第一章 臓器を待つということ

 心臓病の専門病院、「首都ハート医療センター」は、新宿区大京町にあり、八階の個室からは広大な新宿御苑のイギリス風景式庭園が見下ろせる。そのはるか一キロ先には、ペンシル型の注射器を思わせるNTTドコモ代々木ビル、通称ドコモタワーが立っている。
 VIP専用の特別室には、見舞客のためのソファセット、三面鏡付き洗面台、冷蔵庫にミニキッチンが備え付けられている。私物用ロッカーの側面には、燃え上がるような緋色のコスチュームが掛けてある。
 それは池端麗が今年の三月、世界選手権で三位入賞したときに着用したものだ。
 麗はベッドの背もたれを起こし、コスチュームにちりばめられた火焰のようなストーンを見つめる。フリーの曲は、映画「風と共に去りぬ」から「タラのテーマ」。コーチのミハイルが、麗にはスカーレット・オハラのような気丈で気高い令嬢のイメージがピッタリだと選んでくれた。
 それから半年もたたないうちに、機械とチューブでベッドにつながれる生活になるなんて、だれが想像しただろう。
 ミハイルの指導がはじまったのは、昨年の四月。世界ジュニア選手権で優勝した直後からだ。ジュニアグランプリファイナルでも二位だった麗に、ぜひコーチをしたいと、フィギュアスケート指導者のレジェンド、ミハイル・ジルキンからの奇跡のようなオファーだった。
 それで麗に対するメディアの注目度は一気に上がり、取材やインタビューが相次いだ。将来のオリンピック金メダル候補。だれもがそう期待した。過熱するメディアを避けるため、麗はシニアに上がるタイミングで練習拠点をカナダに移し、母親とともにはじめての海外暮らしをはじめたのだった。
 麗はこの五月に十八歳になり、日本から来てくれた父親と祖母らにバンクーバーでの誕生日を祝ってもらった。その後、ミハイルがビザの関係でいったんロシアに帰ったのを機に、麗も家族とともに帰国して、二ヵ月の休暇を日本ですごすことになった。休暇といっても、もちろんリンクに出ない日はない。十月にはジャパンオープンとグランプリシリーズがはじまるし、十二月には全日本選手権、年が明ければ四大陸選手権と続く予定だった。
 ところが六月に入ってすぐ、横浜のリンクで早朝練習をしたとき、麗は異様な靴の締めつけを感じた。早朝練習でスケート靴をはくときに入りにくいことはよくあるが、脱ぐときにも締めつけられることは今までなかった。力を込めて脱ぐと、ふくらはぎに一センチほどの段がついていた。
 それ以前にも下肢のむくみは気になっていたが、ベッドの足元を三十度ほど上げて寝ると軽快した。ところが今回はむくみが引かず、風邪でもないのに妙に咳き込むことが増えた。
 七月最初の日曜日、練習中に突然、呼吸困難に襲われ、救急車で近くの個人病院に運ばれた。このときは「過呼吸症候群の疑い」と言われ、一日の入院で終わったが、その後も息苦しさと咳発作が波のように押し寄せ、やがて階段を上るのにも苦労するようになった。
 休暇を延長して大学病院を受診すると、即、入院となり、検査の結果、告げられた診断名は「拡張型心筋症」。しかも急速に悪化するタイプで、すぐに首都ハート医療センターへの転院を勧められた。
 拡張型心筋症は心筋が薄くなって心室が拡張し、心臓のポンプ機能が低下する難病である。治療は内服薬のほか、カテーテル治療や弁形成なども行われるが、症状が悪化すると、補助人工心臓の装着が行われる。拡張型心筋症の五年生存率は七○パーセントを超えるが、補助人工心臓をつけた場合、血栓や感染、不整脈の発作が起きれば、突然死する危険性も低くはない。残る治療法は心臓移植のみということになる。
 転院のあと、麗は内科的治療やカテーテルによるアブレーション(心拍数を抑えるために、伝導路の一部を焼く治療)を受けたが、症状の悪化は止められず、ついに先月、九月十日に体外型の補助人工心臓を装着する手術を受けた。埋め込み型を使わなかったのは、左心不全に引き続き、右心不全の危険性もあったからだ。
 これで彼女はベッドの横に置かれたポンプの駆動装置に、五メートルほどのエアチューブで結びつけられることになった。


「失礼します」
 ノックが聞こえ、スライド式の扉が開いた。
