close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2019年11月号 小説すばる

【新連載】
木内昇
「剛心」

 鼻の下に申し訳程度に蓄えた髭を、舶来品の鋏で整えるのが、このところすっかり癖になっている。ことに、考えごとが頭に渦巻いてくると自ずと鋏に手が伸びる。
 ─さて、東京をどうするか。
 麴町区霞が関に建つ外務省庁舎の自室に籠もり、井上馨は、机上に散らばっていく髭の切れ端の不規則な動きを目で追っている。鋏は、この庁舎を設計したスコットランド人建築家ボアンヴィルから、かつて贈られたものだった。
「外務省は、日本の顔となる。それに見合う、壮麗な建物にせねばならん」
 政府の出したこの注文に応え、四年前の明治十四年、二階建て洋風建築の庁舎が完成した。当時、外務卿としてこの建設に立ち会った井上は早速内見し、堅牢でありながら窓や柱にまで繊細な装飾が施された造形に舌を巻いたのだった。それまで使われていた、寺院然とした古くさい庁舎とは雲泥の差である。これが西欧と肩を並べていくということか、と廊下に響く小気味いい靴音を聞きながら、密かに胸を躍らせたものだった。
 ─しかし一部の建物だけが立派でも、西欧には追いつけん。東京府全体を、早く整えることじゃ。
 改めて己を鼓舞した刹那、御一新ののち江戸に踏み入れた折の光景がふと甦った。こねぇな町じゃったろうか、と井上はそのとき呆然と立ちすくんだのだ。
 長州の産ながら、若い頃から藩務で再々出府していた井上にとって江戸は、勝手知ったる町のはずだった。日本橋辺の商家の賑わいも、芝居に見世物と遊興場があまたある市中も、故郷とは比べものにならないほど華やかで煌びやかな光に満ちていた。
 ところが、東京と名を変えた当初のこの町は、ひどく暗く、くすんでいたのだ。主人を失った武家屋敷は、屋内を何者かに荒らされ、庭の草木の手入れも欠いて、あたかも浅茅が宿の様相であった。彰義隊の戦を機に、江戸を捨てる者が多く出たためだろう、どこを歩いてもひと気は乏しく、空店では親に捨てられた赤子や幼子が飢え死にしていた。あれほど賑わっていた日本橋でさえ、ぬかるみだらけの地面に野犬がうろつく、荒寥とした景色へと様変わりしていたのである。
 井上は、手にしていた鋏を抽斗にしまい、代わりに机脇の棚から筒状に丸められた洋紙を取り出した。机上に散らばった髭をひと吹きで飛ばしてから、紙を広げて立ったまま眺める。顎をさすり、腕組みをし、落ち着かなく身体を揺すりながらも、紙面を凝視し続けた。
 首を左右に振って大きく溜息をついたときだ。外務大臣室の戸を叩く音がして、
「今、ええか」
 こちらが返事をする前に、ひとりの男が遠慮も見せずに踏み入ってきた。その姿を目にして、反射的にせり上がってきた笑いを、井上は唇を嚙んで押し戻す。いつになっても洋装が板に付かない。童が大人の背広を羽織ってでもいるようだ。これで一国の長に収まっているのだから、愉快である。
「聞多のう、先だって、おのしの言うちょった例の計画じゃが、その後、見通しはどうじゃ」
 伊藤博文は、部屋の中央に置かれた応接椅子に身を放るようにして腰掛けるや、そう切り出した。伊藤もまた長州の産である。とはいえ、井上は上士、伊藤は足軽という下士の出であったから、竹馬の友というわけではない。二十歳を過ぎて攘夷運動に奔走する中で懇意になり、長州藩が密遊学として英国に五人の藩士を送った折も共に加わった。「聞多」というのは、井上の御一新前の通称である。井上もまた伊藤を、ふたりだけのときには未だ「俊輔」とその頃の名で呼んでいる。五十を過ぎたというのに、昔の癖がなかなか抜けぬ。
「進めておる」
 井上は小さく答えた。例の計画、とは官庁集中計画のことだ。この霞が関から日比谷一帯に政府の役所を集めるべく、お抱え異人建築家に一から街造りをさせる、という井上が暗々裏に進めてきた市区改正案だった。
「設計図も、先般ようやっとあがってきたところじゃ」
 井上は、机上の洋紙を人差指で二度ばかり小突いた。伊藤が立ち上がって覗き込む。それから上目遣いに井上を見遣り、
「不満そうじゃのう」
 と、図星を指した。長い付き合いだけのことはある。
「コンドルにやらせたんじゃが……どうも気に食わん」
「なにがいかんのじゃ。コンドルとおのしゃあ、気脈を通じちょろう」
 英国人建築家、ジョサイア・コンドルは、政府のお抱え建築家として日本における洋風建築の今や第一人者であり、工部省が創設した工部大学校で教鞭も執っている。井上発案で計画を進め、二年前に竣工した鹿鳴館もコンドルの設計だった。西欧建築の贅を尽くしたこの館は、異国要人をもてなす上で欠かせぬ要所となっている。ために、このたびの市区計画も彼に任せてみたのだが─。
