第一話 川
子供たちのいない部屋に、軍靴の音が響く。
進駐軍のアメリカ兵たちが、靴も脱がずに歩き回っていた。
早口の英語で何かを言いかわしては、室内を見回して、時折、笑い声も立てている。
私は、黙したまま付き従うしかなかった。軍靴の足跡で、床が汚されていく。視線を落とし、相手に悟られぬ程度に唇を嚙んだ。
暦の上では秋が訪れている。けれど、窓の外の空には、まだ夏雲がくっきりと浮かんでいた。
この夏、日本は、第二次世界大戦において、多くの犠牲の上に敗戦を迎えた。戦勝国である連合国は、日本の無条件降伏を受けて連合国総司令部、いわゆるGHQを設置し、全国各地に進駐軍の配備を進めていた。
ここ、新潟市内にも連日のごとく、官公庁や学校といった公的機関に、進駐軍が監察に訪れていた。どこで耳にしたのか知らぬが、東湊町にあるこの場所も、その対象となったのだ。
幹部と思しき将校が、通訳の者を介して私に問う。
「ここは幼児を預かる施設だと聞いたが、子供の姿が一人も見えないのはなぜだ?」
私は、答えに窮する。預かる子供は、今はもう、数えるほどしかいない。
(その理由を、アメリカ兵にどう説明すればいいのか)
私は、沈黙を貫いた。
新潟市は空襲を免れたものの、新潟港は満州や朝鮮半島、大陸への軍需物資搬出の拠点とされ、戦況の悪化とともに、アメリカ軍による機雷投下や機銃掃射を受けた。
終戦直前には、広島と長崎に甚大な被害をもたらした原子爆弾が、新潟市にも投下されると予測され、ただちに疎開せよ、という新潟県知事布告が出された。たちまちに新潟市内は混乱に陥り、多くの市民が疎開先へと去っていった。私たち家族も市外へ逃げるべきかと考えたが、やはり我々を頼りにする親と子が一人でもいる限り、この場所を閉鎖することはできないと踏みとどまった。
そして、新潟市への原子爆弾投下の前に日本は降伏、終戦を迎えたのだった。
新潟港は機雷によって座礁した船に塞がれ、信濃川沿いの工場や市街地は機銃掃射を受けていた。荒廃した港町には働く場もない。となれば、疎開した大人も子供も、戦争が終わったからといってすぐには戻ってこない。
私が何も回答せずにいると、尋ねた将校は肩をすくめて歩き出す。
一通り室内を見廻ったアメリカ兵たちは、とくにこれといって取り締まるべき事項も見当たらなかったのか、玄関から庭に出た。門の前には、進駐軍のジープが停まっている。
ジープに向かって歩いていく将校が、ふと、門柱に掲げられた看板の前で立ち止まった。
『守孤扶独幼稚児保護会』
看板に書かれた文字を指して、この意味は何だと言っている。
私は黙したまま、思案した。
ナーサリー? デイケア? キンダーガーテン? いや、そういう託児所や幼稚園を示す英語は、どれも違うような気がした。
明治の世に始まったこの場所を、言葉にするならば……。
私は、その答えを探すように、遠い日々に思いを馳せていた。
*
滔々と流れる信濃川は、水の色が深くて、少し怖くなるくらいだった。
春の風に、深い水色がさざなみ立つ。
川辺に立っていたナカは、傍らの萬代橋を仰ぎ見た。
(なんて長い橋だろう)
橋の終わりが見えない。日本海に流れゆく信濃川にかかる萬代橋は、果てが見通せぬほど長い橋だった。
先ほど、萬代橋のたもとにある船着場に降り立った。
新潟市と信濃川流域の集落を結ぶ川船の多くは蒸気船で「川蒸気」と呼ばれている。
この萬代橋のたもとにある船着場には、長岡、燕や三条といった各地から来る川蒸気が、入れ替わり立ち替わり着岸していく。ナカを乗せてきた川蒸気も、客を乗降させると、汽笛を上げて再び出航していった。
新潟の港は、日本海の玄関口。かつて江戸に将軍がいた頃には、北前船の発着点として、明治となって開港してからは、日本と大陸を繫ぐ拠点として。人と物と時とが、絶え間なく行き交っていく。
来年には、この萬代橋を渡った先の沼垂の地に駅舎が建って、ゆくゆくは帝都東京の上野と鉄道で繫がるという。越後の山を越え、上州の山を越え、今までは幾日もかかっていた東京までの道のりが、汽車で駆け抜けられるようになる。そうなれば、東京から新潟へ、新潟港発の船に乗り換えて朝鮮半島、そして大陸へ。一枚の切符で、東京から海の向こうへと繫がる日も遠からずやってくるのであろう。
