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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2020年10月号 小説すばる

【読切短編】
八島游舷
「アート・テロリスト」

《明日の神話》

 九月も最後の週に入ると、ヒート・アイランドの中心である渋谷からも、しつこく長引いた残暑の余韻は消え去ろうとしていた。

 渋谷駅連絡通路では、奇妙な川のように双方向から人々が絶え間なく流れ、互いの横をすり抜けていく。

 男は緑色のチェックのシャツに、化繊の安っぽい黒ジャケットを着ていた。二十代後半で細面の顔も、鋭い眼差しも、目深にかぶった黒い野球帽に隠され、男に目を惹く要素はなに一つない。男は、人を待つ体を装い、場所を少しずつ変えながら周囲を慎重に観察する。

 ─だれか一人でも立ち止まる者がいるだろうか。

 男は、手すりに背中を預けて向かいの幅広い壁を見上げた。

《明日の神話》─壁一面に広がる絵が、手の届かない高さから傲然とこちらを見返す。

 京王井の頭線・渋谷駅の一日の乗降人員は約三十六万人。幅三十メートル、高さ五・五メートル。これだけの人、これだけの大きさにもかかわらず、行き交う無数の人々の中で、ひと時でも足を止めてこの巨大な絵に目を留める者はだれひとりとしていない。

 だれひとり。

 だれにでも見えるものにはだれも目を向けない。

 この壁画が置かれた状況がまさにそれだ。このジレンマは芸術という行為の根本原理といっていい。

 対象が秘めた美の可能性は、いずれもだれかがそれをキャンバスに載せるまで見過ごされてきた。

 刻々と変化する夕焼けの色に染まった積み藁。

 霧にぼうと包まれて、水面と蓮の葉の、緑と紫の形が溶け合う池。

 夏の激しい日差しを予感させる、力強い黄色の花弁を広げた向日葵。

 その美は、だれかが、向き合い、再発見して提示するまでは埋もれたままだ。

 ─そして今この瞬間、世界に唯一つのこの絵に向き合っているのはぼくしかいない。

 これは地獄図だろうか。

 ヒエロニムス・ボスを彷彿とさせる異形の妖物どもが画面を浮遊し遊弋する。

 宙に連なる巨大な頭蓋骨。

 魚のような目をした巨鳥の頭部。

 円い目をいくつも連ねた寄生虫のような存在。

 いくつもの「目玉」がこちらを見返している。人間は巨大な目という存在に対して本能的な恐怖を抱く。

 作者・岡本太郎は、三島由紀夫同様にジョルジュ・バタイユの『眼球譚』に大いに感化されたという。

 妖物どもの中心に、骸骨のような大きな形象が浮き彫りのように盛り上がる。体からは白い突起物が放射光のように伸び、オレンジの炎が噴き出している。人の形をしたそれは、炎をたなびかせて歩んでいるかのようだ。炎をまとって現れた新生物にも見える。死と生の奇妙な共存。

 下方の左右には、灼け焦げた林のように両手を天に伸ばした、黒く小さな人影の群れ。これもまた、阿鼻叫喚の様なのか、新生物の到来を喜び迎え、もろ手を挙げているのか。

 それらはすべて、大きく左右に広がって燃え立つ、さらに巨大な赤い劫火に包みこまれている。

 画中の形象は、抽象的でありながら時として具象性─認識可能な「フォルム」を持つ。いわば「触れることのできる抽象」といえるかもしれない。

 この絵は、原爆あるいは水爆が炸裂する瞬間を表したものだという。パブロ・ピカソの《ゲルニカ》を岡本が解釈したものと言えるかもしれない。

「芸術は爆発だ」というフレーズで知られる岡本にとって、原水爆は究極の爆発だったのだろう。

 熱。光。強烈。狂乱。不気味─そういった印象と共に、悲惨というよりは明るい原色には奇妙に祝祭的明るさも感じさせる。

 この絵は、著名な「太陽の塔」と同時期に生まれたが、過酷な運命を経てきた。もともと、一九六八年ごろに中南米最大級のホテルとして計画された、メキシコのオテル・デ・メヒコのために制作されたものである。

