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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2019年10月号 小説すばる

【新シリーズ】
道尾秀介
「笑わない少女の死」

 献花台は無数の花束で溢れたと、その記事には書かれていた。
 十歳の少女は路傍で死んだ。うつぶせになってそこに転がり、周囲の人々が慌てて確認したときには、もう息がなかったという。記事には生前の写真が添えられていた。こちらを向いた彼女の顔は、これから自分の身に起きることなど何も知らず、恥ずかしそうに頰笑んでいた。
 少女を殺した犯人を、私は知っている。
 私だけが知っている。
 しかし、このまま誰にも話さず死んでいくだろう。
(一)
 カップ麵の汁をすすり終えると、底に「SOS」と文字が並んでいた。
 両手でカップを支え持ったまま、ゆっくりと上体を引く。老眼の目が焦点を結んでくれる場所まで顔を離してみても、千切れた麵の端は、やはり「S」「O」「S」と並んでいるのだった。
 これはいったい何の略だったか。ライティングデスクの端に置かれたティッシュペーパーを抜き取り、口のまわりについた汁を拭いながら記憶をたどる。そう、Save Our Souls(我らを救い給え)─あるいはSave Our Ship(我らが船を救い給え)─学生時代の英語教師がそう説明していた。卒業後に自分もまた英語教師となり、それから四十年近くも中学校の教壇に立ってきたというのに、どちらが本当なのか、そういえば調べ直したことがない。
「それは、おたく、しだい」
 この駄洒落癖で数知れない生徒たちを苦笑いさせてきたものだが、いまは誰も聞く者がいないホテルの部屋に、虚しく響くばかりだった。目を上げると、デスクの奥に張られた鏡に、驚くほど卑屈な顔が映っていた。
 人生二度目の海外旅行だった。一度目は、二十年近く前。姪がハワイで結婚式を挙げるというので、妻と二人でパスポートを取って国際便に乗った。そのときにはすでに、勤続年数でいえばベテラン英語教師だったにもかかわらず、ハワイにいるあいだ、私はほとんどひと言も英語を口にしなかった。いつも親戚たちとひとかたまりになって行動していたし、その行動範囲も狭いもので、どこでも日本語が通じたからだ。
 私が定年退職したら、二人で海外旅行に出かけようと、互いに五十を過ぎた頃から妻と話していた。ともに異国の空気を吸い、日本と違う景色を眺め、現地の人々とふれあい、人生の午後をどう過ごすかをゆっくり考えてみようと。しかし妻は二年前、私を置いて地図のない国へ旅立った。子供のいない私は一人になった。自宅の窓際でピンク色の五弁花を咲かせていた鉢植えも、妻が持っていってしまったのか、すぐに枯れた。カタカナの長い名前は最後まで憶えられなかった。
 もし妻がいっしょだったら、どんな顔をしていただろう。英語教師をつづけてきたはずの夫が、空港やホテルで、外国人を前にどぎまぎし、頭に染みついているはずの英文法をまったく思い出せず、肌寒い季節だというのに汗だくになっているところを見たら。
 授業で使う教科書はもちろんのこと、学生時代から趣味で洋書を読んできたので、書かれた英文ならばたいがい理解できる。しかし、話すとなるとてんで駄目で、文法の知識も単語の記憶もまったく役に立たないのだった。もちろんそれは以前から承知していたことではあるが、こうして一人外国へ来てみると、あらためて会話力のなさを思い知らされる。誰もゆっくり話してくれないうえ、アイリッシュアクセントが強く、単語の一つもろくに聞き取れない。もっともアイリッシュアクセントが強いというのは、事前に図書館で読んできたアイルランドの観光案内本にそう書いてあっただけで、本当に強いのかどうかさえわからない。
 わずか一週間の滞在予定だというのに、一昨日も昨日も、私は背中を丸めてホテル周辺を歩くばかりで、異国での見聞を書き留めようと用意してきた新品のメモ帳は、いまだ真っ白なままだ。勇気を奮い起こしてレストランへ入ってみても、言葉は粘土のように咽喉もとでつっかえ、注文は指さし作戦で行うほかなかった。髪に櫛の目が立ったウェイターに、早口で何か訊かれれば、わかったふりをしてイェス、イェスと頷いてしまうので、パンがついたシチューとパンが運ばれてきたりする。食べきれなかったパンをホテルに持って帰ろうと思ったら、また同じウェイターが近づいて来て何か訊かれた。workingという単語がかすかに聞き取れたので、仕事でこの国へ来たのかという質問だと思い、ノーと首を振ったところ、パンをぜんぶ下げられてしまった。あれは「Are you still working on this ?(まだこれを食べている途中ですか?)」だったに違いない。あとでそう気づいたものの、ホテルの部屋に戻ってからのことだったので意味がない。
 自分がどんどんみっともなく、惨めに思われ、三日目の今日はとうとうホテルの部屋から出ることもせず、ドアにDO NOT DISTURBの札を下げたまま、日本から持参したカップ麵を侘しくすすっているのだった。
 近年、日本の学校では英文法よりも英会話の授業に力を入れている。英語をろくに喋れもしない英語教師は、定年退職するにはいい頃合いだったのかもしれない。
 カップ麵の容器を覗き込む。並んでいた「SOS」の三文字が、残った汁の中で散り散りになっている。それを意味もなく眺めていたら、すぐそばで電話が鳴った。ぎくりと身構えてデスクの上を見る。しかし電話はどこにもない。首を回すと、デスクの左端にそれはあった。左目の白内障が進んできたせいで、そちら側がよく見えないのだ。
 ひと呼吸置いてから、胃袋を摑まれているような思いで受話器を取った。
「……ハロー?」
 自分の声が、当たり前だが耳元で大きく響く。
 電話は若い男性からだった。たぶんホテルのスタッフで、愛想はいいがひと言も聞き取れない英語で何か言われた。舌が固まって声を返せずにいると、さらに言葉がつづく。困ったことに、今度は明らかに質問だった。
『ワッタイジュライカストゥリーンィヤルー?』
 そう聞こえた。
「……ソーリー?」
『ワッタイ、ウジュライカス、トゥクリーン、ィヤルー?』
 数秒考えて、ようやく「What time would you like us to clean your room ?(何時に清掃に伺えばよろしいですか?)」だと見当がついた。
「ああ……ナウ、プリーズ」
「Thank you, have a nice day」
 聞き取れた。
「サンキュー」
 受話器を戻した手を、しばらくそのまま動かすことができなかった。たったいま自分は英語で会話を交わしたのだという高揚感が、じわじわと全身を満たしていた。
 が、こうしてはいられない。ナウと答えてしまったからには、いまにもスタッフが掃除をしに来るに違いない。私はすぐさま立ち上がり、カップ麵の容器をゴミ箱に突っ込むと、それを隠すように、ティッシュペーパーを適当に取って上から捨てた。トイレで素早く用を足し、逃げるように部屋を飛び出すと、何でもない顔でフロントの前を過ぎてダブリンの街に出た。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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