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パチンコ屋のホールには、時間が流れていない。獲得した玉やメダルを景品に交換するカウンターには時計が置かれているが、遊技台が立ち並ぶホール内には設置されていない。窓の外を見れば朝昼晩の移ろいを感じられるが、パチンコ屋で窓の外を見ているのは暇を持て余した年寄りか、終業時間を待ち侘びている従業員くらいだ。
当然、季節もない。カウンターでは季節に応じた景品が用意されたり、凝った装飾が施されたりしているが、ホール内に季節の変化は訪れない。エアコンの人工的な風によって、一年中一定の温度を保っている。夏だろうが冬だろうが、太陽の動きに関係なく開店から閉店まで店内の照明は燦々と輝き続けている。
新台入替や台の配置変更は定期的にあるが、乱暴な言い方をすれば、パチンコ屋のホールは一年中ずっと変わらない。そこがいい。酒のように寂しさや虚しさを紛らわせてくれるのではなく、時間の流れない空間にいると孤独が凍結される。享楽的な喧騒に満ちた空間は、心に静寂をもたらしてくれる。
田中謙佑は駐輪場に原付バイクを停め、ムーンビームの入口に向かった。店名の意味は英語で「月光」だ。毛並みが金色の熊のマスコットキャラクター、ビームくんの巨大なぬいぐるみが入口前でにこやかに鎮座している。自動扉をくぐり、店内に足を踏み入れた。有線の音楽と様々な台の音が押し寄せてくる。迷うことなく4円パチンココーナーへと足を運び、目に留まった台の上に設置されたデータランプを確認する。過去の大当たり回数など、その台のデータが蓄積された薄型の液晶だ。データランプの履歴や盤面の釘の具合を一台ずつ吟味してから遊技する台を決めるユーザーも多いが、パチンコにそこまで勤勉な態度で臨む気にはなれない。直感に従ってそのまま、椅子に腰を下ろした。
新世紀エヴァンゲリオン〜未来への咆哮〜。未来と書いて「あす=明日」と読む。ヤンキー的発想だ。財布から一万円札を取り出し、サンドに投入する。台の左横に設置された縦長の機械だ。台の貸玉ボタンを押すと、上皿に125玉流れてきた。台に備え付けられたハンドルを握り、心の中で「発進」と号令を掛けて遊技を開始する。
パチンコは至極単純なゲームだ。金を払うと、鈍色の玉が台の上皿に流れてくる。レートは最大で一玉4円、薄利多売な店だと一玉0.1円なんてこともあるが、大抵の店は4円パチンコと1円パチンコの二レートを用意している。
掌に収まる大きさのハンドルを捻れば、ハンドルに触れている間は上皿の玉が次々と自動で台の中を飛んでいく。一分間につき100玉、台の盤面に刺さった釘にぶつかって何度も軌道を変えながら、最期は盤面の一番下の闇の中へと消えていく。時々、盤面の中央下部のヘソと呼ばれる穴に入れば、台の液晶画面が抽選を開始する。1~9までの数字が三つ揃えば大当たり、揃わなければハズレだ。抽選が当たる確率は、機種のスペックによって決まっている。田中が打っているエヴァはミドルタイプと呼ばれ、確率は1/319だ。では、319回ヘソに玉を入れれば一回は必ず当たるのかと言えば、そう甘くはない。クジが319枚入った箱をイメージして欲しい。当たりクジがその中に一枚だけある。パチンコを打ってヘソに玉が入れば、このクジを一回引くことができる。ところが、商店街のクジ引きと違ってパチンコが恐ろしいのは、引いたクジを毎回箱の中に戻す点だ。1/319、1/318、1/317……といった風に、クジを引けば引くほど当たりを引く確率が上がれば楽勝だが、パチンコ屋のホールが常に一定の温度を保っているように、パチンコの大当たりの確率は常に一定、田中が打っているエヴァの場合、ヘソでの大当たり確率1/319が変わることはない。