0
 平均寿命のニュースが流れると、人は思う。
 自分にはあと何年残されているのかと。
 たいていの人間は平均寿命から自分の年齢を引き、「あと三十年か」などとうなずく。なおかつ少し足し算をしてしまう。まだまだ健康だから「あと三十五年」「いや、四十年はいけるかも」と。自分が平均以下になる可能性は頭の隅にも考えず。
 今年で六十八歳になった私も同じだ。男の平均寿命は八十一歳。ということは、自分には最低でもあと十三年はある。そう思っていた。

1
 夢を見ていた。だが目を覚ましたとたん、どんな内容だったかは頭からさっぱり消えてしまい、残っているのは何かの夢を見ていたという記憶だけだった。
 最近こういうことが増えてきた。夢でまでもの忘れするようになってしまったか。
 時計を見ると、まだ午前五時前。二度寝としゃれこむつもりで、布団をかぶり直した瞬間、どんな夢を見ていたのかを思い出した。
 ダム湖の夢だ。ブロッコリーのような緑の低山に囲まれた、湖と呼ぶより貯水池と言ったほうがいいような風景が目の前に広がっていた。陽光が水面にモザイク模様をつくっている。私は上空からそれを見ていた。空を飛んでいるのかもしれない。
 と、そのとき、夢ならではの唐突さで、遠くに見えるダムの壁に亀裂が走り、水が漏れはじめた。亀裂は見るまに巨大な裂け目になり、水が滝となって噴き出し――
 同時に、なぜそんな夢を見ていたのかを思い出した。どうしてこの時間に目を覚ましたのかも。私は布団から跳ね起きてトイレへ急行する。
 ふいぃ。
 六十半ばにさしかかった頃から、夜中や朝方に突然の尿意で目が覚めることが増えた。少し前までは目にも耳にも入ってこなかった、膝の痛みがどうの、骨粗鬆症予防がこうのといったCMや新聞広告に、最近はつい見入ってしまう。
 寝室に戻って頭まで布団をかぶった。ダム湖の上空を飛ぶ夢の続きを見ようと思ったのだが、一度覚醒してしまった頭は、夢の中に戻ってはくれない。
 そのうちに鳥の声が聞こえはじめた。スズメならまだ可愛いが騒々しいカラスの鳴き声だ。昔の得意先の課長の声に似ている。
「君たちはアホかあ」「そんなこともできんのかあ」本っ当ぉぉに嫌な奴だった。ああ、思い出しただけで腹が立つ。威張り散らすわりには仕事ができず、トラブルの責任は我々出入り業者にかぶせる。それを謝るどころか、迷惑料だとかぬかして、接待やバックマージンを要求してくる。
 デスノートに名前を書く勇気はないが、住所がわかれば家の前に落とし穴を掘ってやりたい。あの男の名前は――名前は――あれ? 忘れた。耳障りな甲高い声と鼠みたいな顔はいまでも覚えているのに。まあ、昔のことはどうでもいいってことか。
 もう眠れそうにないな。私はため息をつき、よっこいしょ、と年寄り臭いかけ声とともに起き上がる。
 どちらにしろ、毎朝六時十五分になると目が覚めてしまうのだ。会社に出勤していた頃の起床時間だ。会社員時代は、目覚まし時計に起こされない生活が夢だったのに、定年になって三年が経ついまも、体が覚えてしまった時刻に目が覚める。
 キッチンへ行き、冷蔵庫から卵を取り出す。常温に戻すのが卵料理のコツだ、そうだ。定年になってから見るようになった昼の情報番組で教わった。
 コーヒーは豆で買い、ミルで挽いている。コーヒーの味にうるさいわけじゃないし、粉で淹れたものとたいして味は変わらないと思うのだが、定年退職した翌月に手動のミルを買い、以来それを使っている。深い意味はない。仕事をしていた時のようにあわただしい朝にしたくなくて、すべてをゆっくり準備するためだ。
 のんびり豆を挽いたコーヒーを味わい、とろ火でたっぷり時間をかけて目玉焼きをつくり、ゆっくりトーストを焼く。窓の外では名前を忘れたむかつき男に似た声でカラスが鳴いている。
「ヒマかあ」「他にやることはないのかあ」
 ヒマだ。やることはない。
 ああ、俺はいま自由だ、と心の中で呟いてみる。そうでもないか。おっと、パンが焦げてしまった。
 朝食を食べ終わると、本当にもう、することがなくなった。
 さて、今日は何をしようか。
 新聞は退職した翌日に取るのをやめた。図書館でまとめ読みしている。テレビをつけた。朝のワイドショーでは、若いコメンテーターが景気の動向を甲高い声で喋っていた。うん、日本の未来は君たちに託そう。
 定年退職が間近になった時には、こう考えた。これからは悠々自適でいこう、自分のやりたいことだけをしようと。だが、悠々自適は一か月で飽きた。誤算だったのは、私にはやりたいことがとくになかったことだ。
 皿を洗うためにキッチンのシーリングライトのスイッチを入れたとたん、電球のひとつがまばゆく光ったかと思うと、悲鳴じみたかすかな音とともに、切れた。
 寿命が尽きたか。この家を一度だけリフォームした時に、手暗がりだったキッチンにこの照明を加えた。何年前だっけ。けっこうもってくれたよな。
 私にはようやくやることができた。
 電球を買いに行くことだ。

