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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2019年6月号 小説すばる

【新連載】
町屋良平
「坂下あたるとしじょうの宇宙」

 

 燃ゆる漏斗の形せる、紺青の空をぶちのめす。
          アルチュル・ランボオ

 

 

「ヒョッ!」
 みたいな声がでた。
 自分の名前をみつけた瞬間だった。
 授業に遅刻して、書店に寄っていた。朝弱いおれは、制服をちゃんときて、一応顔も洗って適当な身支度をすませ、家から出かけたという意識を失っている。いつのまにかいまここにいる、という感じだった。
 まるで空中遊泳しているみたい。午前ちゅうはいつもそうだ。なにが起きても、記憶すら覚束ないのに、後から回想しようとすれば、おぼえていることはちゃんとおぼえている。昨日理科の授業の一環で、クラスの皆で校庭をフィールドワークして、夏の草花をみつけながら散策したこととか。

 その一瞬の風のぬるさとか。
 心地よさとか。
 地元の書店は、もしおれがあと十人もいたら、満杯になってしまうだろうというぐらいのスペースしかない。立ち読みしている時とか、いつも想像する。あと十人のおれが、この書店にいっぱいになって、だけど、十人はそれぞれ違う本を立ち読みしているから、あたまのなかはべつの宇宙でいっぱい。宇宙×宇宙で、ぐわーってなって、ぐるぐるする。最高にきもちわるいような、最高にきもちいいような、その境界はいつだってあいまいなんだ。
 立ち読みしていた『現代詩篇』の誌面、「今月の投稿欄」の「選外佳作」の欄に、おれの名前があった。
「佐藤ダブリス」
 おれのほんとの名前は佐藤毅だけど。
 それと、おれの投稿していた作品名。
「シュワシュワ」
 とにかく、おれは朝のうつろなあたまのなかで、それでも最大限期待していたけれど、それでも現実はまだあたまのなかに定着していない。夢のつづきだ。これは夢のつづきなんだ。だけど、ソワソワしてしまって、本を閉じて、棚に仕舞って、もう一回みて、やっぱり、
「佐藤ダブリス シュワシュワ」
 とかいてあって、やっぱ閉じて、も一回見る。えんえんくり返した。
 おれはそのとき、いつもの想像じょうでこの書店を埋め尽くしていたおれが一瞬でこの場所に収束したような、奇妙な浮遊感をおぼえた。おれが、おれに還ってきた! そんな感じ。そんなことって、感じたことのないへんなきもち。ボンヤリしたあたまで一度書店をあとにし、我にかえってもう一度書店にもどり、もう何回目になるかわからない自分の名前を確認し、『現代詩篇 八月号』をレジに持ってってかった。

 