台や店によって千円あたり何回ヘソに玉が入るかは異なるが、このエヴァはどの店でも大体、15~20回程度の体感だ。千円使って、毎回1/319のクジ引きを精々20回引けるだけ。冷静に考えると血の気が引くが、真の恐怖とは、4円の価値を持つ玉が次から次へとヘソに入らず暗黒に消えていくのを見ても、何も感じないことだ。十九歳でパチンコを打ち始めた当初は一玉一玉の軌道を目で追って一喜一憂していたが、二年経った今では左手でスマートフォンをいじりながら打つ始末。人間の慣れとは、つくづく恐ろしい。
などと述懐している間に、早くも一万円が無くなった。追加の一万円札を投入する。
スマートフォンを仕舞い、台の音量と光量を上げる。シンジ、アスカ、レイ、ゲンドウ、ミサト、カヲル、加持リョウジ、使徒、エヴァ。みんな知っているが、何も知らない。アニメは一度も観たことがない。『シン・ゴジラ』も『シン・ウルトラマン』も『シン・仮面ライダー』も観ていない。庵野ヒデアキだったか、ヒデタダだったか。田中にとってエヴァは根強い人気を誇るアニメではなく、パチンコ台だ。
筐体の右側に付いているレバーのランプが白く光り、レバーが振動した。レバーがブルブルと震えることから「レバブル」と呼ばれる激熱演出だ。このエヴァはレバブルがなくても割と当たる印象だが、レバブルが来たからには熱い。白レバブルの大当たり信頼度は、カスタム中で90%だ。脳味噌の中心がきりきりと締め付けられるような感覚に襲われる。
液晶画面が赤く染まり、アラーム音と共に「警報」の二文字が映し出された。アニメーションが始まり、初号機と第14使徒ゼルエルが戦闘を繰り広げる。熱い演出だ。
――はあああああ!
シンジの台詞が赤く染まっていた。脳味噌のサイズがクルミほどの大きさまで締め付けられる。画面全体が金色に煌めき、黄金に輝く文字と共にシンジが雄叫びを上げる。
――A.T.フィールド 全開
初号機が、使徒を撃破した。画面に大きく真っ赤な3が表示される。見事大当たり、おまけに3図柄だからST確変ゲットだ。クルミ大に硬く縮こまっていた脳味噌が爆発的に膨張し、一気に快楽物質が溢れてきた。まさに脳汁だ。
パチンコで重要なのは、どれだけ連チャンできるかだ。1/319の大当たりを引くのは、スタートラインに立ったに過ぎない。そう分かってはいても、それまで固く扉を閉ざしていた台に全身全霊で大当たりを祝福されると、玉虫色の脳汁は臆面もなく溢れてくる。画面が極彩色に煌々と光り輝き、台詞や音楽が大音量で流れ、台の中に備え付けられた役モノと呼ばれる可動式のギミックが液晶画面を遮ってド派手に動く。その多幸感は、パチンコでしか味わえない。
初当たりを消化し終え、IMPACT MODEに突入した。これまでは盤面中央下部のヘソを狙って玉を打ち込み、1/319の確率で大当たりだったが、今からはヘソではなく盤面右下の電チューと呼ばれる場所を狙って玉を打つ。ヘソと違って電チューには玉がバカスカと入り、持ち玉が減ることはない。おまけに、電チューに玉が入って行われる抽選の大当たり確率は、163回限定で1/99にまで引き上がる。163回のうち、一度でも抽選に当たれば、大当たり継続だ。大当たりの継続率、すなわち毎回1/99の確率で当たるクジを163回引いたとき、一回でも当たりクジを引ける確率は? 163回全てハズレを引く確率――98/99の163乗を求めて、100%から除けばいい。インド人でも暗算で解けないであろう数値だが、この台を打ったことのある者なら全員が即答できる。継続率は、81%だ。
画面の中では、EVA初号機が街中を疾走している。唐突に、黄金の777が揃った。
ギュイッ、ギュイッ、キュイーン!
