その店は、薄暗い路地に横たわる、鰻の寝床を思わせた。
 日の当たらぬ細長い隙間に、両隣の軒を借りて板一枚の屋根を載せ、床几を一列に並べただけのみすぼらしい佇まい。両隣も板を雑に組んだだけの掘っ建て小屋で、他に壁はなく吹きっさらし、冷たい川風が容赦なく通り抜ける。
 それでもつい、一日が終わると、ここに足が向く。
 四文銭を一枚渡すと、親父は黙って柄杓と、大ぶりな素焼きの茶碗をとり上げ、傍らの大瓶から一杯すくって茶碗に注ぐ。崎郎は受けとって、床几の隙間に腰を下ろした。
 茶碗に口を近づけると、饐えた臭いが鼻を衝く。質の悪い濁酒で、おそらく安酒場の飲み残しを集めたものだろう。日によって、味や臭いが変わる。茶碗酒はおよそ一合ほど、安酒でも一合八文が相場だから、半値なら良心的と言えようか。
 見知らぬ男たちに挟まれて、長床几に腰を据えると、自分もまた、鰻の一部になったような錯覚に陥る。
 茶碗を傾け、どろりとした酒を喉に流し込む。喉に刺さるような感触と、後から鼻へと抜ける嫌な臭いに、思わず顔をしかめた。いくら半値でも、あまりに不味い。
 思わず茶碗の中に目を凝らしたが、碗の輪郭と真っ黒い水が辛うじて映るだけだ。
 灯りすらなく、たとえあっても、たちまち川風に消されよう。
 舌は不味いと訴えているのに、喉と胃の腑はひたすら欲し、ほんの三口ほどで半分を飲み干した。
 酒は強い方ではなく、ましてや美味くもないのに、このひと月ほど、ほぼ毎日のようにここに通っている。他に行くところがないからだ。
 茶碗に残った酒をあけ、ふたたび四文銭を親父に渡し、二杯目を受けとる。それくらいから、頭の芯がぼんやりしてきて、からだがにわかに火照ってくる。川風の冷たさすら心地よくなり、明日への心配事も風が掠ってくれる。
 どうせ明日の朝までは、掘っ建て小屋の並びにある、潜りの木賃宿にからだを横たえるだけだ。せめて何も考えずに眠りたい。
 ただそれだけのために、この鰻の居酒屋へと足が向く。
 二杯目を干した頃、まぶたと頭がとろりとしてきた。
 今日の宿は、ここから数軒先にあるが、寝床は板間に筵を敷いただけ。夏は蚤や虱に襲われ、冬場のいまは筵にくるまっても隙間風で震えが止まらない。酒で少しでもからだを温め、倒れるように寝入ることができれば御の字だ。
 そろそろ頃合だ、宿に戻ろうか――。
 腰を浮かしかけたが、右隣の男の声が、尻を床几に引き戻した。
「知ってるか? 無宿は捕えしだい、直ちに佐州送りになるそうだぜ」
 酒でわずかに温もったからだが、たちまち冷える。
「言われなくとも、とっくに知ってらあ。無宿の佐渡送りは、かれこれ十年も前から始まってんじゃねえか」
 どうやら、崎郎に話しかけたわけではなさそうだ。隣の男の向こう側から、返しがあった。それでも悪寒に肌が粟立つ。
「いや、違えよ。前は門前払いで済んだ者も、まとめて送られるって話だぜ」
「入墨と敲の上に、佐渡送りってことか? そいつはさすがにねえだろう。悪党ならともかく、宿無しってだけで島流したあ」
「ほら、前年、老中首座に就いた白河公が、無宿片付に躍起になっているそうだぜ」
「片付って、おれたちゃ物かよ。やってらんねえぜ」
 無宿とは宿無し。家や定宿をもたぬ者は、そう呼ばれる。浮浪者であり、菰被りと呼ばれる乞食であり、つまりは社会の最底辺にいる貧民だ。
 だが、いまの時代、誰もが無宿に陥ってもおかしくない。
「こう見えておれはよ、まっとうな商家で奉公してたんだぜ。なのに四年前の出替りで、いきなり暇を出されてよ。七年も真面目に働いたってのに、ひでえと思わねえか?」
「四年前ってえと……ああ、浅間山が火を噴いた翌年か。あの年の出替りはひどかったらしいな。人減らしのために雇い止めされて、多くの者が無宿になったと」
 大方の奉公人は、一年や半年の年季で雇われ、三月と九月に出替りとなる。年季を終えて、交替の期日となるのが出替りであり、真面目に務め上げ、当人が望めば、そのまま次の年季も働き続けるのが相場なのだが、四年前の出替りは雇い止めが相次ぎ、大量の無宿が市中にあふれた。
