2022年2月号 小説すばる
【新連載】
姫野カオルコ
「王女アンナ」
岸田文雄が新しく総理大臣になった日に、『別冊マーガレット』を読みふけってしまった。
古い号だ。佐藤栄作が総理大臣だったころの号。実家の物置にあったのだ。
実家は中部地方P市にある。実家といっても、よその家族が住んでいる。
私は高校を卒業すると家から離れた都市に進学したまま、そこに住み着いてしまったし、婿をとって家に住んでいた妹も、二親がほぼ時を同じくして亡くなると、P市よりはにぎやかで交通の便のよいR市に移った。それで家屋に手を入れて改装し、人に貸して二十年になる。
コロナ禍で墓参にもしばらく行っていなかったのが、強風と大雨で屋根が破損したと、店子家族の奥さんから連絡があり、久しぶりに来た。
二階建ての家屋の、一階の端の四畳半だけ、畑から入れるドアをつけてもらって改装し、私と妹の保管用の物置にしているのである。
店子の奥さんと挨拶をし、修理にあたってくれる業者さんと工程や費用について話をしたあとはもう帰ろうとしたのだが、サルビアを眺めてしまった。
後付けした出入り口のドアは上半分がガラスで、前は畑なのだ。サルビアが、家屋寄りの一部に植えられている。始発特急で来たために、まだ日は充分に高く、みごとな秋晴れだったから、亡母がミシンをかけるときに使っていた、丁寧な木工の丸椅子に腰かけた。
私と妹が通っていた小学校の、下駄箱前の花壇にもサルビアが植えられていたなと、思い出したら、ちょっとだけ休むつもりが、えらく長くなったのだった。
※※※
集団下校時に教頭先生が、あの花はサルビアだと教えてくれ、私と妹は、寄って凝視した。「もっちゃん、サルビアだって」「〈サルビア王国〉の、サルビアって花の名前だったんだね」と、二人で感激した。花の名の王国が出てくる話を『別冊マーガレット』で読んだのだ。
もっちゃん。妹は私をそう呼ぶ。りっちゃん。私は妹をそう呼ぶ。前も今も。
元子。梨沙。姉妹なのに、なぜ私だけ「子」のつく名前なのだろう。牧美也子やわたなべまさこの漫画を読んでいた私はよく思った。りっちゃんの、梨沙という名前は、主人公のようなのにと。
そのころ、同じくらいの年の女の子たちは、たいてい「子」のつく名前で、たまに「子」がつかない子がいても、まゆみ、あけみ、まり。それくらいだった。
さゆり、みどり、は目の大きな、長い髪にりぼんをつけた、バレエを習っている主人公の名前。私のクラスにも学年にも、主人公は一人もいない。梨沙ともなれば、もっと主人公の名前。家に遊びに来た私のクラスの子は、妹だと紹介すると、字ではなく音で名前を聞くから「リサ? 外国に行っても通じるわね」とみな言った。
なのに私は元子。同じ「子」をつけるのなら、「玲子」にしてほしかった。「玲子」なら主人公とセットで登場する、もう一人の重要な人物なのに。そんなことを思ううち、おそるおそる母親に訊いたことがあった。「なぜ、りっちゃんは梨沙という名前なの」。もしかしたら私とりっちゃんは、本当は血がつながっていないのではないかと。
初産の長子である私の名前は、父方の祖父がつけた。妹は、母と母の妹がつけた。「二人目も女の子だったから、Rの叔母ちゃんと二人で考えたのよ」。亡母はミシンをかけながら、さっさと答え、きっとRの叔母ちゃんの意見が大きかったにちがいないと、私は納得した。五人きょうだいの末の叔母は、R市の母の実家に、そのころはまだ住んでいて、Rの叔母ちゃんと呼ばれていた。
(サルビア王国か……)
秋晴れのサルビアを見て、私は『別冊マーガレット』をさがした。改装後の大掃除はおもに妹がしてくれ、何をどこにしまったかもだいたい教えてくれていたが、私は墓掃除の後はすぐに帰ってしまっていたから、この物置に長くいたことが、よく考えたらこの二十年間なかった。
スチール棚の、アルバムやレコードのそばに古い漫画や本はまとまっていた。「王女アンナ前後」と油性マジックで書かれた袋があった。名鉄百貨店の、大きくマチをとった紙袋。
※
あのころの、たいていの家の親は、『小学×年生』は別として、子供が漫画を読むことにいい顔をせず、私たち姉妹も、漫画は月に一冊だけと決められた。各々に一冊と主張したけれど、『小学×年生』を各自に買ってやっているのだからと母親からまず言われ、父親からもさらにきつく言われて、あきらめた。