明治の御維新から、早いもので二十九年。文明開化の名のもとに、人も街も、どんどん変わっていく。新潟を訪れる人、去っていく人、萬代橋をこちらへ渡ってくる人、そして対岸へ向かう人……誰も、立ち止まってはくれない。
その中で、ナカは、立ち止まっていた。
周りはどんどん進んでいくのに、ナカは立ち尽くしたまま川辺を行く人々を見ていた。
山高帽を被った洋装の紳士は颯爽と、丸髷を結った和装の女人は楚々として通り過ぎていく。学生だろうか、紺絣の小袖袴の青年は、書籍を小脇に抱えて足早に橋を渡り、黒髪を流行の束髪に結った娘たちは、明るい笑い声を立てて歩いていく。たくさんの荷物を台車に載せて、尻端折りをした男が汗を拭いながら通り過ぎて、その脇を人力車夫が、車輪の音も高らかに駆けていく。
ナカとさして年の変わらぬ雰囲気の若い母親が、幼い男児の手を引いていく。
二歳くらいだろうか、短い腕をぴんと伸ばして母親の手を握っている。男児は人見知りをすることもなく、ナカに向かって、手をひらひらと振った。
やわらかな、少し湿った、小さな手。
ナカは、そっと、目をそらした。
過ぎ行く人たちのように、前に進んでいけない。その理由から目をそらすようだった。
故郷の西蒲原郡長場村を去って、信濃川支流の中ノ口川から川蒸気に乗り、この萬代橋のたもとに降り立った。それは、この新潟の街には、自分のことを知っている人が誰もいないから。
誰も知らない場所で、新しい一歩を踏み出したかった。それなのに、その一歩が踏み出せない。
「私は、悪くない」
自分を肯定しようと口に出すと、かえって、哀しくなるのはなぜだろう。
川風が吹き抜けた。暦は四月、とうに春は訪れているのに、頰を撫でる風は冷たかった。
風の中に、ほのかに海の匂いがした。ここから海は見えない。けれど、これだけ川幅が広いのだ。きっと、すぐそこに日本海が広がっているのだろう。それを示すように、川には、乗客を乗せた川蒸気だけでなく、新潟平野で収穫された米を全国各地の市場へと運搬する汽船、港に入った大型船から荷を移して運ぶ手漕ぎの小舟や、ベザイ船と呼ばれる廻船問屋の荷を運ぶ帆船、大小さまざまな船が通り過ぎていく。
風に、さざなみが立って、陽の光が揺れる。その陽光の中に、菅笠を被った船頭が、材木を積んだ小舟を棹一本で操っていく姿が見えた。
船着場に汽笛が鳴り響いた。川蒸気が到着したのだ。長岡からの船らしい。この船は折り返し長岡へ向かう旨を、改札で若い船員が声を張り上げて言っている。
その川蒸気からは、ナカが乗ってきた船とは比べ物にならないくらいの乗客が、どっと降りてきて、立ち尽くしたままのナカは、その人波にのまれた。持っていた風呂敷包みを取り落としそうになる。あわてて胸にぎゅっと抱きしめた。
先を急いでいるのか、鳥打帽子を被った男性客が、肩をぶつける。舌打ちが聞こえて、ナカは風呂敷包みを抱えたまま「すみません」と小さく頭を下げた。
やがて、人々は、それぞれの目的地へと散っていく。ナカは、ため息をついた。
おっとりした子、優しい子、小さい頃からそう言われてきたけれど。それがこの世を生きるには、少々損であることは、大人になるにつれ知っていった。愛嬌も特技もなく、文句も言わず反抗もしないから、いつの間にか、放っておかれるか、何をしてもいいと見なされている。
何も言わないから何も思っていないのではなくて、言いたいことはあるけど言わないだけなのに。
もし、言いたいことをはっきり言えて、発した言葉に絶対の自信を持てる、そんな、強い人だったなら。
今頃は、何をしていたのだろう。
また、ため息をついて、懐から切り紙を取り出した。
いつまでもここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。これからは一人で生きていかないといけないのだから。
(強く、強い人にならないと)
そう自分に言い聞かせて、切り紙に書かれた住所を改めて確認する。そこは、住み込みで働かせてくれるという奉公先だった。