「文句を言いてえのは、こっちの方だぜ。いわば奉公人崩れの棒手振りが、雨後の筍みてえに増えちまって、おかげでこちとら商売あがったりだ。日雇いに転じたが、長雨続きで稼ぎもままならねえ。遂には無宿ってえ体たらくよ」
 恨み言ともぼやきともつかぬ文句が、ふたりの間で交わされる。顚末はさまざまながら、無宿人といういまの有様は等しく同じだ。枯葉のごとく地面に落ちて、風に吹き寄せられるように、この場所に吹き溜まった。
 この古川の河原に広がる明地は、増上寺裏と呼ばれる。川向こうにあたる北の対岸が、芝増上寺の山内であるからだ。南岸には、ひときわ大きな大名屋敷が林立する。
 そして武家と寺社という、この世の権力に挟まれて、もはや人ではなく、片付けるべきものとみなされた無宿が縮こまっていた。皮肉とも言えたが、誰もが今日を生き抜くので精一杯だ。そんな大局を悠長に論じるような手合いは、ここにはいない。
 無宿の狩込み、すなわち一斉捕縛はしばしば行われ、この増上寺裏でも、過去に何度か狩込みが行われていた。またいつ捕方に急襲されるかわからない。それでもここに舞い戻ってしまうのは、他に行き場がないことと、同じ無宿という立場の仲間がいるとの安心感からだった。だが、そんな安寧すら、容易く壊れる。
「だがよ、おれたちがこんな羽目になったのも、浮塵子のごとく江戸に押し寄せた、田舎者のためだろうが。今年は久方ぶりに、豊作だったんだろ? 連中が郷里に帰れば、こっちが職にあぶれることもねえ」
「まったくだ。田舎者は、とっとと去んでもらいてえや」
 男たちの情け容赦のないぼやきに、思わずからだが強張った。崎郎もまた、浮塵子の一匹だ。三年前、江戸に出てきたが、このご時世では半季の雇いがせいぜいで、日雇いの人足仕事で、どうにか食い繫いできた。
 たしかに今年は、ようやく五年にもわたる大飢饉を抜けたと伝えきいている。
 だが、所詮は小作の末弟に過ぎない身だ。仮に郷里に留まったとしても、嫁の来手すらなく、自身の生まれを呪いながら、惨めな生涯を送るのがせいぜいだ。いまの暮らしと何も変わらないが、それでも鬱陶しい村人の目がないだけ気が楽だった。
 二十四という歳に達して、やっと悟った。
 生まれが、出自が、人生を決める、たったひとつの賽子だと。その機を外せば、地べたを這いつくばる暮らしから、二度と浮かび上がれない。雁字搦めの運命の定めから、抜け出せない。
 村にいれば、自身を縛る綱を、否応なくつきつけられる。見ないふりができる江戸の方が、まだいくらかましだった。
『頼むから、村を出ていってくれ。おめえたちがいちゃ、村の者すべてが飢え死にする』
 そう名主から達せられ、小作の次男以下、ほとんどすべてが村を追い出された。
 自分たちだって、決して好きで江戸に出たわけではない。村を追われてやむなくだ。なのにどこへ行っても、邪険にされる。いらないもの、不埒者、怠惰の徒と侮られる。
 これまで溜めた鬱憤が、喉元までせり上がる。さっき胃の腑に収めた酒が、腹の底で熱を持ち、逆流でもしたように口からあふれそうだ。
 口からこぼれそうになったとき、座った床几が大きな音を立てて揺れた。
「ああ? 田舎者が何だって? もういっぺん言ってみろい!」
 左隣にいた者が、立ち上がりざま怒鳴りつけた。
「江戸者がすかしやがって! おれたち田舎者が作る米のおかげで、てめえらは腹いっぱい白い飯を食えるんだろうが!」
「だったら、とっとと田舎に帰って、米を作りゃあいいだろうが!」
「そうだそうだ、百姓にいつまでも居座られちゃ、迷惑だって言ってんだよ!」
 右隣のふたりも立ち上がり、息を合わせて応戦する。これに呼応して、いくつもの声が重なった。
「村に帰れだと? ふざけるな! おれの村はな、生き地獄みてえな有様だったんだぞ。食う物がなくなって、牛馬や犬猫はもちろん、虫や木の皮まで食うしかなかったんだ!」
「おれの村なぞ、半分以上が飢え死にして、残った者はすべて村を捨てた。もう人っ子ひとり、残ってねえんだ。帰りようがねえじゃねえか!」
