かくて汝は孤独となり

小野寺久二(一九六二―)。日本の画家。

 工業高校を卒業後、株式会社相原紙業に就職。工員生活の傍ら油彩の修業をつづけ、五十歳の誕生日を機に、余生を絵画一筋に生きようと決意。インスピレーションを路上生活に求めて各地を放浪した後、大阪を拠点に創作活動を行ってきた。平成二十六年度風の都ホール美術展に『山を下ったシッダールタ』が入選。物語絵をリアリズムの手法で描いた作風が評価された。その後も第四十八回国際N・K・B芸術祭では最優秀賞を、第六十三回東京国際美術展《円徳院》では初出展で国際大賞を受賞した。ギャラリー《アシジ》《ドンファン》などでも不定期に個展を開いている。


 インタビューのため待ち合わせた街角に、気怠そうに自転車のペダルを漕ぐ男が現れた。耳から顎まで白い髭が目立つ、メッシュ・キャップを目深に被った、晴天でもビニール合羽に身を包む、それが小野寺画伯の姿であった。

 通りには、耳障りな金属音が響いていた。見ると、画伯の乗る自転車は、後輪が剝き出しなのである。アスファルトを削るような調子で、銀色の車輪はきぃきぃ回転していたし、歩道の段差で車体が揺れる度に、荷台に積まれたゴミ袋の中で、空き缶の山がガチャガチャと搗ち合っていた。だが小野寺画伯に、そんなことを気にする様子は微塵もない。

 キロあたり九十数円のアルミ缶は、ゴミ袋に目一杯詰め込んで、ようやく三キロに届くかどうかであるという。パンパンに膨れあがった袋を荷台に積み上げてゆく。そうして明け方から拾い集めた空き缶を、今度は金属スクラップ工場へ持ち込むのだが、これがまた結構な距離を走るのだ。われわれは小走りになって同行した。

 背の荷の重みのためだろう、小野寺画伯は自転車のペダルを漕ぐのにも均整を保つのに少し手こずるようだった。やがて国道沿いに銅板で囲われたスクラップ工場の敷地に辿り着いた。辰巳商会エコセンター、と大きな看板が掲げられている。砲金、亜鉛に銅線、鉄粉、高圧ケーブル等々と、金属関係ならどんな物でも買取を行っているらしい。入り口には立て看板があった。《高価買取中、その場で現金!》

 その言葉通り、ここで小野寺画伯は僅かばかりの現金を手に入れるのだった。事務所で受け取った明細には、八百四十円と記載されていた。アルミの相場が少し下がったからといって、愚痴をこぼしたりもしない。その手で拾い集めた空き缶を、錆びだらけの秤に載せて、勘定された割り前を握りしめる。それで腹は満たせるし、夜も明かせる。贅沢を、あるいはまた人並みの暮らしでさえ望まなければ、これでも十分な額なのだ。

「世の中、そう甘くないですやろ、そやからまぁ、これでも御の字ヤ」

 小野寺画伯は明細をしげしげと眺めながら、低いしゃがれ声で言った。

 辰巳商会エコセンターからの帰り道、さっそくインタビューをはじめることにした。尚このインタビューによって、小野寺画伯の知られざる来歴が明らかとなったのであるが、本人もこれを公にすることを承認してくれた。この承認には曰くがあり、画伯の、生来の二面性からくる矛盾なのだろうか、

「センジツノケンキジニスルナヨロシク」

 と、すぐに承認撤回の電報が編集部に届いた。電報文がカタカナであることはもちろんのこと、相手が携帯電話を持たない孤高の芸術家である、ということをも失念してしまっていたわれわれは、そこですぐに小野寺画伯に連絡をとれない、という事態に直面し、さらには画伯が、あの電報代のために一日分の稼ぎを費やしたという事実にも、愕然とさせられた。締め切りの迫った編集長は地団駄を踏みながら、取り急ぎ当該箇所を削除することを判断した。すると─。

「モトイ。キジニシテ、ヨシ。スミマセン」

 今度は、なぜか句読点つきで届き、翌日には、

「先日から度重なる申しつけ誠にすみませんが─」

 と、ここまでは良かったが……、

「─やはり記事のこと何卒よろしくお願いいたします」

 われわれは会議を開いた。が、しかし、やはりの意味がどうしても分からず、仕方なく担当者は新幹線で関西へ直行し、小野寺画伯のアトリエを訪ねた。そこは〝クズ屋のタツやんがおらん間、使わせてもらってますネン〟という、私有地なのか、公有地なのか、とにかく公園の隣の空き地に建てられた、山小屋のような作りの〝一国一城(本人談)〟である。乱雑な室内は、画伯の制作途中の作品で埋まり、合皮の裂け目から綿が見える折り畳みのパイプ椅子が二脚、入り口の近くに置かれているだけである。インタビューは主に、この聖なる工房の中で行われたのであった。とにかく、そうして、ようやく担当者は、画伯から掲載の承認を得たのであったが、これほどまでに画伯を動揺せしめたものが、一体何であったのか……それは本記事を読み終えたとき、読者も知ることになるだろう。

