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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2021年8月号 小説すばる

【新連載】
白岩玄
「プリテンド・ファーザー」

 恭平

 子どもに絵本を読んでやるのが苦手だ。寝かしつけの際、四歳になる娘の志乃が絵本を読んでくれとせがむのだが、毎回面倒だなと思うし、その感情を押し殺しながらの読み聞かせになる。もちろんそれなりに抑揚をつけたりして、あからさまな棒読みにならないように気をつけてはいるが、結局はすべて上辺のものだし、内心は「早く読み切ってしまいたい」だ。

 なぜ面倒なのかを自分なりに分析するのなら、基本的に読んでやっている絵本が自分にとって面白くないからだ。しょせんは子どもだましというか、大人が何らかの意図を持って子どもに読ませようとしているのが透けて見えるものが多い(というか、そういうありきたりなものを娘が好むのだ)。だから子どものためとわかっていても自分をなだめることができない。それにもっと根本的なことを言ってしまえば、今はタブレットでいくらでも面白い動画が観られるのだから、紙の本などという二十世紀的なものにいつまでもしがみつかなくていいんじゃないかという気持ちもある。

「……二人はいつまでも幸せに暮らしました。はい、おしまい」

 ナイトテーブルに積まれていた最後の絵本をようやくのことで読み終える。たかだか五冊ほどだが、どれもそれなりに文字数が多いので一冊読むのも大変だ。それなのに志乃は、これをもう一回読みたいと、脇にどけていたシンデレラの本を差し出してきた。

「さっき読んだじゃん、これ」

「えー、もういっかいよみたい」

 不服そうな目を向けられ、心の中でため息をつく。プリンセス願望かなんだか知らないが、特に教えたわけでもないのにこういうものを好きになるのはなぜなんだろう。いずれにせよ、こうなると絶対に引かないのはわかっているので、「じゃあこれで最後ね。これ読んだら寝るからね。絶対最後だよ」と念を押してから絵本を引き取った。体の中でむくむくと膨らんできた面倒くささを抑えつけ、もはや見飽きた感のあるシンデレラの冒頭の絵に添えられた文章を読み上げる。

「ねぇねぇ、シンデレラってさ、どうしてこのひとたちにいじめられてるの?」

 突拍子もない質問はいつものことだ。ここ最近、特に増えた気がする。

「そりゃあ血がつながってないからだよ」

「なんで?」

「血がつながってるって意味わかる? パパと志乃は親子だから血がつながってるんだよ。でも、章吾と志乃は親子じゃないから血がつながってないの」

 言いながら、これだといじめる理由の説明になっていないのに気づく。

「違った。血は関係ないわ。この女の人たちがいじわるだからだよ」

「なんでいじわるなの?」

「世の中にはそういう人もいるんだよ」

「なんで?」

「なんでって言われても。いろいろ事情があるんだよ」

「じじょうってなに?」

「わかったわかった。明日章吾に訊いてみな。ちゃんと教えてくれるから」

「えー、いましりたいのにー」

 子どもに説明をしていると、簡単だと思っていたことが急に難解に思えてくる。「続き読むの?」とせっつくように尋ねると、志乃は顔をしかめたまま「よむ」と言って口を閉ざした。もう一度説明すべきか迷ったが、永遠に答えの出ない問答になりそうだったのでやめておく。でもその後も頭のどこかでは、なぜいじわるな人間がいるのかを考えてしまっていた。そこに理由なんてあるんだろうか? やはりさっき言ったように、世の中にはそういう人もいる以外の回答が思いつかない。

 ようやく眠った志乃に布団をかけ、エアコンの風を「快眠」にしてから寝室を出た。廊下は暗かったが、トイレの横にある元は書斎だった部屋のドアから明かりが漏れている。三分の一ほど開かれているドアから中をのぞくと、娘のシッターであり同居人でもある章吾が、布団の上で自分の息子に絵本を読んでやっていた。間接照明のほどよい光が照らす中、セミダブルのベッドの上で寄り添うように寝転んでいる二人をなんとなく眺めていたら、気づいた章吾が絵本を下げて俺を見る。

「寝た?」

「あぁ、今寝た」

「そっか。こっちはまだかかりそう」

 冷房が寝室よりも弱めなのか、周りの空気がぬるく感じる。以前は俺の仕事用の机や本棚が置かれていた六畳の部屋。章吾に自由に使ってもらうためにそれらをすべて寝室に移して空っぽにしたのだが、部屋の中には子ども用の服が入った引き出しやおもちゃ箱、あとは章吾の服がかかったハンガーラックと、ノートパソコンを置いている簡素な机があるくらいで決して物は多くない。もともと荷物は少ない方だからと章吾は笑っていたけれど、控えめで遠慮する性格なのは知っているので、俺に気を遣って持ち込むものを少なくしたんじゃないかと気になってはいる。

 半身を起こした章吾の脇では、まだ一歳半の耕太が目の前の絵本に手を伸ばしていた。今日は同居して以来、俺が初めて耕太を風呂に入れたのだが、自分の子どもではない幼児の体を洗うのは思いのほか難しかった。たとえば頭からシャワーをかけるときも、志乃ならこれくらいかけても自分で目を閉じるから大丈夫だと思えるが、他人の子だとその加減がわからないから過剰にびびってしまうのだ。こちらの緊張が伝わったせいか、耕太は風呂に入れているあいだずっと泣きながら俺の顔をべしべし叩きまくっていた。

「その後はどう? もう落ち着いてる?」

「うん。全然大丈夫だよ。人見知りもあると思う。もともと僕以外の男の人があんまり得意じゃないからさ」

「そうなんだ」

 読み聞かせの途中で放っておかれている耕太が怒ったらしく、章吾の腕を引っ張っている。同居を申し出たのは俺の方なのに、相変わらず章吾が息子とともにこの部屋に寝泊まりしているのになじむことができなかった。男二人ならまだしも、シングルファーザー二人が互いの子どもと同じ屋根の下に暮らしているのはどうしたって奇異に思える。

「ここ、閉めておこうか?」

「いや、開けといていいよ。クーラーつけずに窓開けて風通してるから」

 寝室よりも暑く感じたのはそのせいか。言われた通りにドアをそのままにして行こうとすると、読み聞かせを再開したのが背中に聞こえた。十年以上保育士をしていた経歴を持つ章吾は、俺とは違っていつもまったく面倒くさがらずに絵本を読む。まるでラジオの朗読のような聞き取りやすい穏やかな声に「さすがだな」と感心したが、その中には「よくやるよ」というあきれに近い感情も混ざっていた。リビングを横切り、キッチンに置いているウォーターサーバーの水を汲んで飲む。冷たい水がのどの渇きを癒したが、砂漠に水をまくのと同じで、一瞬のうるおいのようにも感じた。空になったグラスの底をにらみながら、章吾との絵本の読み方を比べてしまっている自分がいる。

 酒でも飲もう、とラックの上に並んでいる芋焼酎のボトルに手を伸ばした。異動してからは仕事の付き合いやらなんやらで飲んで帰ってくることが減った分、自宅での晩酌は多くなったが、酒の量がそこまで増えているわけではない。家のことに時間を割くためには仕事を持ち帰らなくてはならないし、そうなると結局長い時間晩酌するなんてことはできなくなるからだ。

 グラスに注いだ焼酎を水で薄めながら、飲む前からブレーキを踏もうとしている自分にうんざりしてくる。持ち帰った仕事は明日にまわして、今日は好きなだけ飲むと心に決めた。シングルファーザーは大変なのだ。たまにはそういう日があってもいい。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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