 悲痛な叫びが、両側から耳を打つ。田舎の惨状は目を覆うばかりで、ことに陸奥の被害は甚大であったときく。だが、飢饉以前から江戸に住まう者にとっては、蝗のごとくふいに涌いた災難に等しい。押し寄せる群衆を抱えきれず、治安は目に見えて悪化し、盗賊が横行。米価の高騰と相まって、昨年遂に、空前絶後と言われた打ちこわしが勃発した。
 世相が荒れれば、その大本となった、咎人捜しに躍起になるのも世の慣いだ。
 その筆頭の槍玉とされたのが、無宿人だ。自分たちが盗みを働いたわけでもないのに、家がないというだけで、他人にそしられ憎まれる。その鬱屈を吐き出す相手は、同じ無宿の立場にいる者しかなく、こうした不毛な小競り合いとなって頻出する。
「田舎出の者は、直ちに生国に帰るよう、御上からも達されているじゃねえか。頼むから、出ていってくれ!」
「飢饉明けの村には、種籾すらねえんだよ! おれたちに、死ねって言うのか!」
 左の男が、右の男の胸座を摑んだ。暗さに慣れた目と、気配が捉える。両者に挟まれて、呆然とした。このままでは乱闘になる。わかっているのに、尻は固い床几に張りついて離れない。立ち上がって、両者のあいだに割り込めば、崎郎が巻き込まれ殴られかねない。
 先刻、喉元までせり上がった酒に似た熱いものが、とんでもない形になって口から吹き出した。
「チャッキラコー打ーつーにーはー、きりりーとーしゃんーとー。ここーはーよーつーかーどー、人ーがーきーく」
 歌は決して、得意ではない。いや、むしろ苦手としている。なのに調子っぱずれな音は、自分でもびっくりするほど大きな声となって、喉からほとばしる。
「ござれーごーざーいーそー、よらーんーせーおはーまー。参りゃーしゃーんーせーよ、もーとみーやーへ」
 怒号は噓のように鳴りをひそめ、誰もがぽかんとした顔で、歌の主を見詰めている。暗くて表情は読みとれなくとも、辺りの気配でわかった。いまさらやめるわけにもいかず、半ば自棄クソになって続けたが、ふいに左の男が、ぶはっと吹き出した。
「また、へったくそな歌だな。ここまで不細工な音は、きいたためしがねえや」
 笑いながら、胸座を摑んでいた手を離す。離された方もやはり、笑っていた。
「まったく、きいちゃいられねえや。耳が腐っちまわあ」
 ひどい言われようだが、言葉のわりに悪意はない。笑いはさざ波のように広がり、鰻の寝床に充満していた怒気が失せ、空気が緩む。その折に、渋い声が問うた。
「おまえさん、三崎の出かい?」
 声は酒瓶の方からきこえ、店の親父だと察した。
「へい、さいでさ。さすが親父さん、よくおわかりで」
 下手な歌をきかせてしまった。この親父の前では、にわかに申し訳なさが募る。
「親父、歌を知ってんなら、験直しにひと節頼まあ」
「よ、待ってました! 自慢の喉をきかせてくれや」
 あちこちから催促の声がかかり、期待がふくらむ。
 この屋の親父はいたって無口で、四十なのか六十なのか、年齢すらはっきりしない。ただ、いったいどこで覚えたのか、諸国の民謡を非常によく知っていた。さらには喉もいい。
「歌の文句の半ばは、忘れちまったが……」断りを入れて、歌い出した。
  チャッキラコ打つには きりりとしゃんと ここは四角人が聞く
  御座れ御座磯 寄らんせ御浜 参りゃしゃんせよ本宮へ
 チャッキラコは相模国、三浦郡三崎で正月に行われる、豊漁・豊作祈願の奉納舞である。色紙を細竹に巻きつけ、両端を房にした綾竹をチャッキラコといい、これを手にして踊る。
  綾を落とすな踊り子衆さまよ ひとり落とせば皆の恥
  めでためでたが三つ重なれば 中は鶴亀五葉の松
 渋く嗄れた声ながら、節回しは巧みで、何よりも心がこもっている。幼い頃、耳に馴染んだ故郷の曲を、朗々と歌われて、不覚にも涙がこぼれそうだ。気づけば他の客たちも、妙にしんみりして、歌に耳を傾ける。
 正月の目出度歌なのだから、気分が高揚するはずが、何故かこの親父の歌は、聞き手の心に深くしみわたり、望郷や懐古の情を呼び起こす。
 親父がチャッキラコを歌い終わると、さっきまでの喧騒が噓のように、鰻の寝床は静まりかえっていた。誰よりもいきり立っていた左の男が、ぐしっと洟をすすった。
「相変わらず、いい喉だな、親父……へへ、何やら餓鬼の頃を思い出しちまった」

(続きは本誌でお楽しみください。)