close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

紅蓮の雪

著:遠田潤子

発売日:2021.2.5
定価:1,800円(本体)+税

雪のイメージが鮮烈な、 大衆演劇の「濃い物語」

生きるほど、“愛される”、人として温かく扱われた経験があるというのは大切なことだったんだなと思う。災害、コロナ禍、個人的なことでも、辛いことが起こる。それでも生き続ける気持ちが湧くのは、嬉しい、楽しい、という記憶を持っているからではないか。この先どうなるかは全くわからないけれど。
 本書の主人公、牧原伊吹は、両親から愛されずに育った。生まれてからずっと間違った空気を吸い続ける感じで、息苦しかった。〈父が俺たちに向けたのはひやりとした冷たさを伴う、はっきりとした嫌悪だった。一方、母が俺たちに向けたのはもっと複雑なものだった〉。岐阜県の山間にある小さな町に住み、家族は両親と双子の姉が一人。無口な父親と初めて会話をして、かけられた言葉は「触るな、汚い」だった。唯一、身を寄せ合うように支え合う存在だったのが双子の姉、朱里だ。その朱里が、町はずれの山城で飛び降り自殺をしてしまう。雪降る十二月、伊吹と同じ誕生日を、自らの命日にしてしまったのだ。
 物語は、朱里の突然の死で幕を開ける。半年後、遺品から大衆演劇の雑誌と大阪の劇場の入場券の半券を見つけた伊吹は、自殺の原因がわかるのではと、大阪に「鉢木座」の公演を観に行く。姉の死を納得したいだけだったが、若座長で花形女形の鉢木慈丹にスカウトされ、新人女形として舞台に引っ張り出される。演技は素人だが殺陣と踊りができ、見栄えのいい伊吹はたちまち人気が出て、ファンが役者に現金を渡す「お花」を付けてもらえるようになる。しかし伊吹には、致命的な弱点があった。〈人に触れることができない、触れられることにも堪えられない。他人が怖くてたまらない〉のだ。ある日、腕に抱きついてきたファンの少女を振り払ってしまう―。
 二十歳の誕生日に、姉はなぜ自殺したのか。今、若い世代からも注目されている大衆演劇を題材に、謎が解き明かされていく長編小説だ。まずは、『一本刀土俵入』『三人吉三廓初買』『八百屋お七』などの演目が続々登場し、鉢木座の舞台裏が描かれて、魅了される。小さな町で育ち、地元の大学に進学した伊吹にとり、大阪を拠点にする鉢木座と大衆演劇の世界は驚きの連続だ。伊吹と共に読者も誘われ、『芝居』と『舞踊ショー』の二本立てで『歌謡ショー』が入る場合もある、基本、一日二回公演で……と基礎知識が手際よく記されているので、初心者でもわかり、観に行きたくなる。
 演目の内容と小説の物語が絡み合う展開もスリリングだが、中でも深く関わる演目のひとつが『牡丹灯籠』だ。死んで幽霊になった旗本の娘が、夜な夜な下女を連れて愛する男を訪ね、取り殺してしまう怪談である(ちなみに私は、魔夜峰央さんの漫画で読んだのが初『牡丹燈籠』だった。怖かった)。両親から「幽霊」のように扱われて育った朱里と伊吹の境遇が、有名な怪談と重なる。怪談の底にあるのは、取り憑かれ、取り憑こうとする人間の「妄執」である。
〈あの頃、俺たちはずっと幽霊だった〉。伊吹は白塗りの化粧を施して舞台に立ち、過去と向き合う。現在と過去を行きつ戻りつし、二転三転する展開を支えているのは著者の筆力だ。伊吹の目に映る光景や心象の描写が実に巧い。ずっと支え合ってきた朱里の突然の死によって、伊吹は生と死のはざまに立つ。〈大衆演劇はなんでもありや。昔は演歌が多かったけど、今はJ-POPでも洋楽でも踊る。新旧ごちゃ混ぜの闇鍋みたいなもんや〉とあり、大衆演劇のルーツは古い。『牡丹灯籠』のような「濃い物語」が受け継がれたのは、恋愛沙汰や生と死のはざまで煩悶する人の姿が観客の心と響き合うからだろう。〈お花を付けてもらうのが怖い。客と触れ合うのが怖い。なのに、今見た慈丹の踊りに憧れている。あの凄まじさに魅了されている。自分もあんなふうに踊りたいと思っている。俺は我が儘だ〉。恐怖と憧れ、現在と過去、生と死、双子の男女、真夏の雪尽くし、そして『紅蓮の雪』。紅蓮は紅の蓮の花で、雪の色は白だ。相対して形を成すシンメトリーは本書の要素で、シェイクスピアの『マクベス』にある「きれいは汚い、汚いはきれい」という不思議なセリフにも繫がると思う。人の矛盾や妄執、運命を描く物語は、世界中で創られ、上演され、受け継がれてきた。
「汚い」と言われ、伊吹と朱里は「幽霊」のように扱われた。でも、世の中を見渡して、空で生まれたての雪のようにまっさらできれいな大人なんて、一体どこにいるのだろうか。世のさまざまなものを覆う雪は、なぜきれいなのか。全編を通し、雪のイメージが鮮烈だ。
 ラスト一行まで、ぐいぐい引き込まれる物語だ。大衆演劇が舞台の本書を読んで、私はつい、世阿弥の『風姿花伝』を本棚から取り出した。「花」に寄せた芸術論で、こんな言葉がある。〈ただ真の花は、咲く道理も、散る道理も、人のままなるべし〉(第三 問答条々)。

Writing

青木千恵(あおき・ちえ)
兵庫県生まれ。フリーライター、書評家。

top