 べつに、詩人になりたいわけじゃない。
 だけど、おれにだって、なにかあるんじゃないかとおもった。
 詩っていうのはふしぎなもので、自分になにかがあるんじゃないかとおもってかけばかくほど、自分になにもないってことがわかってくるものだけれど。自分の空洞をみせつけられるみたいに。
 三時間目のはじまるあたりで、後方のドアから教室へはいると、クラスの窓際から二列目、前から二番目の席に坂下あたるはいて、バッチリ目があった。おれは、顔がにやけそうになりながら、必死で舌を嚙んでごまかし、「おう」という口だけつくって、自分の席に座った。あたるも「おー」という口をした。廊下から三番目、後ろから二番目の自分の席。
 坂下あたるはスゴイヤツだ。父親が詩人兼翻訳家、母親も翻訳家で、あたるじしんも小説をかいて新人賞の三次選考に二回も残っている。まだ十七歳なのに。詩もかく。『現代詩篇』の投稿欄においても選外佳作とかじゃなくって、四、五回は詩が載ったこともある。それに批評もかくし、短歌もかく!
 いまあたるは新興の小説投稿サイト『Plenty of SPACE』に夢中で、公募新人賞用の小説や詩をかきながら、熱心に文章を投稿していた。
『Plenty of SPACE』はいまや読書家のあいだに浸透しつつある小説投稿サイトとしては後発のほうだが、ラノベ系やファンタジー系に席捲されている他サイトと異なり、文学や批評にある程度真剣な層を集めることで他サイトとの差別化を図っていた。あたるも『Plenty of SPACE』では主に批評やエッセイを載せては好評を博している。サイト内の「虚星ランク」(読者の反響の大きさでつけられるランキング)ではランク七位に入っているし(あたるいわく、「ランキングをあげることにキョーミはない」、らしいけど)、たまに枚数の関係で新人賞に応募できない短篇小説とかを載せると、閲覧数三千越えはよゆうだし、フレッシュ!(という名のただのお気に入り)獲得数は最低でも三十コ、感想、或いはほしのこえ(という名のただの感想)も五つはつく。たいていは好意的な評だ。
 おれは、自分が詩をかいていることなんてあたるに一度もいったことはないけど、ときどき『Plenty of SPACE』に日記とかを投稿して、あたるとは比べ物にならないほどうすーい反響をえていた。だけどあたるは「毅には才能あるよ!」っていう。おれはうそだろ?っていう。
「オレは文章関係に関しては、ひたすらにふざけない」
 だから毅には才能ある、といっていた。いままでそんなのぜんぜん信じてなかったし、ほんとうは劣等感でいっぱいだったけど、だけど『現代詩篇』の選外佳作に選ばれたことで、その黒いきもちもいくらかうすめることができていた。
 授業をうけていても、うわの空で、窓の外ばかりみてしまう。快晴だ。こんな抜けるような青空、夏だっていうのに、おれたちはなにをやっているのだろう? 勉強するならまだマシだ。海へいくでもない、部活に燃えるでもない、おれたちの貴重な青春を、現代詩だの小説投稿サイトだの、そんなものに費やしていて、空しくないか? だけど、あの書店で自分の名前をみつけたときの宇宙が、この青空すらを貫いていた。
 うれしい。たんじゅんに。すごくうれしかった。
 おれたちのポエジー?
 そんなの、すっげーバカみたいだけど。

 

 三時間目が終わると、本を読みながらあたるがおれの席まで来て、「午後になって好調になったら放課後どっかいこうぜ!」といってきた。手には『ヴァージニア・ウルフ短篇集』とかかれた本をもっていて、目ではその活字から浮かびあがるイメージを真剣に追っている。
「もうすでにそこそこ好調」
 とおれは応えた。
「よっしゃ」
 とあたる。
「じゃーそれまでにウルフが描く風景の特別さについてプラスペに短い文章あげるから、みてくれよな!」
 プラスペとは『Plenty of SPACE』の略称である。本から目もあげずにあたるはいい残して、自分の席へ戻っていった。スマホをとりだし、バチバチとなにかをかきつけながら真剣に本をよんでいる。あたるのすきな、イギリスの古い小説家だ。かれの『Plenty of SPACE』ページのアイコンにもつかわれているからその顔だちはわかる。白黒の写真で、神経質そうな女性の横顔がうつっている、それがヴァージニア・ウルフ。
 おれはあたるに選外佳作のことをいいたくてソワソワしている。だけど、おれはあたるみたいに本なんてよまない。芥川も太宰も春樹も流行りの作家すらも、教科書以外の文章をほとんどよんだことない。ヴァージニア・ウルフについての論考をかくやつと、こんなふうにつるんでいていいのだろうか? ときどき例の劣等感にさいなまれる。あたるはこんなおれに「才能がある」っていってくれたけど、才能ってなんだ? ついでに、詩ってなんだ?
 だけど、ほんとうはわかっている。おれに才能なんてない。おれの詩は、あたるの詩のパクリだし。というより、日々いっしょに遊んでいて、坂下あたるの「あえて語らなかった」あるいは「語りこぼした」ことばの集合でできている。あたるのことばの結晶化を逃れたもの、ダイヤモンドの削りかすみたいなのを、おれが拾い集めてできているのが、おれの詩だ。おれの想像力なんて一%もふくまれていない。それでも、名前が載ってどうやってもうれしくて、いつもより好調! 外に飛び出したくてソワソワした。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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