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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

偽装同盟

著:佐々木 譲

発売日:2021.12.15
定価:1,980円(税込)

警察小説に必要なものの
すべてがここにある

 正面突破の迫力と考え尽くされた技巧と。

 それを兼ね備えた警察小説が佐々木譲『偽装同盟』だ。興奮しながら感嘆するというたまらない読書体験が味わえる。作者が力こぶを作らずにさらっと書いている点がまた、いい。

 技巧、から説明したほうがいいだろう。本書は二〇一九年に刊行された『抵抗都市』の続篇である。最近の佐々木はSF的な着想を採用した作品を多く執筆している。この連作も同様で、ありえたかもしれないもう一つの歴史の流れを設定し、その中で現実感を伴った冒険物語を展開する、という試みがなされている。

 佐々木の非凡さは、歴史の分岐点を日露戦争に設けた着想に表れている。戦争に敗れロシア帝国に占領された日本、主要な地名がロシア語由来に変わった東京が舞台なのだ。ロシアは巧妙な統治体制を作り上げた。大日本帝国はそのまま存続させ、表向きは露日の二帝同盟が成立したという形式をとったのである。しかし外交権と軍事権をロシアに委ねるなど、国家主権は制限されているので事実上は属国扱いだ。この偽装が社会のさまざまな位相に影響を及ぼすことになる。また架空の占領都市である東京が緻密に設定されており、細部を読む楽しみもある。統監府が日比谷公園内に置かれたら、駐日ロシア人向けのサービス業はどの辺で栄えるか、といった想像力を膨らませながら書くのは、さぞ楽しかったことだろう。

 占領に関する欺瞞は、第二次世界大戦に敗れた日本が安保条約によってアメリカの影響下に置かれている事実と呼応している。前作には現在の日本と大正年間の状況とが重なり合って見える箇所が多かった。ロシアという国名をアメリカに置き換えて読んでも成立するな、と思う瞬間がたびたび到来したのである。本作においては、ミステリーとしてさらに秀逸な設計が施されている。真相が判明して事件全体の構図が見えてきたとき、現実とそれを比較して慨嘆したくなる読者は多いはずだ。虚構だがこの小説には現実が描かれている。

 一口で言えば、本作に登場する事件の関係者はみな哀しい。ここで描かれるのは善と悪がくっきり色分けされた世界ではないのである。生きるためにやむなく選んだ道、現実に背中を押されて行ったことがそれぞれの人生を容赦なく決定づけていく。すべての個人が社会の動静とは無関係に生きられないということを犯罪という切り口で描いた小説なのだ。

 ここからは警察小説としての迫力について書く。主人公は前作に引き続き、警視庁本部刑事課捜査係の特務巡査・新藤裕作である。日露戦争で死に損なって人生の無目的者となった彼は、それゆえに刑事という仕事に対して虚心坦懐に打ち込む男でもある。『抵抗都市』では二帝同盟を揺るがしかねないある陰謀事件と思いがけず絡むことになった新藤だが、本作で主に扱うのは、一人住まいの若い女性が絞殺されるという事件である。所轄である外神田署の飛田信六という刑事と組むことになる。新藤が慎重で結論に飛びつくことをしないのに対し、飛田はどちらかといえば荒っぽく予断に左右される部分が多い。この二人がそれぞれ組み立てた仮説に基づいて議論を交わしながら、証拠や証言を集めていくという捜査が物語運びの中心になる。活劇多めだった前作に対し、こちらは地に足のついた警察捜査小説という印象だ。仮説検証が中心というのがいいではないか。

 もちろんこれだけで終わるわけではない。ロシアによる統治下という大きな状況が新藤たちの頭上には厳然と存在している。冒頭では新藤が連続強盗犯を逮捕する場面が描かれるのだが、ロシア統監府保安課のジルキンという男に、せっかく身柄を押さえた容疑者を連れ去られてしまう。そんな無体なことをされても文句が言えない立場なのである。日米地位協定を思わせるこうした警察組織の脆弱さが、後々まで尾を引くことになる。

 ここまであえて書かなかったが、作中では時計の針が一九一七年三月十一日に合わされていることに注目されたい。世界史の詳しい知識をお持ちではない方でも、ネットで検索すれば、はっとされるのではないだろうか。同盟国であるロシアの要請により、日本もヨーロッパ戦線に派兵している、というのが作中の設定だ。新藤が担当する事件捜査にもこの状況が大きく関係してくる。個人という小さなものが歴史のうねりに翻弄されるさままでも作者は描くのである。すべてを網羅しようというその執念にはもはや脱帽するしかない。

Writing

杉江松恋(すぎえ・まつこい)
1968年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。文芸評論家、書評家、作家。近著に『ある日うっかりPTA』。

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