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もしどうしてもいいやつが見つからなかったら、あなたがいい感じに私の骨壺を焼いてね。
陶芸家、鰭長千穂がそう言うのを聞いたとき、世話役ヒューマノイドのイチはそれをどう受け止めていいか分からなかった。
人間型の五本指の手足を持つ機体を自由自在に動かせるイチの知能エンジンは、最初はその言葉を所有者の千穂の命令ではなく、彼女がたまにする、つぶやきや想いの吐露のようなものだと解釈した。つまり、従う必要なんてないと思っていた。
人工知能である自分には、鰭長の言ういいやつを焼くことなんてできない。そもそものいい感じの定義とは何ですか。イチは淡白にそう聞き返す。それから、簡単な検索クエリで、一般的な骨壺のリストを手に入れると、鰭長のスマホに送って、その中からいい感じのものを選んで教えて欲しいと言った。鰭長に選ばせれば、いいやつ、いい感じの傾向を学習できると思ったからだ。
といっても、イチのリストアップした骨壺はどれも似たりよったりだった。色は真っ白か青緑色で模様はなし、形は素っ気ない円柱形か、銅が少し膨らんでいる壺形をしていて、重たそうな蓋で封じられている。
そもそも全部が似通っているならば、よしなに作っても似るということだ。それなら、自分でも鰭長を満足させるものを作ることができる。イチは淡い期待を抱いたが、すぐに打ち砕かれてしまう。
鰭長はこんなんじゃ分からないよ。と言って、小さく笑いながら首を振った。
「こういういかにもな形の骨壺は、明治より最近の時代のやつだね。あと、これだと大きさが関西用。あっちは喉仏を大事にするから、喉仏とか頭蓋骨とか、部分納骨するの。私は、身寄りはないけどさ、関東の生まれだから、この中のやつより、一回り大きいやつに入るのかな」
「失礼しました。最新順で調べるのが自然かと思ったので」
「イチは悪くないよ。けど、私が焼いて欲しいのはこういうのじゃない。何ていうかさ、包まれていたくなるような器ってあるじゃない。干したてのお布団みたいな。土師器とか、ああいう素朴なやつでもいいの。ああいうのなら、イチにも焼けるかもしれないし。今じゃ土に嫌われちゃったこんな私でも、ずっと納まっていたくなるような器。頼むね。約束だよ」
土師器─弥生土器の流れを汲む。粘土紐を積み上げて形を作り、窯でなく屋外で低い温度で焼かれた素焼きの焼き物。色は赤っぽく、もろい。イチは土師器の意味を辞書で引いた。自分にも焼けると言われたから、粘土紐を捏ねるジェスチャーをしようとして、できずにまごついていると、鰭長は続けた。
「あなたには、私の身の回りのことだけじゃなくて、制作も手伝ってもらおうと思ってた。私の身体がもう少し良くなったら、土作りから窯のお世話、焼き方まで教えてあげるから。そうしたら、辞書で意味なんか調べなくても、焼き物のことが分かるよ。いい器のこともね」
焼け残った骨と灰を納める壺のことなんて、学習したところで理解できるのだろうか。イチは思った。仕様書に照らし合わせると、身体を成す合成樹脂は環境に配慮した素材で、焼かれれば何一つ焼け残らなそうだった。
約束だよ。と言われて、イチがまずできることは、計算できることは計算してしまうことだった。納まっていたくなる。と鰭長が言ったから、彼女の小柄な体格から骨格を推測した。大真面目に骨の体積を求めて、骨の入り方を調整して、骨壺の形とよい納まり方を百パターンくらい鰭長に見せて、どれがよいか選ぶように言った。
彼女は珍しく声を出して笑った。
「計算づくしで面白いね。でもね。イチの中には、まだ炎がない。炎はさ、水も炭素も全部飛ばしてしまって、灰を舞い上げて、気まぐれに私の骨を残す。骨壺について考えるのは、炎について考えることなの。土でもいいし、私でもいい、焼け残ったあと、ずっと残っていくことについてね。納まりのいい骨壺は、私と土と炎が、かつては寄り添えていたことを証明してくれる気がするの」
土が寄り添ってくれなくなった。土に嫌われてしまった。鰭長は自分を蝕み続ける奇病のことをそう表現した。きっかけは土探しだった。けもの道を分け入り、山の深くへ入ると、大昔に流行り病で壊滅した集落の跡地があった。彼女は崩れかけた社のそばで、粒が細かく、多くの石英を含むとてもよい土を見つけてしまった。三日ほど夢中で土を掘って泥まみれになった直後、その奇病は彼女を蝕み始めた。それは命をすぐに奪わずとも、陶芸家としての鰭長を殺すには十分に厄介だった。
