服部義夫は、前日勤務の者から申し送りを受けるために、国鉄の車庫の中で待機していた。交代の時間にはまだ少し間がある。
車庫の明り取りの窓から、明るく晴れた空が見えた。今日も暑くなりそうだった。義夫は腰に提げた手拭いで、汗を拭った。そうしながら、さっき見送ったばかりの友人、佐伯通孝のことを考えた。彼は家族とともに松山に移るのだ。通孝がいなくなると寂しいなと義夫は思った。彼は広島一中で初めて得た親しい友人で、勤労動員も同じ国鉄の第一機関区だった。
そこでは、二人は組んで保火番をした。一晩中、蒸気機関車の火室内の火を絶やさないように保っておく仕事だ。車庫には、夜になると十五から十六両の機関車が入庫してくる。それら全部に石炭をくべて回り、蒸気の圧力を保っておくのだ。石炭は、九州から四十両以上の編成で運ばれてきていた。ここのところ、グラマン戦闘機がその長い貨物列車を爆撃してくるのだとも聞いた。
二十四時間勤務だから、夜も更けると眠たくてたまらなくなる。しかし、火を落とすわけにはいかないから、二人でずっとしゃべっていたものだ。中途で絶えてしまった学校の教科のこと、読んだ本のこと、将来の夢、家族のこと、先生や友人の消息、女子挺身隊が通りかかった時に見かけたかわいらしい子のこと、戦争の先行き、車庫には二人しかいないから、何でも語り合っていた。
二人でよく将棋も指した。指し方は通孝が教えてくれたのだった。紙を将棋盤に見立ててマス目を書き、駒も紙でこしらえた。手作りの将棋盤を車庫の板張りの壁の隙間に隠しておいたのが上司に見つかり、二人並ばされてビンタをくらったこともある。
田舎出で、宿舎に住み込んでいた義夫に、自宅から通ってきていた通孝は、しょっちゅう差入れをしてくれた。彼の家族が心配りしてくれたものだ。ふかし芋や大豆入りの握り飯というものだったが、常に腹を空かせている義夫には、有難い差入れだった。三度ほど家に呼んでくれて、夕飯をご馳走になったこともあった。
考えた途端に腹の虫が鳴いた。
通孝とのおしゃべりも、心のこもった差入れも今日からはもうないのだ。通孝は宇品港から松山行きの船に乗るために、さっき広電の駅まで歩いていった。学生服にゲートルを巻いた姿で振り向き、白い歯を見せて笑った通孝の顔が思い出された。
そんなことを回想していた時、戦闘機の爆音を聞いたような気がした。今朝、出されていた警戒警報は解除になったはずだ。義夫は、ふと明り取りの窓を見た。
小さな窓から閃光が見えた。それは暗い車庫の中を、目もくらむような明るさに照らし出した。義夫の瞳に、明り取りの窓が、長方形の白い残像として焼き付けられた。
新川喜代は、朝から不機嫌だった。
母、美千代の「熱があるんじゃから、寝ときんさい」という言葉を無視して、縁側に座っていた。もうほとんど熱は下がっている。
壁の日めくりは、八月六日を示していた。昨日の日曜日は佐伯寿賀子の見送りに行きたかったのだが、発熱のせいで母はそれを許さなかった。だからふてくされていた。今日も大事を取って学校を休むよう言われ、しぶしぶそれに従った。夏休みは八月十日からだから、登校日は今日を入れてあと四日しかないというのに。
寿賀子は、近所に住む一番仲のいい友だちだった。この四月、一緒に袋町国民学校の一年生になり、毎日手をつないで通学していた。その寿賀子が引っ越しをすることになった。戦争がいよいよ激しくなったので、松山に一家で移ることになったのだ。寿賀子のお母さんの実家に身を寄せるという。
寿賀子の家は、喜代の家からほんの数軒先で、一緒に育ってきたようなものなのに、離れ離れになってしまう。それを聞いた時には悲しくて喜代はわんわん泣いた。寿賀子も泣いた。
ついこの間、松山は大空襲で焼け野原になった。それでも行くという。
「広島におった方がええんじゃないん? 広島は絶対に爆撃されんて、皆言いよるよ」
