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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2021年7月号 小説すばる

【新連載】
佐藤賢一
「ヒトラー」

 洗面所の鏡の前で丁寧に髭を整え、ヒトラーは病棟を後にした。まっすぐ向かったのが事務室で、パーゼヴァルク陸軍病院では地階の玄関近くにあった。

 一九一八年十一月十九日、それは退院の日の朝だった。

 負傷兵として運びこまれたのが十月二十一日であれば、二十九日間も入院したことになる。甲斐あって快癒めでたくも、ヒトラーはなお兵籍を有する身だった。軍に戻らなければならない。向後の出頭先については、上からの指示を仰がなければならない。

「というが、ヒトラー上等兵、そのために、わざわざ髭を整えたのかね」

 そう聞いた事務官は、小さく笑みを浮かべながらだった。ヒトラーは真顔で答えた。

「はい、すぐ復帰と考えましたもので」

「すぐ復帰するために、髭を整えたのかね。しかも、そんな風に左右を綺麗に剃り落として、まんなかだけを残した、なんというか、ちょび髭みたいな形に」

「ガスマスクをかぶるためであります」

「ガスマスクをかぶる?」

「はい。髭を左右に伸ばしたままでガスマスクを装着すると、その分だけ浮いてしまうと申しますか、口角の外側に隙間が生じて、マスクが頰に密着しないのであります。毒ガスは、そこから侵入します。無防備な鼻孔や目に沁みてきます」

「そうか、ヒトラー上等兵、君はマスタードガスにやられて、入院したんだっけな」

 十月十三日から十四日にかけての夜、ベルギーの都市イーペル南方、ヴェルヴィック村で行われた戦闘で、イギリス軍はマスタードガスを使用した。ヒトラーも戦友たちも用心していないではなかったが、暗闇のこと、狭い塹壕のことで、気づくのが遅れてしまった。それで少なからずが、やられてしまったのだ。

 ことにヒトラーは症状が重篤だった。

「はい、一時は目がみえなくなりました」

 野戦病院で手当てを受けるも回復せず、それでドイツの内地も内地、北部ポンメルンにあるパーゼヴァルク陸軍病院に搬送されてきたのである。

「フォルスター軍医大尉の所見にも、そう書いてある。いや、まったく、災難だったね」

「いえ、自分の油断が原因であります。数日の塹壕生活で無精に流れたのが悪いのです」

「そうすると、南の前線では、兵士は皆がちょび髭なのかね」

「個々によります。ただ自分は髭が濃い質で、放っておくと皇帝髭のように、左右に跳ね上がるのであります。ガスマスクが浮いてしまうことは、わかっていたのに……」

「それで、復帰するなら今度こそはと、準備を欠かさなかったわけだな。うん、感心な心がけだが、ヒトラー上等兵、もうマスタードガスの心配はしなくていいと思うぞ」

「…………」

「戦争は終わったからな」

 それはヒトラーも聞いていた。十一月十一日、ドイツが降伏する形で、諸国と休戦条約が結ばれた。「世界大戦」ともいわれた戦争の終結だった。

「でも、戦争は本当に終わって……。ドイツが負けたというのも……」

 ヒトラーが呆然と続けると、事務官の声もしんみりした。ああ、残念ながら、そうだ。

「けれど、ヒトラー上等兵、その髭については、がっかりしなくていいぞ。ああ、とても似合うよ。うん、悪くないと思う」

 声を明るく変えながらその話を片づけると、事務官は手許の書類に目を落とした。さて、ええと、アドルフ・ヒトラー上等兵は、ああ、志願兵として入隊したんだな。職業軍人でないということは、もう除隊だ。おお、おめでとう。生きて娑婆に戻れるな。

「しかし、その手続きを済ませるために、いったん原隊に復帰してもらわなくてはならない。まったく面倒な話だが……」

「そんなことはありません」

「そうか。それで、君はバイエルン第十六補充歩兵連隊の所属だから、いやあ、これまた遠いな、ミュンヒェンだ」

 そう告げると、事務官は先で提出するべき書類をくれた。

 パーゼヴァルクから最寄りの都市シュチェチンまでは、軍の車両で送られた。が、それから先は南ドイツ、バイエルンのミュンヒェンまで、鉄道を利用しなければならない。本数や路線の便を考えると、いくらか遠回りになっても、一度ベルリンに出たほうが早い。

 午後に乗車すると、時節柄ということか、ドイツ帝国の首都に向かう汽車は、疲れた様子の軍服姿で満員だった。文字通りの復員列車に揺られながら、なおヒトラーは疑わずにいられなかった。戦争は本当に終わったのか。ドイツは負けてしまったのか。

