予想はしていたが、結成された新グループには圧倒的な足手まといがいた。若林優人。俺だ。
 新グループのメンバーを知ったときから、嫌な予感はしていたのだ。真田に遥歌、葵に加地に持田。みんな十代の、若く、たくましく、才能も未来もあるリトルたち。そのメンツに、今年「余命」を迎える二十四歳の俺って要る? みたいな。
 現に、曲の振り入れ中の今も、ひとりだけみっともなくぜえぜえと肩で息をしている。レッスン室の全面張りの鏡に映るほかのメンバーは、多少息を上げているもののまだまだ余裕そうだ。
 俺たちの新曲のひとつである「スターゲイザー」は、どこかなつかしいディスコ調のダンサブルなナンバーだ。ミドルテンポでそこまで速くはないものの、跳ねるような音に合わせた細かい振りが多く(とくにステップが尋常じゃなく細かい)、足の動きが苦手な俺からすれば、今まで踊ったどの曲よりもやっかいな曲だ。にもかかわらず、今日を含め二日で振りを入れ、三日後にはダンスプラクティスの動画を撮らなくてはいけない。これは俺じゃなくても絶対に無理だ、と思っていたのに、実際始まるとついていけないのは俺だけだった。
(俺にとっては絶望的なことに)どうやら振り入れが早い連中が揃いも揃ってこのグループに集まったらしい。中でも加地はえげつなかった。パートごとの振り入れを終えた後、通しの一回目にして振付師とほぼ同じ動きを再現してみせたのだ。噂には聞いていたがここまでとは。
 二回目、三回目と重ねていくうちに、真田、葵、持田の順に細かい動きが揃い始める。遥歌もこの中では比較的覚えが悪いほうで苦戦していたが、踊れるところは確実に拾えているし、そもそも遥歌は動いているだけで華がある。それにくらべ俺は終始どたばたしているだけで、見苦しいことこの上ない。
 四回、五回、六回、七回……。アウトロが終わり、「十分休憩!」と振付師が叫んだ瞬間、汗臭い床に倒れ込んだ。
「若さま、ジジイすぎ」
 タオルを首にかけ、給水ボトルを手にした持田がにやにや笑いながら見下ろしてきた。そうだよ、と息も絶え絶えに返す。
「だからジジイにやさしくしてくれ」
 持田に向かって手を伸ばす。持田はボトルを置き、「介護介護」と言いながら俺の両腕を引っ張った(思いのほか力が強く、肘が抜けるかと思った)。
 はい、とボトルを手渡される。俺のぶんのボトルも持ってきてくれていたらしい。サンキュ、と言って水を喉に流し込む。
「ミライズってそんなに踊んないグループだっけ?」
「ここまで細かいのは。どっちかっていうとキャッチーで真似しやすい振りが多かっ……多いよ」
 危ない。過去形で答えるところだった。ミライズは解散していない。今回の新グループ結成の流れで活動量こそ減ったが、正式に活動を終えたわけではない。ほかのグループもそうだろう。正式には。
「それ言うなら僕らリトハニもそうなんだけど?」
 上下白のレッスン着に身を包んだ葵が後ろから会話に入ってきた。
「若さま、もう少し体力つけないと。それじゃコンサート通しで保たないよ。今どのくらいトレーニングしてるの」
 ほとんどしていない。この前までこの仕事を辞めるつもりだったのだから。
「まあ、夏のコンサートでぶっ倒れない程度には体力つけとくよ」
 角が立たないよう、へらっと笑って返す。
「夏の、って……」
 葵がもの言いたげに眉をひそめたが、結局続きは飲み込んだ。小さく息を吐き、くるりと背を向ける。その背中にあきらめのようなものが見てとれて申し訳ない気持ちになる。
 葵、たぶん俺みたいなやつがいちばんむかつくんだろうな。その場しのぎばかり繰り返す、プロ意識のないやつってとこだろう。間違ってはいない。俺はいつもどこか腰かけのような気持ちでこの仕事をやっている。八年目を過ぎたあたりから、とくに。そもそもユニバースに入った理由も人に言えるようなもんじゃないし。