紹介してくれたのは、村の尋常小学校の教諭、小川先生。小川は、長場村出身の青年で、年はナカの五つほど上。子供の頃は互いの家が近く、見知った仲だった。
村一番の秀才と言われていた小川は、幼いナカにとっては、気がいい近所のお兄さんで、読み書きを教えてもらったこともあった。ひらがなの綴り方を教えてくれた小川の指が綺麗で、幼心に胸がどきどきしたのを、今でも覚えている。
やがて小川は、学才を生かして官立新潟師範学校へ進学。卒業後、新潟市内の小学校での勤務を経て、故郷の長場村に異動となり戻ってきた。そうして、ナカが村を去りたがっている事情を知って、彼が新潟市内の小学校に勤務していた頃の元同僚が営む私塾を、奉公先として紹介してくれたのだった。
〈信頼できる元同僚だから〉と言って、この切り紙を渡してくれた小川は、幼い頃にひらがなを教えてくれた時と同じ、綺麗な指をしていた。
ナカ自身は、この奉公先の人との面識はない。今日初めて訪れる場所の名を呟いてみる。
「新潟静修学校……本町通り七番町」
具体的に何をするのかは、まずは行って聞いてみて、と言われている。
故郷を去ると決めた以上、一人で生計を立てねばならない。けれど、今まで外で働いたことなどない。物心つく頃から家の手伝いしかしてこなかった。炊事も裁縫も人並みか、むしろ、おっとりとしているがゆえに少々手際が悪いくらいで、これといった特技もない。住み込みで働かせてくれる、となれば断る理由は何もなかった。
私塾ということは、十代くらいの若者が通っているのだろう。教室の掃除や、教師の手伝い、といったことなら、自分にもできるはず。それに、あの小川が、信頼できると言った相手なのだ。きっと大丈夫、今は、そう信じるしかない。
切り紙を手にしていると、人力車夫が声をかけてきた。
「お嬢さん、どこかをお訪ねですか」
乗っていくか? と、若い車夫は笑顔で誘う。
「ええと、その……」
人力車に乗っていけるほど、財布に余裕はない。それに、ナカは二十五歳。お嬢さん、と言われるほどの年齢でもなければ、境遇でもない。
若い車夫は「乗るの? 乗らないの?」とやや強い口調になった。ナカは「えっと……」と答えを探す。すると車夫は、これ見よがしのため息をついて去ってしまった。
去りゆく背中を見やって、呟いた。
「まだ、何も答えていないのに」
立ち止まって、時には行きつ戻りつしながら、答えを探してしまう人にとって、なんだかこの世の中は、ついていくのにやっとのような気がする。
明治の御維新、文明開化、殖産興業、富国強兵……聞こえの良い言葉とともに、世の中は流れていく。人の考え方も生き方も、どんどん変わっている。だから、すぐに出ない答えを待っている余裕なんてないのだろうか。
こんな世の中で、一人きりになってしまった。
故郷を去り、頼る人も場所もない。今さら生家に帰ったところで、肩身の狭い思いをするだけだ。こうして、喧騒の中に立ち尽くした途端、自分の選択は間違っていたのかもしれないと、少し泣きたくなる。風呂敷包みをぎゅっと抱きしめる。中身は当座の着替えや身の回りの道具ばかり。これが、ナカの全財産。
不意に、一人の男が声をかけてきた。
「君は、そこへ行きたいのか」
振り返ると、和装姿の男が、ナカの持つ切り紙を指していた。さっき到着した長岡からの川蒸気に乗ってきたのだろうか、それとも萬代橋を渡ってきたのだろうか。
年の頃は、少し年上に見える。三十は過ぎているだろうか。地味にくすんだ青色の羽織に灰色の袴姿で、気難しそうに結んだ口は、にこりともしなかった。それでいて、つぶらな目をしている。どこか、ちぐはぐな印象を受けた。
ナカが「えっと……」と答えに迷っていると、男は、もう一度聞いた。
「君は、そこへ行きたいのか」
「は、はい」
ちょうど汽笛が鳴って、返事が聞こえなかったのだろう。男は、無言で歩き出してしまった。その背中を茫然と見ていると、少し行った先で男が立ち止まり、振り返った。
「君は、そこへ行きたいのではないのか?」
至極真面目に言われ、ナカは、きょとんとした。
(もしかして、道案内してくれるの?)