 ─だとすれば、馬鹿な話だ。

 質の悪い冗談としか思えないほどだ。というのも、こうして汽車は走っているじゃないか。車窓に流れる風景も長閑そのものじゃないか。ドイツらしく冬空は寒々しいが、そこには黒煙ひとつ上がっていないじゃないか。

 なるほど、ドイツは戦場にならなかった。火の手が上がったとしても、ほんの国境付近だ。ヒトラー自身、この四年で戦った地はフランスか、さもなくばベルギーである。つまりドイツは他国に攻めこんでいた。それが終戦を迎えると、どうして敗戦国になるのか。

 二十日の午前にはベルリンのズデッティナー駅に到着した。ミュンヒェン行きが出るのは、シュプレー河を南に渡るアンハルター駅で、いくらか歩かなければならない。

 が、一兵卒の復員は、今度も夜行である。夕の出発時間まで、かなりの余裕がある。気ままなぶらぶら歩きだって、許されないものじゃない。

 首都は久しぶりだったが、目にみえた変化はなかった。ブランデンブルク門を潜れば、勝利の女神と四頭立ての馬車カドリガも、きちんと頭上に健在である。一八〇六年にはフランス皇帝ナポレオンの軍門に降らされて、パリに持ち去られたというが、それが一八一四年に戻されてそのままなのだ。

 やはり敗戦国ではない。一角とて崩れた建物はなく、あてなくさまようような復員兵の群れが、場違いにみえるほどである。

 ─ただ黒鷲の旗はない。

 都市城宮にも、帝国議会議事堂にも、どこにもなかった。

 それはホーエンツォレルン家の旗である。ドイツ皇帝にしてプロイセン王ヴィルヘルム二世は、ベルリンからいなくなった。十一月九日、オランダに亡命してしまった。退位を余儀なくされたのは、ドイツに革命が起きたからだった。

 十一月四日、キール軍港で水兵の反乱が起こると、それをきっかけに全土で蜂起が相次いだ。九日に社会民主党のフィリップ・シャイデマンが「ドイツ共和国」の発足を宣言、臨時政府として人民委員政府が樹立されて、とうとう革命となったのだ。

 もう戦争どころではない。取り急ぎ平和を取り戻したい。ドイツの負けでよいから停戦に応じてほしいと、諸国に願い出たというのが、こたびの終戦のようだった。

 ─まったく、馬鹿な……。

 ミュンヒェン着は十一月二十一日の朝だった。中央駅に降りると、街並が美しいままなのも、たむろする復員兵の多さに違和感を覚えてしまうのも、ベルリンと全く同じことだった。またヒトラーの気持ちも、変わらずに沈んだままだ。

 足取り重く、それでもパーゼヴァルクで命令されたように、まずはミュンヒェンの北西、オーベルヴィーゼンフェルドに向かった。そこにバイエルン第十六補充歩兵連隊、連隊長の名前に因んだ「リスト連隊」の兵営があるからだったが、建物は出頭一番それとわかるくらいに、がらんとしていた。

 リスト連隊は南部戦線から引き揚げ中で、まだ到着していなかった。聞かされたのが事務室でのことで、ここだけは動いていたので、ヒトラーはパーゼヴァルク陸軍病院で渡された書類を提出した。オーベルヴィーゼンフェルドの事務官は、どこか投げやりな態度だった。

「手続きだけだからな。皆の引き揚げを待つまでもないだろう」

 何カ所か署名をもらえば、それで終わりだ。いうや事務官は引き出しを開けて、何枚か紙を横に並べ始めた。その鮮やかな手際をみつめるほど、ヒトラーの心は切迫した。

「あ、あの……」

「なんだね。ごねても、特別な手当は出ないよ。復員兵には一律五十マルクだ」

「いえ、そうではなくて、軍に残ることはできないでしょうか」

「残りたいのかね」

「はい」

 と答えて、ヒトラーに迷いはなかった。

 戦争が終わって、ドイツが負けたことも嬉しいわけではないが、本当のところ何より閉口させられるのは、これで軍隊にいられなくなるからだった。

 軍隊は性に合う、とヒトラーは考えていた。

 元来が芸術家気質の画家志望だった。お土産用の風景画や絵葉書といったものだが、実際に画業で生計を立てていたときもある。いつかは大画家としてドイツ中に名を馳せる、でなければ建築家になるつもりで、ヒトラーは十代、二十代の大半をすごしたのだ。