「お祖父ちゃんの家は松山でも端っこの方じゃけぇ、焼けてないんよ。田んぼも畑もあって、食べるもんもようけぇあるて、お母ちゃんが――」
寿賀子も喜代と離れたくないと、両親に訴えたらしいが、父親から「くじゅうくるな!」と一喝されたのだった。
とうとう昨日、寿賀子は家族とともに宇品港へ行ってしまった。そこから松山行きの船に乗ったはずだ。
家の奥で、母は二歳の勉をあやしながら、繕い物をしていた。四歳の光子がそのそばで絵本を読んでいた。光子が顔を上げた。飛行機の爆音がしたのだ。母も気がついて、不思議そうな顔をした。
「おかしいねえ。警戒警報は解除になったのに」
喜代は縁側で立ち上がり、背伸びして空を見上げた。二機の飛行機が見えた。そのうちの一機が、風船のような銀色のものを落とした。なんだろうとさらに伸びあがった時、母が手にしていた繕い物を投げ出した。
「早う、防空壕に!」
いつになく取り乱した母の声に、喜代は裸足で庭に飛び降りた。光子も後を追ってきた。防空壕の入り口の木枠に手をかけて、空を振り仰いだ。その時、七色の閃光が目を射た。
きれいだな、と喜代は瞬間、思った。
1
こんもりと木々が繁る神社の前を通ると、蟬の大合唱が降り注いできた。
耳に突き刺さるような金属質の鳴き声だ。侑平は眉根を寄せ、Tシャツの袖で額の汗を拭った。東急ハンズで急いで買ったリュックサックの紐が、肩に食い込む。適当に詰め込んできた荷物は、かなりの重量だった。
ふと立ち止まって鳥居の奥を見透かす。この神社にも見憶えがあった。
さっきから記憶の底をさらいながら歩いている。夏休みにはここで蟬をとったし、社殿の高床の下でアリジゴクの巣を観察したものだ。ここへ来て初めてアリジゴクという昆虫を知った。
――あれから二十年だ。
心の中で呟いてみる。
愛媛県松山市の郊外にある町。頻繁に訪れていたのは小学生の頃だった。そして今、この町に戻ってきて父方の祖父母が暮らしていた家までの道のりをたどっている。来るまでは、きっと迷うだろうと思っていた。祖父母の家は、ごちゃごちゃした住宅街の中、それも入り組んだ路地の奥にあったから。
だが最寄りのバス停から歩き始めると、不思議なほどすっすっと足が動いた。頭ではなく、体が憶えている。いぶし銀の瓦の載った、焼き杉の外壁の小ぢんまりした家までの道。長期的に滞在していた夏休みの印象が深い。ちょうど今日のような暑い日の思い出だ。
最後にここに来たのは、祖母が亡くなった時だ。確か中学二年生だった。もうその時には、両親は離婚していた。離れて住んでいた父に連れられて、通夜と葬儀に出たのだった。あの時の記憶は曖昧だ。初めての身内の死に衝撃を受け、緊張していたのだろう。布団に寝かされた祖母の枕元に、小さくなった祖父が座っていたのだけは憶えている。父は、怒ったみたいにぶすっとしていて、ろくに侑平とも話さなかった。それが父の悲しみの表現だったのか。
その後、父とはどんどん疎遠になった。連絡を取り合うこともなくなった。母との二人暮らしにも慣れていった。父のことを思い出すこともまれになった。侑平の中で父が消えていくのと同時に、父の故郷である松山とも遠ざかった。
父と父方の祖父母のことは、侑平の人生から「削除」された。
だから、十日前に父から電話がかかってきた時には驚いた。母から侑平の携帯番号を聞いたのだと父は言った。その母もだいぶ前に再婚して新しい生活を送っていた。再婚相手に女の連れ子があって、もう孫もできているのだった。二十九歳になった息子とは、今は適度な距離を保っている。
「松山のさ、あの家」
唐突に父は言った。
「え?」
低くてかすれた声は、まぎれもなく父のもので、説明不足で自分本位な話し方をするのも父の特徴だったから、相手が誰だかはすぐにわかった。
「どこの家だって?」