「なにが、っちゅうこともないんじゃが……ひと言で言やぁ、薄味っちゅうんかのう。重みゆうもんがどうも見えんのじゃ」
 コンドルはふたつの案を出していた。
 ひとつは、官庁街の中心に小さな公園を設え、そこから放射線状に延ばした道に沿って庁舎を等間隔で置いていくというもの。もう一方は、日比谷の海側に広大な公園を据え、官庁舎を高台に集める案だ。いずれの洋館も、意匠は規則正しく律され、統一感もある。だが井上は一見して、同種の将棋駒が漫然と並んでいるのを見るような、物足りなさを覚えたのだ。
「この図を見ただけじゃあ、わしにゃあ重いか軽いか、まるでわからんが」
 伊藤は机から離れ、再び応接椅子に腰を下ろした。井上も、その対面に座る。
「わしも、設計図だけでは判じかねるところもある。実際建ってみたらええかもしれん。けぇどこれでは、単に異国の街並みを小さくしただけのものにならんかのう。なにしろのっぺりしちょるように感じるんじゃ」
「のっぺり……のう」
 つぶやいて、伊藤はこめかみを搔いた。
「わしゃのう、もっと威厳のある街並みにしてぇのよ。美しさより、威厳じゃ。いかつい建物に、悠然と開けた道。日本っちゅう国は、西欧に引けを取らん大国じゃっちゅうことを、威風堂々とした官庁街を造り上げることで示したいのよ」
 唾を飛ばして長広舌を振るったのに、伊藤は鼻から笑いを抜いた。
「そりゃあ無理じゃ。日本はまだまだ西欧には及ばん。技術でも国力でもな」
 この年、初代内閣総理大臣に任命されたばかりの人物とは思えぬ、緊張感のなさである。
「阿呆。おのしがそねぇなことを言ってどうする」
 かつて吉田松陰が長州は松本村で開いていた松下村塾の、伊藤は塾生だったのだが、ぼうっとして気も利かぬから、高杉晋作や久坂玄瑞といった英才の中に埋もれるばかりで、師の松陰から特段目を掛けられることもなかった。「どうもぬらくらして、気持ちの悪い奴じゃ」というのが他の塾生からの評価で、暖簾に腕押しのその気質は未だ健在である。
「威厳を見せられなけりゃあ、官庁集中計画もへったくれもねぇんじゃ。わしがなんのために、この面倒な改革を背負い込んじょると思う。すべては、条約改正のためではねぇか」
 国訛りが激しくなり、言葉付きも乱暴になる。
「幕府の負の遺産をよ、あの不平等条約を改正せんことには、西欧と並ぶどころか、西欧のいいように操られるばかりじゃ」
 日本側に不利な引換率、関税率の無謀な引き下げ─それが開国を決めた幕府が米国はじめ諸外国の強弁に屈して結んでしまった通商条約だった。これを明治政府が引き継ぐ羽目になり、早い時期から再三再四条約改正交渉を諸外国に持ちかけているのだが、先方からすれば、これほど旨みのある条約を手放す気はさらさらないのだろう。
 日本は、条約についての話し合いよりも、国内を整えるのが先ではありませんか。幕府から新政府に代わったのに、道も建物も港も整えられてはいないでしょう─異国大使らはそう難癖をつけて、交渉へと続く道を巧みに断ち切るのである。
「立派な街を造りゃあ国が強うなる、っちゅうことでもないような気もするがのう」
 あくび交じりに言う伊藤に、井上は激しくかぶりを振った。
「阿呆け。目から入ってくるもんっちゅうのはでかいんじゃ。御一新前に英国に渡ったときのことを、おのしゃあ覚えちょらんのけ。石造りの立派な建物が並んじょる様に、わしら肝を潰したろう。こりゃあ勝てん、と泡を食ったろう。それまでの攘夷思想なんぞ、一遍で吹っ飛んだわ」
 幕藩時代、長州藩は攘夷運動のいわば急先鋒であった。だが英国に渡ったとき、これまで単に敵としてしか見てこなかった西欧諸国の政治や技術に接して、井上はあっさり兜を脱いだのだ。攘夷なぞ無理だ。それよりも今は異国に学ぶべきではないか─。
「まぁ、それもそうじゃのう」
 伊藤は、わかっているのか、いないのか、あくまでも吞気な調子で相槌を打つ。
「いずれにしても、内閣に通すなら早いほうがええ。内務省でも、市区改正案を進めちょるけぇ」
 言われて、井上の片眉が跳ねた。
「芳川の案か」
 伊藤は黙って顎を引く。東京府知事・芳川顕正が提案した市区改正案は、昨年内務省管轄に移り、着々と進められているのだ。
「早ぇとこ建築家を立てることじゃな。コンドルが気に食わんのなら、他国の大使館に掛け合って、建築家を推挽してもろうてはどうじゃ」
 伊藤は言ってから、
「内務省と外務省が揉めんよう、うまく治めるつもりじゃけぇ、相応の準備をよろしゅう頼む」
 立ち上がりしな井上の肩を軽く叩いて囁くと、小僧のような身軽さで気忙しく退室していった。

(続きは本誌でお楽しみください。)

閉じる