 持田が「肩揉んじゃろ」と手を肩に置いてきた。これじゃほんとに孫とじいさんだが、不覚にもほろりとくる。
 俺、ほんとにこいつがグループにいてよかった。
 真田は我関せずな態度を終始崩そうとしないし、加地も表情が乏しすぎてなにを考えているかよくわからない。遥歌は人なつこいけれど、話していると妙に気圧される感覚があって(オーラってやつだろうか?)、正直ちょっとこわい。持田がちょうどいい塩梅なのだ。ちょっと生意気で、歴や年齢差にもビビらずいじってくれる後輩。気軽に肩も組みにいけるし、めしにも誘える。
 俺と持田以外、誰も一緒に休憩をとっていない。真田は携帯を触り、加地は端でストレッチをしている。葵は立ったまま振付師と話し、遥歌は寝転がって台本と思しきものに目を通している。和気あいあいのかけらもない。あらためて、本当によくわからないメンツだ。
 持田と遥歌はまだわかる。元々同じUNiTEのメンバーだ。遥歌と真田も、まあわかる。遥歌は真田を慕っているから、一緒にグループを組もうと声をかけたのだろう。わからないのは葵と加地だ。グループも違えば交流もない。強いて言うなら同期か? でも、加地と真田は折り合いが悪かったような気がする。
 真田に誘われて加入したものの、いったいなにがどうなってこのメンツが同じグループになったのか、未だにわかっていないところがある。
 ちらっと真田を見る。視線を感じたのか、真田が携帯から顔を上げた。バチッと目が合う。よ、と片手を上げたが無視された。無視はないだろ無視は、と思ったら持田が「おい、無視すんなよ」と喧嘩腰に言った。指が急に肩に食い込んできて「痛い痛い」と抗議の声を上げる。真田は気だるげに一瞥しただけで何も言わない。すっと持田の手が肩から離れた。やばい、と立ち上がる。
「もちだぁ、次腰やって」
 わざと情けない声を出して、持田の前に立ち塞がる。横幅は負けるが、上背だけならまだ俺のほうがある。持田は「ええ」と不服そうな声を出して、「腰なら自分で揉めるっしょ」ばちん、と遠慮なく腰を叩いてきた。「いってえ」と叫ぶと、「おーげさ」と言ってタオルを首から外した。そのまま真田のほうには行かず、柱に寄っかかって腰を下ろしてくれた。よかった。代償はデカいが。肩も痛いし腰も痛い。休憩に入る前より体の状態悪化してないか?
 胸ぐらをつかみにこそ行かないが、持田は真田をにらんでいる。真田は無視だ。いつ食ってかかるか、ひやひやして目が離せない。途中から異変に気づいた遥歌は二人の間でおろおろしているし、葵はそれを冷ややかな目で見ている。加地は加地で「若さま、このセルフ整体の動画送ろうか」と今ひとつ空気の読めないことを言う。こいつらをまとめなくてはいけないと思うと頭が痛い。本当に、リーダーなんて柄じゃないのに。
 昨年の夏、ラスオズのデビュー発表以降やや停滞気味だったリトルの活動は、新グループの結成によって一気に活気づき始めた。
 三月中にはリーダーとグループ名、グループのおおまかなコンセプト、メンバーカラーをメンバー同士の話し合いで決め、四月からは各種SNSのアカウントを開設し企画動画を撮影・投稿する。宣材写真も大急ぎで撮り、アイドル誌の取材・撮影ではグループの色、メンバー同士の関係性を見せ、今後の展望と意気込みを語る。その間に仕上がってきた新曲を今月五月から急ピッチで詰め込み、また動画を撮り投稿していく。かなり無茶苦茶なスケジュールだが、このスピード感でなければ七月末から始まる一カ月間の合同お披露目ツアーには間に合わない。