松山といえば父の出身地で、「あの家」といえば、祖父母の家しか思い浮かばなかったが、ついそう訊き返してしまった。
「お祖父ちゃんの家だ」
「お祖父ちゃん」という言葉に、ちょっと照れた色合いが滲む。六十過ぎの父が、三十近くの息子に久しぶりに電話をする照れかもしれない。
それを払いのけるように、急いた口調になった。
「あれ、お前にやるよ」
困惑がじわりと怒りに変わる。
「なんだよ。全然意味わかんないよ」
「お祖父ちゃんが死んだことは知ってるよな」
相手の心情を無視する父の物言いは続く。さっさと用件を済ませてしまおうという思いが垣間見えて、さらに怒りが湧いてきた。この人はいつもこんなだ。だが、いまさら反発するのも煩わしく、「うん」と答えた。
祖父が亡くなったことは、母から伝え聞いた。母のところに父から事後報告があったという。それももう五年も前のことだ。確か八十三歳だった。それを聞いても、たいして心は動かなかった。あの時は、大学院で研究に勤しんでいて――。
それ以上、考えるのをやめた。苦いものが喉からせり上がってくる気がした。
父の説明はこうだった。祖父が死んでから、ずっとあの家は空き家だった。父は今、神奈川県相模原市に住んでいて、四国に足を向けることもなくなった。家財道具はそのままにしてある。でもいつまでもそのまま放っておくわけにもいかない。隣の住人に管理を頼んではいるが、人が住まなくなった家は傷みも早い。今後自分が生まれ故郷に帰るということもない。それで、松山の家の始末を考えるようになった。
「だからさ、お前にやろうと思って」
侑平が何かを言う前に急いで付け加えた。
「俺はお前に残すものなんてないからな。遺産分けだと思って」
「いらない」
即答した。父は動じない。侑平の反応は予測していたようだ。
「まあ、そう言うな。別にあそこに住めって言ってるわけじゃない。売ればいくらかまとまったものになるだろう。あの辺りの地価を調べてみたんだが――」
「いらない」
今度はあからさまに怒気を含んだ声で言った。どうしようもない古い家を処分するのが億劫で、息子に押し付けてきたという図だろうと容易に察しがついた。それで電話を切るつもりだった。スマホを耳から離しかけた時だった。
「それなら俺の方で更地にして、土地を売却する。その金をお前にやるよ」
どこまでも手前勝手な男だ。父には父なりのルールがあるのかもしれないが、迷惑な話だ。素っ気なかったり、変に頑なだったりする父の気持ちを汲もうなどとも思わない。もはや「いらない」と返事をするのも嫌になった。
父は祖父が死んだ時も、もう成人していた侑平に何かを求めることはなかった。だから墓参りにも行かなかった。きっと父自身も、親の死に対してそう感情を昂らせることはなかったのだろうと勝手に決めつけていた。
情の薄い人だから、とあの時そう思ったのだった。
祖父はどんな亡くなり方をしたのだろう。父は最期を看取ったのだろうか。今まで気にもしなかったことが頭に浮かんできた。すると自分が父と同じように、いかにも薄情な人間に思えてきた。あれほど大事にしてくれた祖父母のことをないがしろにしてきたなんて。
これでは父を批判できない。
「家を取り壊すなら、その前に一度行ってみる」
どうしてそんなことを口にしたのか自分でもわからない。父は、まさか息子がそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう。不機嫌な声を出した。
「行ったってもうあそこにはガラクタしか残ってないぞ」
「いい。とにかく行ってみる」
「そうか。なら、好きにしろ」
通話を切ったのは、父の方だった。侑平は、切れたスマホをまじまじと見詰めた。父と久しぶりに話したことで、疲れを覚えた。それほど父は遠い存在だった。相模原市に住んでいるのもその時初めて知った。
(続きは本誌でお楽しみください。)