ほかの家の子も、たいてい、こんなような状況だったから、同じ年ごろの者たちで、だれかの家に集まっては、それぞれが獲得している漫画誌を、みなで回し読みしたものだ。
私たちは、はじめは『りぼん』を買ってもらっていた。りっちゃんが『りぼん』にしたい、と言ったからだ。
「お姉さんだから、そうしてあげて」と言われて「はい」と肯いた。が、自分の望みを堪えたわけではない。
3歳ちがいのりっちゃんは、漫画にあまり興味がなかった。絵本にもそんなには。「お外で遊ぶ」ほうがずっと好きだった。りっちゃんと反対に私は、「お外で遊ぶ」より「お部屋遊び」のほうが好きだった。
姉だから「妹のこと、見ててあげてね」「妹を見てやらないといけないぞ」と、母や父から言われているわけで、「お外で遊ぶ」のは「お部屋遊び」より見ていないとならないことが増えるのでやっかいだった。妹が自ら選んだ漫画誌にすれば、「お部屋遊び」の時間が長くなると思ったのである。
妹が『りぼん』を選んだのは、牧美也子の連載漫画が理由だ。モナと梨沙という姉妹が主人公の。自分たちと同じもっちゃんとりっちゃん。妹のほうは、名前だけでなく字も同じ。
でもすぐに『別冊マーガレット』に関心を移した。それで変えた。
『別冊マーガレット』のことを、私も妹も、「べっさつまーがれっと」とは呼んでいなかった。「別マ」でもなかった。
「外国の女の子のやつ」
そう呼んでいた。
表紙がいつも、金髪の白人の女の子だったからだ。当時の少女向け雑誌の表紙はたいてい、日本の女の子をすこし外国人ふうにしたようなハーフモデルで、着ている洋服も靴も手にしたバッグも、日本のお金持ちのお嬢さんが、日本のデパートで買ってもらったようなものだったのに、対して『別冊マーガレット』は、ずばり金髪で青い目の……青い目の子だけではなかっただろうが、みんな青かったと記憶されている……、ほかの雑誌より年齢の幼い女の子だった。着ている服やそばに置かれたバスケットも、生地や色調が、日本ではデパートでも見かけないようなものだった。
表紙モデルが他誌より幼な顔でも、買う側の私たちは「幼稚園に行ってる子向けなのね」とは思わなかった。出版社としては、聖画の天使のイメージにしていたのだろう。
そんな表紙にりっちゃんは惹かれて、こっちのほうがいい、と母親に主張したのだった。
「3歳ちがいなのね」
私たち姉妹が挨拶をすると、大人はたいてい、こう言った。「はい」とりっちゃんは大きな声で答え、そのたび私は、妹の服の袖や裾を背後から軽く引っ張った。あとから(挨拶をした大人がいなくなった所で)、妹の「どうしたの?」「なんなの?」という問いを受けた。そのたび「べつに」と小声で答え、その時々で、自分がやっていることにもどったり、やらなければならないことにとりかかったりするから、妹も問うたことを忘れてしまい、また次に、大人に挨拶をするときには、同じように、私が妹の服のどこかを引っ張り、妹があとから問う。いつも同じ。そのたび。
たぶん私は、「ちがう」と大人たちに言いたかったのだ。妹に「べつに」としか答えなかったのは、意地悪をしていたのではない。わからないから、もう、このことに触れたり、触れられたくなかったからだろう。
私は12月30日生まれ。妹は3月20日生まれ。学年で言えば2学年違いなのである。
私にはどうしても、妹は「2つ下」に感じる。今なら、妹の服の袖や裾を引っ張ったのは、違和感からだとわかるが、子供のころは、語彙がなかった。痛いとかおもしろいとかおいしいとか嫌いだとか好きだとかいった感情とはちがう、違和感という感情について未知だったからだ。
とまれ、「外国の女の子のやつ」に変えてからは、りっちゃんは文句を言わなくなった。表紙が自分のものになれば、それで満足して、もともと外遊びが好きなので、『王女アンナ』以外は読まなかったからだ。
名鉄百貨店の紙袋にタテに書かれた「王女アンナ前後」は、大人になってからの妹の筆蹟だ。
前・後編で読み切りの『王女アンナ』は、漫画ではなかった。
あのころ、どの漫画誌にも「感動よみもの」などと銘打った児童文学が掲載されていた。漫画ページと同様の、ざらざらした紙だったが、漫画の絵とはまったくちがう、具象的で写実的なタッチのモノクロの絵が二点くらい挿まっていた。
『王女アンナ』は、しかし、これでもなかった。前・後編とも、別マのちょうど真ん中。つるつるした紙のページで、カラーの挿絵がたくさんついていた。「感動よみもの」につく絵のタッチとは異なる。でも、そのころの少女漫画ふうの絵ともちがう。あえてたとえれば、牧美也子が、私たちが子供だったころよりずっと後年に描いたような、大人っぽいタッチだった。