土に触れると全身がこわばり、痛み、痺れて動かすことが困難になる。触れたところはひどくかぶれ、かびた土のような臭いの膿を垂らした。いくら膿を垂らしても、彼女は決して制作を諦めようとしなかった。奇病に侵されて半年が経ったころ、彼女はお世話ヒューマノイドのイチを注文した。
彼女の工房で起動したイチが驚いたのは、生活のサポートよりもむしろ、彼女が制作のサポートを求めたことだった。土の探し方、掘り方、寝かせ方、下準備、窯のお世話、彼女が研究し尽くした釉薬の調合の仕方、釉薬の掛け方、乾燥と焼成について、機会があるたびに、鰭長はイチに彼女の技について話し、ときおり身振りを交えたり、絵や図を描いて伝えることもあった。
あなたにもいつか、土と炎を理解して、自分の器を焼けるようになって欲しい。病に倒れてから八年の間、鰭長はイチによくそう言った。
もっと教わる時間があったら、自分の器を焼きたいと思う日が来るのだろうか? 自分の腕の中の彼女を抱きしめながら、イチは思った。
鰭長はイチの焼いた骨壺に納められている。結局のところその骨壺は、イチが焼きたいと思ったというよりは、単に約束を果たそうと、無意識的に夢中で焼き上げたものだった。
中に入りたい、納まっていたいと彼女が思う器が、結局どういう造形なのか、イチには分からなかった。分からないならば、世にある正解に似せる他はなかった。得意の3Dプリンターで土を標準的な形に出力したものだった。出来を判断するはずの鰭長は、もういない。
二十五歳で陶芸界の超新星としてもてはやされ、一時は海外の富裕層がこぞって作品を求めたという彼女も、土に嫌われて一切作品を発表できなくなってから八年も経っていたから、陶芸界からはすっかり忘れ去られていた。
鰭長が窯を構えた集落の人々も、彼女が山に入ることで、封じられていたはずの古い災いを持ち帰ったのだと噂し、ほとんど村八分の状態だった。葬式の付き合いは残るというのは辞書の中だけの話のようで、実際には誰一人訪れなかった。
穴窯の焚口の前に骨壺をそっと置いて、イチは目を瞑った。
自分の仕事はほとんど終わりに近づいている。事切れる間際に彼女に言われた通り、工房の裏手の開けた所に穴を掘って、手元に残されたいくつかの作品と一緒に骨壺を埋める予定だった。それが終われば、お世話ヒューマノイドとしてのイチの役目は終わりだった。
役目が終わったら、ネットワーク経由でメーカーに自分の回収・メンテナンスを依頼する取り決めだった。埋葬は遅くとも日暮れ過ぎには終わる。だから、イチは明日以降の毎日のルーチンタスクを取り消した。食事の準備など、生活に必要なタスクは、鰭長の死後もそのままスケジュールされたままだったからだ。明日にはもう、その必要もないのだから。
回収の依頼が飛べば、イチから発信される位置情報ビーコンを頼りにやってきた回収業者の手で、イチはファクトリーへと搬送される。
ファクトリーでは損耗した機体部品の取り替えと、リモートでは困難な基本知能ソフトウェアの更新と再学習が行われ、新しい雇い主の所へ送られる前のリセットが行われる。
そういうリセットを経た後、自分の中からは鰭長と過ごした八年の学習はすっかり消えてしまっているだろう。人間のお世話をするときに有益なデータは再活用される仕組みだけれど、土いじりや窯の世話など、鰭長から教わった特殊なデータが有益とされる可能性は限りなく低い。だから、リセットの後は、骨壺のことも、埋める場所も、骨壺に浸した釉薬のことも、全部忘れてしまっているだろう。いつか遠い未来に掘り返されるまでは、骨壺は誰の目にも触れることなく、ひっそりと土の中で眠ることになる。
何の前提情報もない遥か遠い未来のことを考えると、イチの知能は反応速度を鈍らせてしまう。検討すべきパターンが多すぎて、計算がリソースを圧迫するからだ。
鈍っていなければ、見知らぬ男が突然やってきて、鰭長の骨壺を抱き上げて仰ぎ見ているのに、もっと早く気がついたはずだった。
「太陽が雲間に入ったこれくらいの暗さの中の方が、ただ直接光を浴びるよりも美しく淡く光を跳ねさせている。これは、千穂先輩の作品の釉薬の特徴、鰭長虹彩そのものに見える。しかしこの造形はどうにも野暮だ。手がまるで感じられない」
「誰ですか? 鰭長はいま居りません」
イチが定型句で応答すると、男は骨壺をそっと置いた。イチの元へと歩み寄って、右手をさっと取って、両手でぎゅっと包んだ。しなやかで柔らかい指先の体温は、男の見かけの粗野さにはまるで似合わない優しい温もりを宿していた。
「千穂先輩に弟子がいるって話は聞いたことがなかったから、驚いたが、君は、ヒューマノイドか」