甲高い音が鳴り響いて二度目の大当たりが決まり、田中は深々と息を吸い込んだ。
2
獲得した二万二千発の出玉をカウンターで特殊景品に交換した。トランプより小さな平べったいプラスチックのケースで、中に金が入っている。本物かどうかは知らない。ケースが緑色の景品を十五枚とオレンジ色の景品を三枚受け取り、店を出た。今しがた手に入れた景品の種類とそれぞれの買取金額を壁に貼った、小屋のような建物がすぐ目の前で営業している。一部のラブホテルの受付のように、中の人間の姿は見えず、手許の辺りに景品や金を授受するための小窓が設置されている。
景品は七万八千円で買い取られた。半年前までやっていた業務スーパーの深夜のバイト代一ヶ月分を上回る金額だ。口許を綻ばせ、何度も枚数を数えてから、財布に仕舞う。
喫煙ブースで勝利の狼煙を上げるため、再び店内に入った。最短距離で喫煙ブースに向かおうと、1円パチンココーナーを横切る。
「ちょう、お兄ちゃん。お兄ちゃん!」
背後から腕を摑まれた。咄嗟に振り返ると、色の薄いサングラスを掛けた八十代と思しき女が椅子から腰を浮かせ、必死の形相をしていた。
「おしっこ! 代わりにお願い!」
女が台を顎で指し、口早に言った。見れば、大当たりの真っ最中だった。
「ああ、オッケー、オッケー。いいですよ」
明るい声で応じた。女に代わって台のハンドルを握り、玉を打つ。女が田中の肩を叩き、早歩きでトイレへと向かった。女の席に坐るのも憚られ、中腰になって台を打つ。
パチンコは大当たりを引くと、普段は横長の長方形の板で塞がれているアタッカーと呼ばれるポケットが開き、そこに打ち込んだ玉数に応じて報酬の玉が払い出される。アタッカーは一定の時間が経過すると、たとえ一玉も入っていなくても閉じてしまう。普通に打っていれば何の技術や苦労もなくアタッカーに玉は入るが、不測の事態で玉を打つことができなかった場合、折角苦労して大当たりを引いたのに殆ど玉を獲得できなかったという悲劇に見舞われてしまうのだ。
無事に大当たりを消化し終えると、女が戻ってきた。
「いやあ、ありがとうねえ、お兄ちゃん。ホンマ助かったわ」
しわがれた声が言った。メイクはしておらず、麦藁帽子みたいな色と水分量の肌をしている。垂れ下がった小鼻と薄い唇、色の薄いサングラス。白と黒が混じった髪を肩まで伸ばし、真ん中で分けている。服装は花柄の赤いレディースジャケットと黒のパンツ、インナーは黒のタートルネックだ。全体的な雰囲気が、オジー・オズボーンによく似ていた。人間はある年齢を超えると、性別の垣根が消えることがあるらしい。おばあみたいなおじい、おじいみたいなおばあ。オジーみたいなおばあ。
くだらないことを考えていると、おばあが上皿の玉を無造作に摑み、空いている右隣の台の上皿に流し始めた。
「ほら、お礼や。打ち、打ち」
「いや、大丈夫ですよ」
「何が大丈夫やの。遠慮せんでええから。打ち、打ち」
遠慮ではなく、興味がない。おばあが打っているのは、略称で「海」と呼ばれる人気シリーズだ。海を舞台にしたシンプルな演出が特徴で、1~9の図柄にそれぞれタコやカメやジュゴンやカニなど、海の生き物達が充てられている。大当たりの確率は「甘デジ」と呼ばれる1/99で、当たりが軽い代わりに当たっても獲得できる玉数は少ない。いわば、ローリスク・ローリターンの台であり、おまけにレートは1円パチンコだ。ハイリスク・ハイリターンの4円パチンコを打ち慣れている身からすると、今一つハリがない。
「ほな、お言葉に甘えて」
煙草を吸いたい衝動を堪え、腰を下ろした。エヴァで大勝ちして気分がいい。それに、食指の動かない台であっても、他人の金で打てるなら暇潰しには悪くない。
「俺、初めて打ちますわ、海」
「ホンマに。私は逆に、これしか打たへん」
歴史の長さと演出のシンプルさが理由か、海の台が立ち並ぶ1円パチンコの島には殆ど年配者しかいない。若くても、四十代だ。