・路上生活の現実

─やはり最初は大変な苦労があったと思います。

「金のある頃は何とも思わんかったけど、紙代というのが馬鹿にならへんの。収入が途絶えると。それで私はオフィス街をまわって、集めましたよ。クズ紙回収ということで」

─スケッチ用に使われるものですか。

「そうヤ。紙集めるだけでも大変ですネン。はじめはどこも相手にしてくれませんでしたよ。いくら頭下げても、踏ん反りかえってばかりでね。そやからいっぺん根比べしてやれと思って、朝から晩まで会社の前でスケッチ描くようにしましたよ。見知った社員が目を伏せて通る、その度に私も声をかけて……。とうとう根負けしたのは会社側です。まとめてクズ紙を渡してくれるようになった。他にも数軒、同じようなことをして……有り難いことです」

─……執念、でしょうか。 

「いやそうでもしないと、空から紙が降ってくるわけもないから」

─現在の生活に慣れるのは早かったですか。

「そこの公園に、つい最近まで詩を書いてはる人がおりましたんヤ。ホームレスでね。その人が親切で、この辺りの寝床や餌場やって手とり足とり教えてくれはった。それで慣れるのも割かし早かったし、そうか、こういう生き方もアリなんやなと思えた。その人も一日中、街なかに座り込んで詩ばっかり書いてた」

─その方はなぜ路上生活をはじめるようになったんでしょう。

「友達の連帯保証人になったのが運の尽きやと、よう仰ってました。人がよいからころっと騙されてしまうんやないかと思う。心が素直というか。まぁ、詩人ですさかいなア」

─……いまのお暮らしで不便なことはありますか。

「メシかな……。ほかにはそうね、週にいっぺんは銭湯も行くし散髪はずっと我がの手でやってるし……。そんな不便なことないですよ。服もまぁボチボチ事足りてますし」

─服はどうされているんですか。

「服は仰山ね、捨てられてることあるよ。ホンマに金のない時はたっぱの合うもんは拾って着るようにしてました。……そやけどメシだけは何とも……」

─お話をうかがっていると、食べることの必死さが伝わってきます。

「今は、カフェで米を炊いてるから、そんなに飢えることもないです」

─カフェでお米を?

「リサイクルショップで炊飯器が安かったんで、生活の知恵かな。カフェのテーブルにコンセントあるでしょう。そこへ炊飯器のコード差し込んでね。早炊きで三十分ほどもしたら炊けるから。それを手塩でお握りにして……」

─毎日、カフェでお米を炊いてらっしゃるんですか。

「いや、さすがに毎日はやりませんよ。そっと客のふりして入って行くんやけど、バイトの姉チャンらも見て見ぬふりしてくれてます。人のやさしさですわね。だから四日に一回……夏場は日持ちせんからもう少し行くこともあるけど。まぁ、とにかく大事なのは米を食うことヤ。米さえ食えたら生きていけるから。畳一畳、米三合いう言葉もあるわな。その畳一畳かって私は持ってやしませんが……」

─まさにその格言を地で行く生活ですが、すべては描くためなんですね。

「まぁとにかく一日中描くにはこれがいちばんですネン。時間に余裕があるのがいちばんやから。私なんか朝の四時から、暗いうちから三時間ほど缶集めてまわって、それで何とか食わしてもらえるんです……。ほしたら、うちのアトリエへ行きましょうか」


 さて、そこは公園に隣接する空き地の一角である。雑草が伸びる土地に小屋が建っている。板張りの雑な作りで、屋根にはブルーシートが張られている。そこが小野寺画伯のアトリエで、隣には寝所があった。物干し竿を、幾つか公園沿いのフェンスに引っかけ、その骨組みに、ここにもブルーシートを張った、簡素なテントの中に、マットレスが敷かれているが、この寝床を取り囲むように、プラスチック製のカラーボックスが壁代わりに積み上げられている。その中には缶詰の空き缶が並んでいた。油つぼ代わりに使っているのだという。


─いまのお住まいに移ったのは?

「クズ屋のタツやんが急におらんようになったんでね。我楽多が仰山ありましたよ。タツやんの置いてったもんです。私がそれを片づけて」

─タツやんというのは誰?

「えらい世話になった男です。クズ屋のタツやんとはこの公園で出会ったんです。はじめから私はそこの小屋をアトリエに使わせてくれと交渉した。なかなか頑丈な作りですやろ。どうしてもアトリエが欲しかったんで、タツやんのクズ拾いを手伝うことを条件に間借りさせてもらってたんですわ。缶拾いも、タツやんに教えてもらったんです。そういえばタツやんは見た目からは想像つかん博識やったな」

─博識のタツやんはどこへ行ったのでしょう。

「私のほうでは見当もつきませんネン。何人か消息を尋ねて来られた方もいましたよ。仕事関係かな、知らんけど。まぁ帰ってくるまでは私が留守を預かってるんですわ。助かってますよ、おかげで絵の置き場所に困ることもないから」

─やはりアトリエは、必要なんですね。

「あったほうが具合ええね。絵描きには絶対といってもいいかも分からん。どうしたって〝気〟のようなものを封じ込めておかないと、そこら中に飛び散らしとくわけにはいかんので。〝気〟を閉じ込めておくための場所というのはやっぱり絶対必要なんです。はじめはアトリエなんか無くってもと思ってた。けどやっぱり絵描きには要るわな」

(続きは本誌でお楽しみください。)