そうだとしたら、いや、そうでなくとも。その思いで、ナカは駆け寄っていた。
「あの、ここに……この新潟静修学校というところに、行きたくて」
そう言ってから、気づいた。
立ち尽くしていた足を、踏み出していたことに。
思わず、振り返る。川蒸気が汽笛を上げて出航していく。一歩を踏み出したナカの胸に、汽笛の音が澄みわたるように響いた。
男は、去りゆく川蒸気を見ているナカに、促すように言った。
「ならば、ついてきなさい」
そうして、また歩き出す。どうやら、本当に、道案内をしてくれるようだ。
道案内だというのに、道中、男は一言も声を発しなかった。ただ黙々と、前を歩いていく。初対面の他人とはいえ、付き合い程度に「新潟は初めてですか」と尋ねるとか、話しかけるものではないだろうか。
(変な人……)
男は、背が高いから、歩幅も広い。その広い歩幅でどんどん進んでいく。だけど、時折、立ち止まって振り返る。
萬代橋から新潟市街に向けて延びる大通りを進んでいくと、ややあって堀の川があった。堀端には、等間隔で柳が植えられていて、新緑に芽吹く葉が、たおやかに枝垂れて揺れている。
堀に架かる平らな木橋を渡っていると、菅笠を被った船頭の乗った小舟が、堀の水面を進んでいくのが見えた。棹一本で、材木を積んだ小舟を操っていく船頭の姿に「あれは?」と呟いて、足を止めた。
あの小舟は、先ほど、信濃川で見たものだ。この堀は信濃川と繫がっているのだろうか、と思っていると、先を行く男が振り返った。立ち止まっているナカを、ただ黙って、待っている。その視線に気づいて、ナカは「すみません」と、急ぎ足で男の方へ行った。
すると、男は腕を組んだまま、口を開いた。
「水都」
何のことか、と目を瞬くと、男は続けた。
「水の都のことだ。新潟港は、河口港だからな」
そう言って、男は顎先で小舟を示す。
「信濃川の河口にある新潟港から、ああやって小舟に荷を移して市中の廻船問屋に運搬している。ゆえに、新潟は、道々に堀が張り巡らされて、水都と呼ばれているのだよ」
「そ、そうなんですね」
「君は、新潟は初めてなのか」
男の表情には、愛想笑いの一つもない。ナカは「えっと」と戸惑いながら答えた。
「小さい頃に、親に連れられて来たことは。でも、一人で来るのは初めてで。最後に訪れたのは、まだ萬代橋もない頃でした……」
「それで、立ち止まっていたのか」
それだけ言うと、また、背を向けて歩き始めた。親切なのか、不親切なのかわからない。先をどんどん行ってしまうけれど、しばらく行くと必ず、立ち止まって振り返る。そうして、ナカが追いつくまで、待っている。
(変な人だけど、悪い人じゃない、のかな)
堀を渡って、十字路を右に曲がる。途端、賑やかな通りに出た。その道の両側には、商店が建ち並び、大勢の買い物客が行き交っている。
ここが、本町通りなのだろうか、と切り紙に書かれていた住所を思い出す。野菜、鮮魚、肉、米、豆腐、味噌、酒、金物、雑貨、呉服、薬種……ここに来たら揃わないものはないのでは、というくらいの店が、どこまでも軒を連ねている。
男は、ごったがえす人波にも、誰憚ることなく進んでいく。男の背が高いからか、それとも、醸し出す雰囲気がそうさせるのか、男の進む先は、自然と人が退いて道がひらけているように見える。おかげで、追いかけるナカも、誰とも肩をぶつけることなく進んでいける。
ふと、視線を感じた。野菜を買っている母親の背におぶわれた幼児が、じっとこちらを見ていた。その無垢な黒い目に、足が動かなくなる。
ナカが立ち止まった気配を察したのか、先を行く男がこちらを振り返る。無言で待つその姿に、ナカは頷き返して、再び一歩を踏み出した。
やがて、一軒の木造の家の前で男は立ち止まり、「ここだ」と口を開いた。
もとは、何かを商う店舗だったのだろうか。賑やかな本町通りに面した二階建ての木造家屋は、庇がついていて一階の表口が格子戸になっている。その格子戸の脇に『新潟静修学校』と書かれた看板が打ち付けられていた。
「道案内してくださって、ありがとうございます」
ナカが礼を言うと、男は、無言で格子戸を開けて中へ入っていく。
「え?」
戸惑うナカを振り返り、男は真顔で言った。
「君は、ここへ行きたかったのではないのか?」
「そうです。そうですけど……あなたは誰なのですか」
「私は、この新潟静修学校の校長、赤澤鍾美だ」
「えっ!」
目を丸くするナカに、校長たる男、赤澤鍾美は、平然と続ける。
「今日は休校で、所用で長岡の方に行っていた。川蒸気を降りたら、君がいた。紹介してくれた小川君からは、今日か明日あたり訪ねるはずだと聞いていたから、君のことだろうと思った」
「じゃあ、最初からそう言ってくれたらよかったではないですか」
つい、そう言うと、表情一つ変えず返された。
「君が何も言わないから、言う必要がないと思った」
「な……」
返す言葉も思いつかない。
(やっぱり、変な人だ)
(続きは本誌でお楽しみください。)