 何年経っても照明器具を買うことには慣れずにいる。手ぶらで行くと何を選んでいいのかわからなくなるから、現物を持っていくことにしていた。
 いつの頃からか照明器具はLEDが主流で、白熱電球は売り場の片隅に追いやられている。最寄りのスーパーマーケットの二階にあるこの家電量販店もそうだ。
 切れた電球を手に同じものを探しているうち、ふいにテレビで見たニュースを思い出した。
『蛍光ランプと呼ばれる昔ながらの蛍光灯や白熱電球は、2027年末までに製造も輸出入も禁止になります。その2027年問題を巡り、各方面でさまざまな動きが始まっています』
 そうか、そもそも「白熱電球」という存在そのものの寿命も尽きようとしているってことか。
 時代は変わる。印刷会社の営業マンだった私も、キャリアの後半ではパソコン操作に悩まされた。若い連中と同じことができず、五歳年下のカラス課長にすら馬鹿にされた。「浦崎さん、まだExcelなんて使ってるの? かかかか」
 手にした60ワット電球がつるりとしたオヤジの禿げ頭に見えてきた。一昨年の同窓会の会場のあちこちで光っていた頭たちのような。
 この世から白熱電球が消えても、私は生きていかなくちゃならない。あと十三年は。たぶん。

 LEDに替えてみようか。確か電球の口金ならそのまま使えるものもあると聞いた。
 まばゆく輝く照明器具コーナーの光すら届かない、蛍光ランプの棚を裏切って、私はLEDの売り場へ行く。
 どれだろう。
 さすがに従来の電球より高価い。年金生活者は値段にはシビアだ。やっぱりいままでどおりでいいか。
 いや、挑戦をあきらめた時に、人は老いていく――アントニオ猪木もそう言っている。蛍光ランプをLEDランプに替えるという新たな挑戦を迷わず敢行するために、私はレジへ急いだ。
 猪木に笑われそうな挑戦ではあるが、この一歩は人類にとっては小さな一歩だが、私という一人の人間にとっては大きな一歩なのだ。どうせなら、2027年問題で工事の順番待ちが滞ったり、品薄になって価格が高騰する前に、我が家のLED化を推進しようか、私は珍しく前向きにそう考えはじめた。

 シーリングライトにLED電球を装着し、スイッチを入れる。
「おおっ」
 と驚くほどのことではないのだけれど、なんだか放たれる光までこれまでよりきらびやかで神々しく見えた。
 電球をくるんでいたパッケージによると、定格寿命は40000時間だそうだ。
 四万時間! 数字が大きすぎて、それがどのくらいの長さなのか、見当もつかない。
 電卓を使うより速そうだから、スマホの検索欄に『40000時間は何年』と打ち込んでみた。いかんな、SNSは人を怠惰にする。遠からず世界はAIに乗っとられるだろう。
 すぐに『LEDの寿命』という記事が出てきた。40000時間というのはLED電球の寿命の基本的な数値であるらしい。
『40000時間は約4年半。ただし、これは24時間照明をつけっぱなしにした場合で、現実的ではありません――』
 ふむふむ。
『1日8時間使用したとすると、13・7年。およそ14年、このあたりがLED電球の平均的な寿命と言えるでしょう』
 13・7年!
 思わず頭上のLED電球を眺めた。かたちは旧式の電球と変わりはしないが、こいつ、つるぴか頭のくせに、俺より余命が長いのか。
 私の命はこの小さな電球より早く尽きてしまう。そう考えると、残りの人生がとても短いものに思えた。
 いや、あと十三年あるとは限らない。たとえば、昼飯用にそこへ置いたサバの缶詰の賞味期限より、私の寿命のほうが短いかもしれないのだ。
 我が家のLED化計画?
 いったいこの家に、照明はいくつあるだろう。
 このLDKだけで、キッチンに電球が三つ、蛍光灯がひとつ。ダイニングとリビングにも円形の蛍光灯がそれぞれひとつずつ。LDKの隣の六畳間、風呂場、洗面所、トイレ、二階の二部屋……階段にもある。廊下にも、玄関の中と外にも。
 私の頭の中に、わが家の照明という照明のすべてが煌々と灯っている光景が浮かんだ。
 これからそのすべてを買い換えたとすると、私が平均的に寿命を終えた後も、照明たちは輝き続けるのだ。
 ひとりの家を眺めて思う。照明器具だけじゃない。冷蔵庫もエアコンもテレビも洗濯機も、それぞれ十年前後は買い換えることなく使い続けている。そろそろ寿命が尽きてもおかしくなかった。年金暮らしには、自分より長持ちするだろう暮らしの品々をすべてを買い換えるのは、けっこう厳しい。
 どうするんだ、これから。
 その時、ふと、思ったのだ。
 家を捨てて、旅に出ようと。

(続きは本誌でお楽しみください。)