 その間も自分の才能は疑わなかったが、現実うまくいったとはいいがたい。凡庸な周囲の無理解もある。卑俗な嫉妬の犠牲となった面も否めない。そう思いながら、自身も認めざるをえないところ、多少の親の遺産があったことで、根を詰めて働く習慣は遂に身につかなかったし、さらにいえば無類のオペラ好きで、切符代を切り詰める頭がなかったことも災いした。少なくとも暮らしぶりは、どうやっても上向かなかった。

 食い詰めて、ウィーン、ミュンヒェンを転々としたところ、四年前の夏にドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が諸国に宣戦を布告したのだ。

 そこで軍隊に志願した。今にして振り返れば、画家志望が大きく転身したものだったが、当座は欠片の疑問も抱かなかった。

 一九一四年八月二日には、ミュンヒェンでもオデオン広場の将軍廟前で愛国的集会が行われたが、そこで「ドイツは全てに勝れり」を皆で歌っているうちに、ヒトラーは激しい興奮に襲われたのだ。そのまま軍隊に志願して、直ちに従軍するのでないなら、ともに「ばんざい」を叫ぶ資格もないように思われたのだ。

 翌三日にはミュンヒェンの新兵募集事務所を訪ねていた。これも芸術家気質というのか、ヒトラーには激情に駆られて行動してしまうことが少なくなかった。

 それにしても兵隊になるなんて逸ったかと、正直いえば後悔しないでなかったが、とにもかくにも続けてみると、軍隊は思いのほかに居心地がよかった。

 気楽な兵営暮らしばかりだったわけではない。ほどなく出された戦場はつらかった。怪我は数えきれなかったし、銃弾を受けたことも一再ならず。毒ガスにやられる前にも、まず三度は死にかけた。それでも嫌気が差さなかったのは、うまくやれていると思えたからでもある。

 例の激情的な性格で、ヒトラーは戦場の興奮に身を任せることができた。かっと頭に血が上るや、もうどんな危険のなかにも飛びこんでいける気がするのだ。実際に命がけの任務をこなしたので、上等兵に昇進できたし、それを勇敢であると評価されて、黒色戦傷者章、なかんずく一級鉄十字章を授けられた。

 やはり軍隊は性に合う。ヒトラーは二十九、じき三十になるが、この歳にして初めて自分の居場所を得たような気さえしていた。

 だから軍隊に残りたい。復員というが、他に行き場がない。どうやって稼ぐか、また途方に暮れるしかない。

「ああ、ヒトラー上等兵、この記録によると、君はオーストリア人なんだな」

 と、事務官は続けた。ヒトラーは無言で頷く。双眼はすでに濡れていたかもしれない。

「そうか。オーストリアも敗戦国だな。ハプスブルク家の皇帝も、やはり退位させられたそうだな。ここで除隊になって、故郷に帰されたところで、どうしようもないわけか」

 ヒトラーは繰り返し頷いた。実際のところ、オーストリアになど帰りようがない。すでに両親はなく、兄、姉、妹はいるはずだが、数年は音信不通になっている。生きているのか死んでいるのか、それすら互いに知らずにきている。

 この意味でもヒトラーには、軍隊が唯一の居場所だった。四年の間に上官や戦友とは、もう家族同然に親しくなっていた。そのカラクリは知れないながら、周囲に可愛がられる性分でもあるようだった。昇進にせよ、勲章にせよ、上官や戦友の推薦あっての話なのだ。

「まあ、残れないこともないな」

 そうした言葉が耳に届くや、ヒトラーは「本当ですか」と飛びついた。もはや必死といえる表情が、滑稽にみえたのだろうか。事務官は笑みで続けた。

「ただし第二補充歩兵連隊のほうだ。トラウンシュタインの捕虜収容所で看守が必要なので、百四十人ほど残すそうだ。まだ空きがあれば……」

「やります。やらせてください」

「だから、第二連隊のほうだ。兵営は市内のロート通りだから、ここからだと、アッカーマン通りを越えて……」

「行きます。この足で、すぐロート通りに向かいます」

「そうか。うん、まあ、君は適役かもしれん。ははは、その髭、ガスマスク髭というんだっけ。いかにも戦場帰りといった感じで、ロシア兵だの、フランス兵だの、反抗的な連中にも、はったりが効くだろう」

 事務官は、その場で照会の書類を作ってくれた。それをヒトラーに手渡しがてら、ひとつ最後に確かめた。あっ、そうだ、念のために聞いておこう。

「ヒトラー上等兵、君は王党派じゃないだろうね」

(続きは本誌でお楽しみください。)

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