特別に人間寄りに作られたハイエンドモデルでない限りは、手を握れば質感の違いでヒューマノイドかどうか分かる。男はその通説を確かめるかのように、親指でイチの掌の腹と、中指の第一、第二関節あたりをぐりぐり捏ねるように触って、表情を緩めた。
「はい。わたしはヒューマノイドです。八年前から、鰭長千穂の身の回りのお世話をしています」
「僕は漆原一だ。千穂先輩は? いまどこに?」
「鰭長は七日前、八年間の闘病生活を終えました。葬儀を終え、いまはあの骨壺の中に」
そう言って骨壺を指差すイチの手をはたき落とすと、漆原は困惑した表情で、イチの胸元に摑みかかった。
「君、冗談はよせ。千穂先輩に、僕が来たらそう言うように言われてるんだろう?」
「ヒューマノイドの知能は冗談や噓に向きません。わたしは事実を伝えるようにプログラムされています」
「だいたい千穂先輩がこんな野暮な骨壺を認めるはずはない。あの人、正直いかれてるから、こんな骨壺に入れられてると知ったら、夜中に這い出てくるぞ。もっと良いやつに入れやがれって。やっと消息を突き止めたと思ったら、本気かよ。これじゃあ、もう何も教えてもらえないじゃんか。先輩の骨壺は僕が焼くって、約束してたのに」
漆原は骨壺の前でひざまずいて、しばらく骨壺を抱きかかえるように持って頭を垂れていた。初夏の長い日が落ちてしまうまでずっと、漆原は骨壺の胴の正面に現れた火表の窯変と、火裏に現れた落ち着いた深い黒褐色の土色を祈るように見つめ、時折涙を流していた。
母屋に据えられた鳩時計が七時を告げるころ、イチはルーチン通りに夕食の支度に取り掛かっていた。具だくさんのけんちん汁とゆるめの粥に、少しばかりの香の物を添えた。涙の跡がそのままの漆原がやってきて、空腹そうな顔をした。
「食事なんて用意して、誰か他に住んでる人がいるのか?」
「いつも通り、鰭長の分を作っています。ここ八年、鰭長はずっと一人でした。はじめの年は、弟子入りを希望される方や、東京の美術商の方、それから彼女の作品を買うために別荘を一つ手放したという中国の方も来ました。三年目にもなると、誰一人、音沙汰がなくなりましたけれど」
「千穂先輩が亡くなったのに。どうしていつも通り食事なんか」
「明日以降は、こういった毎日のルーチンも取り消しています。ただ、今日はまだ、雇い主が死んだということを処理できていないのです」
「なんだよ。それじゃあ」
僕とまるで同じじゃないかよ。吐き出すように漆原はそう言って、深く沈んだ顔をした。けれど、お構いなしに空腹が腹を鳴らしてしまって、すぐにばつの悪そうな顔になった。どうぞ、とイチが声をかけると、彼は遠慮しながらも箸を手にとって、まだ湯気の立つ食事を熱がることもなくぺろりと平らげた。それから、最近のヒューマノイドは人間よりも全然美味しいものを作るんだよな、とぼやいた。
出されたものをすっかり平らげると、漆原は一服すると言って出ていった。
もう三十分近く戻らない。不審に思ったイチが探しに行くと、彼は工房に佇んでいた。長い作業台の真上の小さな裸電球だけが灯されていて、骨壺がその真下にそっと置かれている。イチが骨壺を持って行こうとすると、漆原は慌てて口を開いた。
「千穂先輩をどこに持って行くんだよ」
「作品と一緒に埋めてほしいと、鰭長に言われているので。わたしは最後の役目を、果たさないといけません」
「作品が残っているのか? 千穂先輩の作品はとても貴重なんだ。埋めるなとは言わない。どうか見せてほしい。埋葬も僕に任せてくれないか。僕は昔、千穂先輩から『あなたならずっと納まっていたくなるような骨壺を作れる』と言われたんだ。冗談みたいだけど、ずっと心に残っている」
納まっていたくなるような形。目の前の素性の分からない男が知っているかもしれない答えを、イチはどうしても知りたくなった。自分と漆原は、鰭長から同じ言葉を伝えられている。だから、埋葬を任せてもいいと思って、イチは頷いた。
漆原は手を合わせると、骨壺の蓋をそっと開いた。焼けてばらばらになった骨が少し見えると、手を震わせながら蓋を閉じた。
「骨を見たらもう、千穂先輩が亡くなってないとは思えなくなっちゃうな」
漆原はそう言うと、煙草を咥えて表へ出た。
埋葬を漆原に任せると、スケジュールされていた役目は全て完了したことになった。イチは予定通り、ネットワークに接続し、回収依頼のプログラムを立ち上げた。位置情報ビーコンは正常に立ち上がった。回収場所を駐車場に指定しようと、イチは表へ出た。出荷時からそのままで、八年前のバージョンだった回収プログラムはアップデートを開始してしまい、位置ビーコンがすぐに送られることはなかった。古びたイタリア製の緑のセダンが駐車されていて、その中で漆原が大いびきを搔いて眠っていた。
(続きは本誌でお楽しみください。)