鮮やかなグリーンのキーライム・パイはナオキ・パパ得意のひと品であり、わたしのお気に入りのスイーツだった。丸いパイの中央には数字の《1》と《8》の形をしたキャンドルが立っていて、その芯に宿る小さな炎が、マコト・パパの手拍子とみんなが歌うバースデー・ソングの声にあわせて、タンゴでも踊るように小刻みに揺れていた。
「ミユウ、十八歳のお誕生日おめでとう!」
 わたしがキャンドルの炎を吹き消すと、全員が声をそろえて叫び、短い拍手をした。遅れて漂ってくる煙のにおいが鼻にこそばゆい。パパたちふたりがパイを切り分けるためにキッチンへ行っているあいだ、コハル姉さんと弟のタカヲの興味は、わたしが誕生日プレゼントにもらったばかりの〈かるた〉に集中した。
「いいなあ、最新モデル。わたしもほしいなあ」
「ちょっと触らせてみて」
 そういって、ふたりが〈かるた〉を折り畳んだり広げたりしてもてあそぶと、表面に映るサングラスをかけた猫のキャラクターが驚いたような表情をして、頰を両手で押さえた。
〈かるた〉というのは薄くて柔軟性のあるプラスチックのシートのような情報端末だ。全面がタッチパネル式のディスプレイになっていて、トランプのカードくらいの大きさから食堂のトレイくらいの大きさまで、折り方次第で自由にサイズを変えることができる。パパたちがいうには《昔のスマートフォンとタブレット、ノートパソコンをひとつにまとめて、ぺらぺらになるまでプレスしたようなもの》らしい。
「これなら最高画質でゲームしても、ぬるぬる動くだろうなあ」
 シャンパンを飲んでほろ酔いになっているコハル姉さんは三つ年上で、デザイン会社に勤めている。去年の専門学校卒業と同時にこの家を出て、いまはアパートにひとりで住んでいるが、この日はわたしの誕生会のためにもどってきてくれたのだった。
「お姉ちゃんがもってるのだって、まだまだ新しいでしょ?」
「ところがねえ、世のなかっていうのはどんどん変わっていくものなんだなあ。わたしの機種だとつかえないアプリが、もういくつも出てきてるのよ」
「えっ、そういうもんなんだ」
 それまでパパたちと共用の〈かるた〉をつかっていて、そんな風に感じたことがなかったから、コハル姉さんの言葉に驚いてしまった。せっかくマコト・パパとナオキ・パパが、十八歳という特別な年齢にくれたプレゼントがすぐにつかえなくなってしまうのなら、それはとても寂しいことに思えた。
「コハルがやたらと動作の重い仮想現実のゲームばっかりやってるからだろう? ミユウみたいに電子書籍を読むのがメインなら、そうそうつかえないようにはならないよ」
 冷めた口調でいいはなったのはタカヲだ。六歳年下の小学六年生で、うちが三個目の家族になるのだそうだ。わたしもコハル姉さんもこの家族しか知らないから、そういうのは不思議な感じがした。しかも、ここに来てから二年しかたっていない――つまり、コハル姉さんといっしょに暮らしたのは、たったの一年だけだ――のに、きょうだいのなかでいちばんずけずけとものをいう。
「でも、リッチな映像のゲームがしたいんだもん。最新モデルがほしいんだもん」
「働いてるんだから、給料で買えばいいだろう?」
「仕事のストレスを解消するためにゲームをしているのに、ゲームのために仕事のストレスに耐えなきゃいけないこの矛盾……わたしが幻想世界の魔王なら、人間社会なんていますぐ滅ぼすのになあ……」
「魔王は仕事のストレスなんて感じないと思うけど?」
「まあまあ」わたしはコハル姉さんとタカヲの不毛な会話に割ってはいった。「それより、すぐに非対応にならないって本当? この〈かるた〉、ずっとつかえる?」
「ずっとっていわれると、うーん」
「ちょっと、どっちなのよ」
「どっちにしてもいつかはつかえなくなるよ。そうなったって、購入した電子書籍のデータは新しい端末に引き継ぎできるんだから問題ないだろう? それが面倒なら書店で本物の本を買って読めばいい。どっちを選ぶのかは、自由なんだから」