 岡本は、当時、メキシコに夢中だった。

 Día de Muertos─メキシコの「死者の日」は、生者と死者が入り交じる祝祭である。ドレスで着飾った骸骨、色とりどりの模様で飾られた髑髏。その日は、太陽を詰め込んだような鮮やかなオレンジのマリーゴールドの花が街も墓場にも満ちる。瞑目してその光景を想像すれば、哀愁を帯びたメキシコ音楽が響いてくるようだ。

 メキシコには、巨大な壁画を描く壁画運動があった。(フリーダ・カーロの夫でもあった)ディエゴ・リベラの描く、革命、歴史、虐げられた人々の叫び。リベラの絵は藤田嗣治に影響を与え、巨大な壁画《秋田の行事》を描かせたという。

 レオン・トロツキーの暗殺を試みた、ホセ・クレメンテ・オロスコの浮き彫りのような壁面のダイナミズム。

 そしてダビッド・アルファロ・シケイロスの描く、鰯の缶詰のように画面にぎっしり詰め込まれた民衆の迫力。岡本はシケイロスとは特に意気投合したという。

 岡本は、それ以前にパリで見た《ゲルニカ》のモノクロの巨大な形象の強烈さをも想起したに違いない。ピカソが、メキシコの歴史に深く関わったスペイン人であったことも決して無関係ではあるまい。

 これらはすべて岡本の想像力に火をつけたことだろう。

 アステカの雄渾なピラミッドにも感ずるものがあったはずだ。死者の日もまたアステカの伝統を継ぐとされ、かつては冥府ミクトランの女王ミクテカシワトルの祭典であったという。

 髑髏はアステカで重要なシンボルであった。ツォンパントリと呼ばれる台には、人身御供や捕虜の頭蓋骨が無数に陳列された。

 このような強烈な図像を目にして、岡本は、激しく対抗心を燃やしたに違いない。彼らの芸術に負けぬものを画いてメキシコ人の度肝を抜いてやる、と。

 しかしオテル・デ・メヒコは突然、倒産した。その後、《明日の神話》は所在不明になった。岡本の死後、二〇〇三年に発見されたときは、こともあろうに資材置場に放置されていた。眼前の絵にも、大きなヒビが入っているが修復されている。

 岡本はこの絵の完成にどれだけ心血を注いだことか。その後、多くの人がこの絵の復活を願い、修復に情熱を注いできた。修復作業は一年にも及んだという。

 今、目の前の巨大なパネルにはうっすらホコリが付着している。情熱の結果が、この壮大な「無視」だ。

 絵は、忘れられ、見いだされ、また忘れられた。なんという屈辱か。

 東京大学の中央食堂の改修工事の際、長年壁を飾っていた絵が廃棄された。宇佐美圭司という、美大の教授を歴任した画家の名前を関係者が知らないまま。彼らにとっては壁紙と大差なかったのだろうか。レストランの壁の絵とはそのような存在なのか。抽象画家マーク・ロスコが、高級レストラン、フォー・シーズンズからの依頼を受けながら、最終的に自作を掲げるのを拒否したことを思い出させる。

 岡本太郎は完成した作品には執着しない人柄だったようだ。分析的見方ではなく見る者の本能で絵と対峙することを説いた。とはいえ、日常の一部として作品が埋もれてしまうことが本意だっただろうか。

 絵とそれを取り巻く社会的状況は常に変化する。メキシコ壁画が熱を持つのは、民衆の心と合致しているからだ。日本でそのような情熱を伝えるには、情熱に応える支持者が必要だろう。三島由紀夫の場合はどうだったか。彼の最後の檄が自衛隊隊員に届かなかったのも温度差がありすぎたからだ。

 一方で、芸術の使命が人々の覚醒にあるのなら、神話が神話のままであり続けることは許されない。

 岡本太郎は芸術を大衆化することを望んだ。しかしそうすることが皮肉にも、彼の批判する、陳腐化、記号化につながる。富士山の形象が「八の字」で表されるように。

 受け手を刺激するために、芸術家は新たな作品を生み続けなければならない。しかし常に新鮮な刺激を与えるには、岡本本人が生き続けていなくてはならなかった。彼はもういない。

 ─ぼくならもっとうまくやれる。五週間後には、この絵はかつてないほどの注目を集めるだろう。日本だけでなく全世界から。

 偉大な作品は、最大の敬意を払って破壊する。

 男は、身のうちに静かな闘志がたぎるのを感じ、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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