったり夢を同じくする友を増やしたりしながら共に大人になっていった。
 どの時期も楽しかったが、大学生のころは特に充実していたように思う。実家から離れた都会で、わたしは飲食店でアルバイトをしながら小説を書き、公募に出し、当時流行していたケータイ小説にもチャレンジしていた。公募こそ揮わなかったが小説のサイト内ではそこそこの人気を得て、ランキングの常連だった。そして美景は、出版社の雑用アルバイトをし、先輩編集者たちからいろんなことを教わっていた。有名作家の知られざるエピソードや編集者あるあるを仕入れては教えてくれて、それはわたしたちの次なる世界の入り口がすぐそこにあるようで胸が高鳴ったものだった。
 しかし就職して間もなく、わたしの状況が一変した。当時交際していたみっつ年上の恋人――一貴の子を妊娠してしまったのだ。避妊には気を付けていたはずなのに、と後悔しても取り返しはつかない。人生計画を大きく変えることになるけれど、わたしも一貴も堕胎は考えられなくて、子どもの命を最優先して結婚することに決めた。
 親よりも先に、美景に報告した。ふたりでよく通ったファミレスでのことだった。妊娠と結婚を告げると、美景の顔がはっきり曇った。
『彩也子。子どもなんて産んでて、作家になる気あるの?』
 冷水を浴びせられたような気がした。
『一次に通るのもやっとなんだよ? いまは、小説に注力すべきなんじゃないの? そんなときに子どもって……、そっちに時間と労力が割かれるのは分かり切ってるよね』
 美景の声が冷え切っている。手放しで祝福してもらえるとは思っていなかったけれど、想定以上に美景は怒っていた。
『あたしは念願の出版社に採用されて、いまが勝負どきだと思って働いてる。余計なことを考えないために、彼氏とも別れた。彩也子にそれを強要するつもりはなかったけど、でもあたしはそういう覚悟を持ってるってことを言っておけばよかったね。いや、言わなくても分かってくれてると思ってた。それがまさかこのタイミングで子どもなんて、信じられない。あり得ない』
 普段の美景からは考えられないほど、強く言葉をぶつけられた。
 無意識に震えが起き、『でも、でも、堕胎なんて考えられない』と小さく答える。そんなわたしに、美景は切りつけるように『あたしはいま、命のことを喋ってない』と言った。
『彩也子の言っていた夢ってこの程度だったんだって見下げてるだけ』
 何も言い返せなかった。気を付けていたつもりだった、なんて言ったって意味がない。だって、妊娠してしまった以上どこかに油断があったのだと自分自身が思っていた。作家になるという確固たる意志があれば、もっともっと気を付けるはず。長い付き合いの美景は、そんなことくらい察しているはずだ。
『長い付き合いだから、おめでとうくらいは言うべきなんだろうけど、できそうにない。いまは、夢に対する思いのズレを知ったショックの方が大きいの』
 席を立った美景は、『あたし、ひとりでも夢を叶えるから』とわたしを見下ろして宣言した。
『彩也子は彩也子なりの人生を歩みなさい。じゃあ、さようなら』
 ヒールの音を響かせて去って行く美景を追うことはできなかった。語り合った時間がそのまま、自分が手放したものの大きさなのだという事実だけが、重たくのしかかっていた。
 それ以来、美景との縁が切れた。
 結婚し、息子を産んだ。翌年、ローンを組んで新築の建売住宅を買い、二年後に娘を産んだ。教育費とローン返済のために書店で正社員として働きだしたのは娘が三歳になってから。ふたりを保育園に送迎しながら働く日々は、忙しかった。それでも、時間をむりやり作って執筆した。年に一度は公募に出すという課題を自ら設け、多い年には二作を書いた。
 意地だった。子どもを産み育てようとも作家にはなれるという証明をしたかった。どんな状況でも世に作品を送り出している作家はいる。世の中には仕事と母親を両立している女性はごまんといる。わたしだってできるはずだ。
 そして、作家として美景の前に立ってやる。何らかの賞をもらい、作家のスタートを切れば、美景も見直してくれるはずだ。あのときは言いすぎたと謝ってくれるはずだ。いや、謝れと迫ろう。そして美景が心から謝罪してくれたら、そのときわたしは、簡単にわたしを切り捨てた美景を許してあげよう。
 しかしどれも、二次止まり。たった一度だけ、三十一歳のときに最終選考まで残ったけれど、受賞は叶わなかった。そのとき選考委員から圧倒的な支持を受けた受賞者はデビュー作以降執筆しておらず、数年後にそれを知った夫は『てことは、あの年はレベルの低い回だったんだな』と笑った。そのとき夫は晩酌が進んで酔っていて、妻が顔色をなくすほどの失言だとも気付かず、暢気な顔をしていた。
 交際はじめのころ、彼はよき理解者だった。わたしの一喜一憂に寄り添おうとしてくれた。結婚出産してからも、わたしの執筆活動に口を出すことなく見守ってくれた。そんな、誰よりも近くでわたしの執念を見ているはずの彼でさえ、わたしの現状を簡単に笑う。結果が出ないとは、こういうことなのだ。
 であれば、美景は――。
 美景は二十六歳のときに、編集者として表舞台に現れた。担当した作品がヒットし、作家と共にテレビに出演して創作秘話について語ったのだ。美貌にいっそう磨きのかかった美景は、『美人編集者』として話題になった。それからもいくつもの人気作品を手掛け、中には映像化されるものもあった。編集者人生として順風満帆といえるだろう。
 そんな美景がいまのわたしの状態を知ったら。いや、美景はもうすっかり忘れたに違いない。作家になりたいという夢を熱っぽく何度も語ったくせに、あっさりと人生をシフトした女なんて、覚えている必要がない。もし思い出したとしても、そのときに美景が抱く感情はきっと、うつくしくないだろう。なおも酒を飲む夫から少し離れ、こっそりと泣いた。そんな情けない夜があっても、小説を書くことはまだ、やめられない。
 日差しがあまりに強いので、車内が暑い。「暑いねー」と言ってエアコンの温度を一度下げた。
 平日の昼間だからか、道路はさほど混んでいなかった。高速道路の入り口までもう少しというところで、信号が赤になった。近くに保育園があるのか、小さな子どもたちを乗せたワゴンを数人の保育士が押しながら横断していく。お揃いの黄色い帽子を被った子どもたちが、ワゴンの中からこちらに向かって手を振ってきた。紅葉のような小さな手は、ふくふくしている。三つ編みに青いリボンを結んだ女の子が、笑っている。自分の子どもたちの小さなころを思い出し、手を振った。
「子どもはいらない」
 ふいに、美景が言った。
「茂徳とふたりきりで、完結してる。子どもを持つことで起きる不幸なんて、いらない。そう思ってたの」
 茂徳とは、美景の元夫だ。美景は三十八歳のときに夫の子を堕胎しており、それが彼と別れた大きな原因だった。
 妊娠が分かって間もなく夫の茂徳さんが交通事故に遭い、生死の境を彷徨った。万が一助かっても何らかの障害が残るだろうと医師から告げられた美景は、彼を支えるために子どもを諦めた。
 しかし事故から奇跡の生還を果たした茂徳さんは、美景を責めた。おれの命が消えようとしているときに、お前はおれの命を未来へ繫ぐ者を殺めたんだ、と。
 わたしはこれを、美景のブログで知った。

(続きは本誌でお楽しみください。)