「そうじゃなくて、せっかくのプレゼントだし、この〈かるた〉を長くつかいたいって話。それに、これは読書用というより勉強用なんだから。九月になって大学がはじまったら、課題の作成とかいろいろあるでしょう? そりゃあ、もちろん電子書籍リーダーも入れるけど─ていうか、タカヲのいいかただと、まるで電子書籍が偽物の本みたい」
「そうだそうだ」コハル姉さんがわたしの肩にあごを載せていった。「偽物みたいにいうのはおかしいぞ。わたしのやっているゲームだって、なかには本当の世界が広がってるんだから。つまりねえ、魔王にだってストレスってものが――」
 また話がそれてしまった。どうやって軌道修正したものかと考えていると、パパたちが扇形に切り分けたキーライム・パイとティーポットをもってテーブルにもどってきた。
「みんな、お待たせ。今日のは特別おいしくできたよ」ナオキ・パパが得意げに笑う。
 わたしが紅茶のおかわりを注いでいるあいだに、コハル姉さんもタカヲも〈かるた〉を置いて、さっさとパイを食べはじめた。
「お~いし。やっぱりナオキ・パパの料理がいちばんだなあ。定期的にうちまで出前してほしい」
「たしかにうまいね。いままでの親でいちばんかもな。まあ、本来の伝統的なキーライム・パイは、こんな風にフィリングをグリーンに着色しないらしいけれど」
「また、タカヲはそんなこといってさあ」
 タカヲのいったことなら、わたしもきいたことがある。けれど、わたしはこのキーライム・パイの淡く、それでいて鮮やかな色合いが好きだった。その清涼感は、わたしの生まれたこの八月を彩るのにぴったりだと思う。普段は着色料なんてつかわないナオキ・パパもそれを知っているから、お祝いごとのたびに天然由来成分のものを探してつくってくれるのだった。
「ナオキ・パパの料理には愛情がこもっているからね。だからおいしいし、幸せな気持ちになる」
 わたしの心の声がきこえているかのようにマコト・パパがいうと、ナオキ・パパは誇らしそうに腕を組んだ。
「オーブンのほうも、ミユウの誕生日だからっていつもより頑張ってくれたみたいだからね。このサクッとしたパイ生地、完璧な焼き加減だろう?」
 パイをつまみながらハイタッチするパパたちを見て、わたしはこの家に振り分けられて本当に幸福だと思った。ほかの家のことはよくわからないし、不幸な家庭の話なんて耳にはいってくることはない。それでも、タカヲのように何度も家を変えている子供だっている。当のタカヲは「どこもたいして変わらない」といっていたけれど。
「食べてるかい?」
 フォークをもったままぼんやりしていたわたしに、マコト・パパが声をかけた。
「ああ、うん。これから食べるよ。なんか、がっついちゃうともったいない気がして」
「じゃあ、いっしょにソファにすわって、ゆっくり話でもしながら食べようか?」
 あいかわらず他愛もないことをいいあっているコハル姉さんとタカヲ、そのふたりの話を笑顔できいているナオキ・パパをテーブルに残して、わたしとマコト・パパはダイニングとひとつづきになっているリビングへ行ってソファにすわった。扇形のパイをフォークでさらに小さな扇形に切りとって口に入れると、さっぱりとした甘みと酸味が舌の上に広がった。
「とってもおいしい」
「よかった。わたしもライムの皮をすりおろすのを手伝ったからね。そういってもらえてうれしいよ」
 パイをもうひと口食べて、紅茶で喉を潤してから、わたしはカードのサイズに折り畳んだ〈かるた〉を人さし指と中指にはさんで目の前にもちあげた。サングラスをかけた猫のキャラクターが、もじもじしながらこちらを見ている。サングラスには、現在の時刻をあらわす《20:11》という数字が表示されていた。
「この〈かるた〉、最新モデルなんだってね。マコト・パパが選んでくれたんでしょう?」
「成人のお祝いには個人用の〈かるた〉を贈ることになっているからね。まあ、たしかにちょっぴり奮発はしたかな」マコト・パパは照れたようすで微笑んだ。「みんなの話ならきこえていたけれど、スペックのことなら心配いらないよ。少なくとも大学を卒業するまで、困ることはないと思う」