 入ってきたのは、麗を担当する臓器移植コーディネーターの立花真知だ。彼女は月曜日と木曜日の午後にようすを見にくる。二十九歳、独身、元看護師で、移植コーディネーターとして三年目。それが雑談の中で、麗が知った真知に関する情報だ。
「今日は気分、どうですか」
 記録用のタブレットを開いて、真知が訊ねる。はじめはいつも丁寧語だ。
「大丈夫。熱も出ていないし、足のむくみもないし」
「よかった」
 空気が緩むと、徐々にタメ口に移行する。
「夜は眠れてる?」
「それも大丈夫。食欲もあるし、イライラもないから」
 麗は目を細めて口角を上げる得意の笑顔を作る。それを見て真知も微笑む。
「フィギュアスケートのことはよく知らないから、少し調べてみたの。コーチのミハイル・ジルキンさんて、すごい人なのね。今まで何人もゴールド・メダリストを育てているんでしょう」
「そう。わたしなんかが近づける人じゃないの。でも、ミハイルのほうからコーチしたいって言ってくれて」
「ミハイルって呼び捨て? 六十歳近い大ベテランなのに」
「海外ではみんなそうだよ。ミハイルコーチとか、先生とかつけたがるのは日本だけ」
 ミハイルとの契約は二年なので、今のところ母親の光子が詳細を明かさず保留にしてくれている。心臓移植で復帰できる可能性もゼロではないからだ。
「ジルキンさんは今、ロシアにいるらしいわね。そのほうがいいかも。マスコミに入院のことを嗅ぎつけられにくいから」
「マスコミに見つかったらいやだな。あの人たち、スケートのことなんかどうでもよくて、興味本位みたいなことばかり聞くでしょ。もし取材に来たら、病院でシャットアウトしてくれないかな」
「もちろんよ。池端さんは半分面会謝絶なんだから」
 真知は気安く麗ちゃんなどと呼んだりしない。それはありがたいけれど、何気ない一言が胸に刺さる。半分面会謝絶ということは、それだけ重症ということだ。麗は主治医の市田俊郎の言葉を思い出して、投げ遣りな気持ちになった。
「市田先生も言ってた。わたしの心臓は末期だって。だからあとは心臓移植しかないって」
 市田は医局の若手で、優秀そうだが人の気持ちがわからないところがある。真知も信頼できる先生なんだけど……と、クエスチョンマークをつけていた。
「市田先生、そんなこと言ったの。がんじゃあるまいし、心臓に末期なんてないわよ」
「でも、心臓移植しかないっていうのはほんとうでしょう」
「それは、そうだけど」
 真知が言い淀んだので、麗はわざと甘えた調子で話を変えた。
「真知ちゃんてお化粧上手だね。自然で個性的」
「そう?」
「わたし、試合のときの濃い化粧はできるけど、ふつうの化粧ができない」
「ちょっとプロのコツを勉強したからね」
「プロのコツ?」
「看護師になる前、わたし、化粧品メーカーでBAをしてたの。ビューティ・アドバイザー。デパートでお客さまに化粧のデモをする実演販売員。でも合わなくて、社会人編入で看護学部に入り直したの」
 転職組かと、麗は興味を持つ。
「なんで看護師に?」
「もともと医療に憧れがあったからね。ドクターは無理だけど、ナースならと思って」
「移植コーディネーターになったのは?」
「一ノ瀬先生の影響かな。心臓移植の現場を見てると、すばらしいって思うでしょ。一ノ瀬先生に、君は移植コーディネーターに向いてるんじゃないかって言われて」
 一ノ瀬徹也は、移植医療部門のトップ兼、三人いる副院長の一人だ。麗の病室には副院長回診で何度も来ている。短軀だががっしりした体型で、いかにもエリートという風貌だけれど、言葉に少し訛りがある。常に自信満々で、判断も速く、患者にすれば頼もしい存在だが、麗は好きになれなかった。無意識に自分と似たものを感じるからかもしれない。
「さっきの話だけど、池端さんは移植を焦ってる?」
「別に。焦っても仕方ないもん」
 ふたたび得意の笑顔を作る。
「えらいわね。待機患者さんは、わかっていても不安定になりがちなんだけど」
「脳死って、交通事故とか脳卒中とか、突然なることが多いって真知ちゃんも言ってたでしょ。だから直前までわからないって。なら、明日にもドナーさんが現れるかもしれないじゃない」