 この二カ月弱、なにがなにやらとにかくめまぐるしい日々の中、気づけば俺はリーダーに就任し、ずっとあたふたし続けている。
 今思えば、新グループの名前を決める話し合いで「ニュースターはどうだ」と加地が言い始めたのがきっかけだった。
「〝ニュースター〟なら新しいってわかるし、事務所のユニバースとも関連性があるから覚えてもらいやすいと思うんだ」
 普段は表情の変化に乏しい加地だが、そのときの顔には自信あり、と書いてあった。
 ユニバース事務所の新星でニュースター……。
 内心それはちょっと、と思ったが、加地は大まじめに言っているし一応「なるほど」と頷いておく。反対するにしても、いったん肯定してからと思っていたら、先に持田が「いいじゃん!」と特大の肯定をかましてしまった。
「ほんとか」
 加地の顔がぱあっと輝く。
「おう! かっこいいし覚えやすいし。ほかのグループに先越されないよう、早く提出しようぜ!」
 うそだろ、とほかのメンバーの表情を盗み見る。
 よかった。向かいに座る遥歌も葵も「それはちょっと」という表情で目くばせし合っている。だよな。万が一多数決になったとしてもこれなら大丈夫。ひとまず胸をなで下ろす。
 あとはどう言えば加地も持田も傷つけずにすむか、言葉を選んでいるうちに、隣の真田が「だっさ」と吐き捨ててしまった。
「センス終わってんな、おまえら」
 天を仰ぎかけた。言い方よ。本音はどうであれ、言い方ってものがあるだろ。
 加地はわかっていないようで、「そうか?」ときょとんとしている。持田は「は?」とすぐさま臨戦態勢に入った。
「どこがだよ。具体的に言えよ。つか、なんならダサくないわけ? かっこつけてないでアイディア出してもらえません?」
 真田は無視だ。持田のほうを見ようともしない。持田が「おい」と低く唸る。見かねたように葵が「蓮司」と咎めるように言って、溜息を吐いた。
「もっちー。アイディア出せはその通り。僕ももっと考えるよ。でも正直なとこ、ニュースターは反対。捻りがなさすぎるし、僕個人の感覚としてもかっこいいとは思えない。英語覚えたての子どもが嬉しくてつけてみたグループ名って感じで、名乗りたくはないよね」
 こっちもこっちで辛らつだ。葵としては真田の言葉をやわらかくしたつもりなんだろうが、持田の耳がほんのり赤くなっていることに気づいていない。察した遥歌が「おれはかっこいいと思うよ、ニュースター」とフォローを入れたせいで、持田が「ほら見ろ! これで三対二だ」と息巻き、事態が余計にややこしくなっていく。
「あのさ! 先にメンカラ決めね? グループ名っていちばん時間かかるだろうし、ほら、今日はいったん持ち帰って、次集まるまでに各自揉んどこ!」
 強引に話の流れをグループ名から離す。「それもそうだね」と葵が頷き、結局その日はメンバーカラーだけ決めて解散した。
 別れ際、加地がやや落ち込んでいるように見えたのだけが気がかりだった。持田はともかくとして、発案者の加地へのフォローがなにもできずじまいだった。
 ニュースター。そのままだと確かに安直すぎてダサさが否めないが、ちょっと捻ったり、違う言語に置き換えることで生かせないだろうか。
 瑠偉と美衣とのトークグループに『ニュースター、もしくは新星のかっこいい言い方求む』と送ってみる。俺の優秀な弟妹たちからはすぐに返信が来た。
 「nova」。ラテン語で「新星」という意味らしい。
 ノヴァ、ノヴァ。うん。音の響きも悪くないし、まったく耳なじみのない単語でもない。
 早速、次の集まりで提案してみると、持田は前回のことなどすっかり忘れたように、「いいじゃん! しかもラテン語ってのがいいよな。なんか英語よりかっこよさそうだし」とけろっと笑った。遥歌もほっとしたようにこくこくと首を縦に振っている。葵も賛成、と手を上げてくれた。