「よかった。でもうれしいから、大学がおわってもずっとそばに置いておきたい」
「いつか新しく買い換えることになったとしても、古いものを捨てなきゃいけないわけじゃないんだ。ミユウがそうしたかったら、思い出にとっておいてくれてもいい。パパたちは、その気持ちだけで充分だよ。それよりも、そいつをつかって調べたいことがあるんだろう? そっちのことで悩んでるんじゃないかと思ってね」
 いいづらいことがあると、マコト・パパはいつも先まわりしてきいてくれる。〈育親士〉は心理学も勉強しているからだろうか。わたしには、マコト・パパ自身の性格のように思えるけれど。
「不安がないといえば、噓になるかな」
「自分の〈因親〉について知ることは、成人に与えられた権利だ。前にきちんと話してくれたから、ミユウが社会について勉強して、〈因親〉に興味をもっていることは、パパたちだってわかってる。遠慮することはないよ」
「わたしは調べるだけじゃなくて、〈因親〉に会ってみようと思っているから――格付けの内容がどうであったとしても、ね。でも、クラスにはAランクの〈因親〉のところに行ったきり家族と離れてしまった子もいるし、そんな風にパパたちとの関係が変わってしまったらと思うと、ちょっと怖くて」
「パパたちとミユウの関係は、なにも変わらないさ。いっしょに過ごしたこの十八年間が、なくなるわけじゃないんだから。それに、本当に〈因親〉に会うかどうかは一次情報を見てからゆっくり考えたっていいんだ。そのときは、もちろん相談にのるからね」
 それが〈育親士〉の務めだから――とは、マコト・パパはつけくわえなかった。パパたちの愛情が心からのものであることは、赤ん坊のころからずっといっしょにいてわかっている。〈因親〉に会いたいのは、なにもパパたちに不満があるからではない。ただ、興味があるからだ。遺伝子の継承元である〈因親〉そのものにも、〈因親〉に代わって有資格者が子育てをおこなう〈育親士〉という制度についても。
「ありがとう、マコト・パパ。でも、なるべくひとりで考えて決めようと思う」
「それでこそ立派な成人だ。あらためて十八歳の誕生日おめでとう、ミユウ」



 キーライム・パイを食べおえると、タカヲはそうそうに自分の部屋へ引きあげた。コハル姉さんはもうしばらくいたけれど、オンライン・ゲームの約束があるからといって二十二時前には自動運転タクシーを呼んで帰っていった。わたしはパパたちといっしょに食器を片づけて、そうしてようやくひとりになった。
〈かるた〉のセッティングは簡単におわった。生体認証でマイナンバーを紐づけると、パパたちと共用の〈かるた〉でつかっていたアプリや電子書籍などのアイテムがすぐにつかえるようになった。ちょっぴりかわいそうな気もしたけれど、ロック画面からサングラスをかけた猫のキャラクターを消して、今日の誕生会の最中に家族みんなで撮った写真が表示されるようにした。
〈かるた〉を食堂のトレイくらいのサイズまで広げてから、まんなかのあたりに角度をつけて折ると、上側の面をディスプレイとして、下側の面をキーボードとしてつかうことができる。わたしはWebブラウザ――いままでつかっていたものより、デザインが洗練されていてレスポンスも早い――をひらいて内務省の公式サイトを訪れた。
 メニューから順を追って希望する項目を選択し、未成年のころには表示されなかった《因親検索》の画面まで遷移したところで指が止まった。わたしのなかには、早く〈因親〉の情報が知りたいという気持ちと、誕生会の幸せな余韻を残したまま眠ってしまいたいという気持ちのふたつが同時に存在していた。こういうとき、わたしはえてして好奇心に負けるのだけれど、今日ばかりは慎重に考えて選択したいと思った。なんといっても、わたしのルーツに関することだからだ。

(続きは本誌でお楽しみください。)