 移植がだれかの死を待つことだということくらい、言われなくてもわかっている。これまでさんざん聞かされた脳死の知識を並べると、真知は大袈裟にうなずいた。
「さすがは超一流のアスリートね。そうやって前向きな気持ちでいたら、きっとドナーが現れるわよ」
 麗は表情を動かさない。真知は軽く一礼して、何かいいことでもあったかのような軽い足取りで出ていった。


 重いため息がもれる。
 ここに来るまで、どれだけ泣き、苦しみ、叫んだことか。不幸の塊を無理やり吞み込んでいることを、あの移植コーディネーターはまるでわかっていない。
 メディア用の噓の笑顔。何度も繰り返し練習をしたからすぐに作れる。それが仮面だと、彼女は気づかずに出て行った。
 ――どんなときでも、最高の笑顔を浮かべなきゃだめ。わがままだとか、お高くとまってるとか言われて、不機嫌な顔をしたら、その写真を広められるんだからね。
 元フィギュアスケート選手の母からは、いろんなことを教わった。世間とメディアの恐ろしさ。成績がいい間はすり寄ってくるけれど、ひとつ対応をまちがえると、とんでもない仕打ちをする。あるオリンピック水泳選手は、メダルにこだわりすぎるとメディアを批判したため激しいバッシングを受けた。質問に「別に」と無愛想に答えた女優は、テレビで晒し者にされて、しばらく表舞台から姿を消さざるを得なかった。
 三歳からスケートをはじめた麗は、小学校に上がるころから、母光子も驚くほどの技術を身につけた。十歳で三回転サルコウをマスターし、ビールマンスピンも両脚が一直線になるほどのしなやかさを見せた。十二歳で全日本ジュニア選手権優勝、十五歳で世界ジュニア選手権準優勝、十六歳で四回転トウループを決め、ジュニアながらシニア選手を抑えて全日本選手権で優勝した。それが二年前の十二月。そこから昨年、グランプリシリーズ・カナダ大会で準優勝、グランプリファイナルの四位を経て、シーズン最終戦の世界選手権で三位入賞と申し分ないキャリアを重ねてきたのに、まさか難病に足をすくわれるとは――。
 麗はベッドに上半身を起こしたまま、薄いグリーンの患者着に目を落とした。腹部にお椀のような透明プラスチックのポンプがあり、人差し指ほどの太さのカニューレ(シリコンのチューブ)が二本、みぞおちの下から身体の中に差し込まれている。一本は心臓の左心室、一本は大動脈に挿入され、心拍に合わせて抜き取った血液を、ポンプが全身に送り込んでいる。ポンプを動かしているのは、ベッドサイドに据えたスーツケースほどもある駆動装置だ。
 この補助人工心臓が、今、自分の命をつないでいる。だけど、いつまで維持できるのか。
 真知はそのことにはいっさい触れない。話せば悲観的なことを言わざるを得ないからだ。でも、麗はほんとうのことが知りたい。
 患者の精神面をサポートするのが移植コーディネーターの役割だと、真知は自己紹介のときに話していた。何が精神面でのサポートだ。健康で何不自由なく暮らしているくせに、絶望の淵にいる患者の気持ちがどれだけわかるんだ。
 真知のわざとらしい声がよみがえる。
 ――そうやって前向きな気持ちでいたら、きっとドナーが現れるわよ。
 いったい何を根拠に言うのか。麗が笑顔を見せたら安心して、今日のお仕事は終了とばかり出て行った。どうせ、精神面は問題なしとでも記録するのだろう。移植コーディネーターなんて、所詮、人生の通りすがりだ。
 麗の目から涙がこぼれる。
 心臓移植さえできれば――。
 どこかでだれかが脳死になって、臓器を提供してくれたら、今度はきっと世界のトップになる。いつか四回転アクセルを跳んで、みんなをあっと言わせてやる。そのためならどんなきびしい練習にも耐える。もう一度スケートができるなら、惜しいものは何もない。すべてをスケートに捧げてきたのだから――。
 いや、だめだ。奇跡なんか起こりっこない。わたしに合うドナーなんて、百年待っても現れない。
 この部屋にいる間、真知がぜったいに視線を向けないもの。それはベッドの頭側に取りつけた白いプラスチックのプレートだ。麗の名前と年齢の下に、血液型が記されている。
「A型・Rh(-)」
 Rhマイナスは、日本人には二百人に一人しかいない血液型だ。

(続きは本誌でお楽しみください。)