ソファにあぐらをかいていたら、いつのまにか眠っていたらしい。

 ソラソウヤ・ソラソウヤー。マキの鳴き声で目覚めた。

「はいはい。どうした」

 マキは肩にとまっていた。ゴハンタベヨカ・ゴハンタベヨカー。

 腹が減っているのだろう。ケージの上の餌皿を持ってきてテーブルに置くと飛び移ってついばみはじめた。

「マキはかわいいな。たくさん食べや」

 マキを見ていると飽きない。しぐさのすべてが愛らしい。肩についている糞をティッシュで拭きとった。

 スマホが鳴った。珍しい、碧土建の青木だ。仕事の話か、と期待した。

 ――こんちは。二宮です。久しぶりですね。お元気ですか。

 ――ぼちぼちや。啓ちゃんは。

 ――貧乏暇だらけ。身体はあほみたいに元気ですけどね。

 本業で収入を得たのは去年の秋、茨木の倉庫の解体と建設工事をサバいたのが最後だった。以来、半年間、マキといっしょに遊民生活をしている。

 ――ちぃと頼みがある。そっち行ってええか。

 ――ええもわるいも、大歓迎です。

 ――ほな、二時すぎに行く。

 電話は切れた。

「マキ、啓ちゃんはうれしいぞ。たぶん儲け話や」

 マキが餌を食べおわるのを待ってケージに入れ、小松菜と水を替えた。

 湯が沸いた。冷蔵庫からコーヒー豆を出し、ミルで粉に挽く。ぺーパーをパーコレーターにセットし、沸騰した湯を少しずつ注いだ。粉がぷっくり膨らむ。少し待って、また湯を注いだ。

 マグカップを温め、コーヒーを入れてソファのところにもどった。

「砂糖しかないんです」

「いや、わしはいつもブラックや」

 青木はひとすすりした。「旨い。淹れ方がうまいな」

「近くにコーヒー豆の専門店ができたんです」

 ブルーマウンテンのブレンドを悠紀が買ってくる。悠紀の指導で淹れ方も習得した。粉をじっくり蒸らすのがコツだ。

「啓ちゃんはサバキをはじめて何年や」

「さぁ、何年になるかな」

 四年前、児島ビルから福寿ビルに事務所を移した。それまで、児島ビルに四年、難波の府立体育館裏に二年いたから――、「足かけ十年ですね」

「サバキを十年もつづけたら上出来や。ややこしい商売やのに」

「その代わり、二宮土建は五年で潰してます」

 父の孝之から継いだ解体屋だ。不渡りを食らって倒産し、業界のコネをたよって主に前捌きを斡旋仲介する建設コンサルタントをはじめた。碧土建の青木には府立体育館裏のころ、何件か仕事をまわしてもらっていた。青木に会ったのは八年ぶりだ。

「気ぃわるうせんように聞いて欲しいんやけど、今回のサバキはほかに頼んだんや。……それが十日もせんうちに断られた。この仕事は堪忍してくれ、とな」

「差し支えなかったら教えてください。依頼先は」

「尼崎の筏会」

 川坂会系の三次団体だ。けっこう古い。兵隊は二十人もいないだろう――。

「筏会が堪忍してくれというたんですか」

「ああ、そういうたな」青木はうなずいた。

「金額的な不満があったんですかね」

「それはない。一パーセントで合意してた」

「総事業費は」

「三十二億」

 三十二億円の一パーセントは三千二百万円――。サバキの相場だが額が大きい。

「堅気のわしが本職に話を持っていったんがわるかったんかな」

「名義人の青木さんが動きはるのは当然やけど、うちみたいなコンサルタントを仲介にしてワンクッション入れたほうがよかったでしょ」

 名義人とは一次下請業者のことをいい、青木は主に船越建設の仕事をしている。「物件のことを教えてください。詳しいに」たばこをくわえた。

「尼崎の東橘町、経生会立花病院。敷地四百坪に五階建の病院と駐車場。築四十三年やから建物は寿命やな」

 事業主は関西を地盤とする某スーパーだと、青木はつづける。「病院を解体して、跡地に商業施設を作るらしい」

「東橘町界隈は筏会の縄張りですか」

「そうやろ。事務所は病院から歩いて五分ほどや」

「行ったんですか」

「行った。いまにも崩れそうな文化住宅や」一階の二室の壁を抜いて組事務所にし、その上階を組員の住まいにしているという。

「筏会の誰に会いはったんですか」

「若頭の伊山や。八百屋のおやじみたいな感じで、ヤクザには見えん」

 以前、伊山には甲子園口駅近くの現場で世話になったことがあるといい、きれいなサバキをしてもらった、と青木はいう。

「伊山は仕事を請けながら、堪忍してくれというてきたんですよね。理由を聞きましたか」

「聞いてへん。なんかしらん、歯切れがわるかった」

 ソラソウヤ・ソラソウヤー。マキが鳴いた。

「なんや、おい、鳥が喋っとるぞ」青木はマキを見た。

「オカメインコです。かわいいでしょ」

 アンタダレ・アンタダレー。

 マキのセリフに青木は反応しなかった。

「どうや、東橘町の物件、請けてくれるか」

「もちろんです。二宮企画の手数料込みのサバキ料は三千二百万でいいですか」

「ああ、かまへん」

「B勘屋、段取りしましょか」

「いや、わしが手配した」

 B勘屋とはダミーの赤字会社をいう。東橘町の工事だと、B勘屋は碧土建の注文を受けて三千二百万円の架空領収証を作り、手数料十パーセントの三百二十万円で売る。碧土建はその領収証を使って三千二百万円のサバキ料を船越建設から受け取るという仕組みだ。仮に組筋との関係が表沙汰になっても、それは碧土建と組筋の契約であって、船越建設の関知するところではない。ゼネコンの下請のなかで最初に現場作業をするのが解体掘削業者であり、そういった前捌きのできない業者は淘汰されるのだ。

「干天の慈雨です。このサバキ、二宮企画が責任をもって全うします」

「なんのこっちゃ」

 青木はコーヒーを飲みほした。「支払いは三回や。千、千、千二百に分けて請求してくれるか」

「了解です。ありがとうございました」両膝に手をあてて頭をさげた。

「ほな、な」

 青木は立ちあがり、ズボンの尻を払って事務所を出ていった。

 ソファに眼をやると、青木の座っていたところにこすれたマキの糞があった。

(続きは本誌でお楽しみください。)