しばらく、肩を並べて無言で打った。おばあに分け与えられた玉が底をつく。すぐに席を立つのも何となく悪い気がし、財布から千円札を取り出してサンドに投入した。
「あんた、ようけ金入ってんなあ。生意気やわ、腹の立つ」
おばあが目敏く財布の中身を盗み見て言った。内容とは裏腹に、おばあの声はジャニス・ジョプリンの曲を歌わせたくなるような艶っぽいダミ声だと気付いた。
「玉、あげなんだら良かった」
「徳を積んだっちゅうことで」
おばあは返事をせず、チャンボを叩き始めた。チャンスボタン、略してチャンボ。台の中央に備え付けられた掌サイズのボタンで、演出に応じて押すためのものだ。パチンコはヘソに玉が入った瞬間、その抽選が当たりかハズレか即座に決定される。だから、どんな激熱演出が画面上で繰り広げられようとも、それは文字通りただの演出であり、当たりかハズレかは既に機械内部で決まっている。それでも、つい食い入るように演出を睨み付け、祈りを込めてチャンボを押してしまうのが人間の性というものだ。もうテストは受け終わったのだから結果は変わらないと、合格発表の瞬間に祈りを捧げない者はいない。
それにしても、おばあのチャンボを叩く音はうるさい。画面では、それぞれの数字を背負った海の生き物達が三段になって横スクロールで流れている。おばあがチャンボを強く連打するたび、ハリセンボンやサメが健気にブレーキをかけ、何とか図柄が揃う形で止まろうとしてくれているが、ただの演出だ。どれだけチャンボを強く叩いても全くチャンボに触らなくても、図柄が揃うか否かに影響は及ぼさない。
「あのう、恐れ入ります、お客様」
背後から、店員が顔を覗かせた。三、四十代と思しき、男の店員だ。
「もう少し、そっと押していただいてもよろしいでしょうか」
申し訳なさそうな笑みを浮かべ、丁重に言った。
「何でやの。全然、出えへんやないの、ホンマ。何か裏で、いじってるんと違うの。ここの店長が、私のこと嫌ってんのは知ってんのよ。見てみい、これ」
台の上のデータランプを指差す。つられて見やり、田中は噴き出しそうになるのを堪えた。おばあが今回の大当たりを獲得するまでに掛かったスタート数(図柄抽選が行われた回数)は、1400を超えている。さり気なくスマートフォンを取り出し、調べてみた。1/99を1400回以上引けない確率は、およそ百万分の一だ。
「台の故障、それに何より、お客様のお怪我にも繫がりますし」
店員が粘り強くおばあを窘める。おばあは店長に大当たり確率を遠隔操作されていると訴え続けている。
田中は口許を手で押さえ、にやついた笑みを隠しながら台を打ち続けた。パチンコは遠隔操作されていると訴えるユーザーは一定数存在するが、彼らの大半はパチンコ屋に通うことをやめない。そこまで文句を言いながらも通い続けて金を落としていく常連客が大勢いる以上、パチンコ屋がリスクを負ってまで遠隔操作をする必要などないだろう。
「それにほら、あんま強く叩いたら、魚もびっくりして逃げちゃいますよ」
店員が穏やかな声で言った。海シリーズの代表的な演出の一つに、画面に現れる魚群がある。気の利いた台詞だと田中は微笑んだが、おばあは違った。
「年寄りを舐めるなよ、あんまり。なーにが、魚が逃げちゃうや。老人はアホや、思うとる。あんた、前から気に食わんねん。心の中で、年寄りを小馬鹿にしとるのが丸分かりや」
鋭い声で言い放った。店員の顔から、拭ったように笑みが消え去る。
「お店のルールを守っていただけないなら、ご遊技していただくのが難しくなりますよ」
眉根を寄せ、低い声で言った。
「はいはい、すんません。気を付けます」
棒読みで言い、台に向き直った。涼しい顔で、遊技を再開する。リーチ。おばあの台から、音声が流れる。おばあが右手で画面をタッチし、左手で猫の背中でも撫でるようにそっとチャンボを押した。厭味たっぷりの仕草に、田中はつい喉の奥で笑った。上気した顔で立ち尽くす店員に、きつい一瞥をくれられる。
「ほいじゃ、どうも。また」
おばあに囁き、逃げるように喫煙ブースへと向かった。
(続きは本誌でお楽しみください。)