「作・絵/おづか・まん」とあるが、『王女アンナ』のタイトルの大きさに比して、前・後編ともに字がうんと小さい。初読時小六の私には、「まん」というのが、それまで聞いたことのなかった名前だったし、性別もわからない。でも私の担任が、小塚せん、という女の先生だったから、この人も女の人なのだろうと思った。
おづか・まんの絵は、それはきれいで、バルコニーや、シャンデリアや、妃のベール、王女たちのティアラ、白馬、馬の鞍、剣、等々、みな、虫めがねで観察したいほど精緻に描かれていた。
インターネットが世の中に普及してから、「おづか・まん」で検索してみたが、何も出てこない。「小塚満」や「尾塚万」など、ほかにもいろんな漢字を当ててみたが。
『王女アンナ』で検索しても、漫画ではなかったためか、これも出てこない。たぶん、おづか・まんという人は、『王女アンナ』だけで、書くのも描くのもやめたか、何かやめるようなことになった(早世とか)のだろう。
名鉄百貨店の紙袋を開けた。ぱしぱしと、乾いた音がした。
※
《サルビア国には透きとおる湖がありました。湖のほとりに、低い塔と中くらいの塔と高い塔のある、白いお城がたっていました。低い塔のある所は、湖に張り出した離宮となっています。中くらいの塔のある所には先の王様と妃様がお住みになり─》
冒頭を、私は声を出して読んでみた。初読時に、りっちゃんにしたように。
「わあ、もっちゃん、これ、きれい」と、『王女アンナ』のページを開いて私に示したのは、妹だった。
「ほんとだ」
私も目を奪われ、思わず朗読したのだ。
六年生の秋の連休だったから、そんなにこどもこどもしていなかったはずなのに、サルビア王国が、おはなしの中の国にせよ、だいたい、どのあたりなのか、何も疑問を抱かなかった。佐藤栄作が総理大臣だったころの少女向け漫画に、ローザだとかピアだとかシルビーだとかいったカタカナの名前が出てくれば、それはただ「外国」だった。
『別冊マーガレット』の表紙の女の子の国籍なんか気にしなかったのと同じ。ただ「外国の女の子のやつ」だったのと同じ。
外国のきれいな湖ときれいなバルコニーときれいな金髪が描かれた絵に見とれつつ、木製の二段ベッドのある子供部屋で、ベッドの下段(りっちゃんも私も上段に寝たがったので、一学期ごとに交代していた)を背もたれに、私たちは『王女アンナ』を読んでいった。
父親は休日出勤から帰っておらず、母親も女学校時代のなんとかで、急に泊まりがけでどこかに出かけ、叔母(「梨沙」という名を提案したRの叔母ちゃん)が家に来てくれることになっていたものの、まだ着いていない午後だった。
《─このほど新しく王様と妃様になられたお二人は、高い塔のあるところに住んでおられました。
お二人には、王子様とお姫様だったころにもうけた女の子がいました。姉王女はアンナ、妹王女はルンナです─》
ここまで読んだだけで、わあ、きゃあ、と妹は歓声をあげた。
牧美也子のモナと梨沙の漫画と同様、姉妹が主人公であったことが魅力的だったのだろうけれど、それよりも、私が音読したのがおもしろかったのだと思う。「お部屋遊び」よりがぜん「お外遊び」が好きだったりっちゃんは、私という他者が、自分に音読してくれるのが、いつものお部屋遊びとは、毛色がちがって感じられたのだろう。
おもに私が読み、喉が疲れるとりっちゃんがほんの数行だけ読み、私がだまって読むのに集中すると、妹はよそ見をしたり、トイレに行ってくるだとか、水を飲んでくるだとか言って中座したりして、私たちは『王女アンナ』の前・後編を読んだのだった。
改装後の掃除をしながら、『王女アンナ』の話が出た。りっちゃんが「タイトルはおぼえてる。でもどんな話だったかぜんぜんおぼえてない」と言っていたのは、とばし読みをしていたからだ。「でも、もっちゃんが読んでくれて、秘密の遊びをしてるみたいなのがたのしかったのは、すごくおぼえているよ」とも言っていた。
悪事めいたことをしたわけではない。たんに『王女アンナ』をいっしょに読んだだけだ。音読したくなくなる部分が、『王女アンナ』にはあって、そこはごまかして音読しなかった。そういうことや、家にだれもいなかったことが、秘密の遊びをしたという記憶になったのだろう。