「短くて覚えやすいし、響きもいいと思う。蓮司と透は?」
「ニュースターより億倍マシ」
「俺もこっちのほうがいいと思う。ありがとう若さま」
 加地にまっすぐな目で見られ、「いやいや」と目をそらす。ちょっと照れくさいし、俺っていうか、俺の双子の弟妹のおかげなわけだし。
「表記はnovaのままでいく? なんかつるっとしてない? 大文字と小文字混ぜてみる?」
「あ、UNiTEみたいに?」
「そう。Nova・NoVa・NoVA……どれも微妙だね」
 葵が自分の書いた文字にサッと線を入れる。
「間にハイフン入れるのはどうだ。俺のグループのI’m-ageみたいに」
 加地がそう言って「no-va」と書いたが、なにかが惜しい。
「ハイフン入れた意味あるか? I’m-ageは“I’m”と“age”で俺は時代、みたいなニュアンス出せるけど、“no-va”だと……“no”はまだしも“va”ってなんだ」
「じゃあ、こうしたら?」
 遥歌が身を乗り出し、横に「no-over」と書きつけた。
「これで〝ノヴァ〟って読ませるの。文法的に合ってるのかわかんないけど、〝終わらない〟って意味っぽくならない? 新しい星で、終わらないグループなの、おれたち」
 遥歌が歌うように言った。「いいかも」と葵が不敵に笑う。「生涯現役っぽくて」
「じゃあこれで」
「表記。Oが続くの間延びしてねえか」
 真田が待ったをかけた。紙に「n.over」と書く。
「これで〝ノヴァ〟。こっちのほうが締まる」
 おお、と声が上がる。確かにこちらのほうがスッとした印象だ。「no-over」よりも「ノヴァ」と読みやすい。
「決まりだな。あとはなんだ、グループ名決まったし、メンカラも決めたし、あ、リーダーか。そういや決めてなかったな。どうする? 立候補式にするか? それとも推薦……」
「いや、若さまだろ」
「僕もそう思う」
「おれも!」
 持田と葵と遥歌が声を揃えて言った。
「いやいや俺は無理だって。リーダーなんてやったことないし」
「それ言ったらここ全員そうじゃない? 僕もリトハニではリーダーじゃなかったよ」
「それはそうだけど……でもなんで俺?」
「なにかするってなったとき、いちばんフラットに意見聞いてまとめてくれそうだから。若さまは俺についてこいってタイプじゃないけど、うちのグループにそういうリーダーは不要でしょ。ねえ、蓮司」
「ああ。若林さん以外は無理」
「と、蓮司坊っちゃまも申しておりますので。この非協力的な小僧に言うことを聞かせるためにも、ぜひ」
「なんだその言い方」
「きみがすかしてるからだよ。ちょっとは態度あらためて。まずは脚組むのやめな」
 葵が真田の太ももをバシッと叩いた。真田は怒るでもなく大人しく脚を下ろした。すげえな葵。真田にそんなことできるの葵ぐらいじゃないのか。
 すでに俺がリーダーで決定の空気が出来上がっている。なんてことだ。とにかく場の雰囲気が悪くならないよう、とりなし立ち回っていただけなのに。加地だけは微妙な表情を浮かべて、賛否を口にしていないが、反対だとしても五対一では言いづらいだろう。
 新星、それに「終わらない」なんて名前のグループのリーダーを俺が背負ってしまっていいのだろうか。ここにいつまで居続けられるかもわからないのに。
「はーい、やるよー」
 振付師から号令がかかった。各自タオルやペットボトル、携帯をスタジオの端に寄せ、所定の位置につく。「スターゲイザー」が流れ始めたが、鏡の中の俺はあいかわらず見苦しかった。

(続きは本誌でお楽しみください。)