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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2019年5月号 小説すばる

【新連載】
薬丸岳
「ブレイクニュース」

     嫌疑不十分

 コンビニに入ると、杉浦周平は店内を見回した。店長はいないようだ。レジに立っている若い女性に近づく。
「あの……店長さんはいらっしゃいますか?」
 周平を見つめながら若い女性が首をひねる。
「あ、今日からここでバイトをすることになっていた杉浦と言います。先ほど店長から携帯に留守電が入っていて、そのことでちょっと……」
「少々お待ちください」
 女性はそう言うとレジから出て、奥のドアに向かっていく。店長は事務所にいるようだ。
 三日前に事務所で面接をしてアルバイトとして採用された。夜十時から朝六時までの夜勤で週五日という条件だ。人手不足だから大いに助かると、店長は上機嫌だった。だが、シャワーを浴びている間に電話がかかってきて、採用を取り消す旨の留守電のメッセージが残されていた。
 理由については言っていなかったが、察しはついていた。今までに十回以上同じ理由で採用を取り消されている。
 今回も厳しいことを言われるだろうが、貯金も底をつきかけているので何とか食い下がらなければならない。
 ドアが開いて、女性とともに店長が出てきた。露骨に顔を歪めながら「何?」と訊く。
「さっきの留守電のメッセージはどういうことですか? いきなり採用を取り消すって……」
 周平が言うと、ドアの奥に向けて店長が顎をしゃくった。店長とふたり事務所に入っていく。
「近頃、SNSにバイト先の変な動画を投稿する輩が多いから、新しく採用しようという人のことは一応ネットでチェックするようにしてるんだよね。君の名前を検索したら、ある記事が出てきてさあ。三ヵ月前に女性を襲って逮捕された二十五歳の男って、君のことだよねえ」
 やはりそうか。
「面接のときにはそんなこと、一言も言ってなかったじゃない」店長が机に置いてあった履歴書を手に取ってこちらに突きつける。「履歴書にも書いてないよね。勉強したいことができたから前の職場を辞めたって言ってたけど、それも噓なんでしょう?」
 逮捕されたから解雇されたなんて面接で言えるはずがない。
「たしかに逮捕されたのは事実ですし、それを黙っていたのは謝ります。ただ、不起訴になりました。僕はやっていません」
 冤罪だ。自分は断じて女性を襲ってなどいない。
「その記事も見つけたよ。小さな記事だったけど。嫌疑不十分で不起訴になったって」
 不起訴はその理由に応じて『嫌疑なし』『嫌疑不十分』『起訴猶予』の三つに分類される。
『嫌疑なし』はその名の通り、被疑者に対する犯罪の疑いが晴れた場合だ。『起訴猶予』は有罪の証明が可能であるが、被疑者の境遇や犯罪の軽重、また犯罪後の状況などを鑑みて検察官が不起訴にする。
 周平に示された『嫌疑不十分』という判断は、犯罪の疑いは完全に晴れないものの、裁判において有罪を証明するのが困難だと考えられている場合だ。
「つまり、やっていないって証明されたわけじゃないんでしょう? うちは接客業だから、そういう人を雇うわけにはいかないよ」
「でも、僕は本当にやってないんです。釈放されてからいくつも面接に行ってるんですけど、どこも採用してくれないんです。このまま仕事が見つからなかったら、生活していけません。頑張って仕事しますから、どうかここで雇ってもらえませんか」周平はそう訴えながら頭を下げた。
「こっちも働き手が欲しいのはやまやまなんだけどねえ。でも、ここで働くのは君にとっても酷なことだと思うんだけどね。ネットには君の情報が出ているんだから、そのうちお客さんや他のバイトの子たちも君が逮捕されたことを知るかもしれない。お客さんからも同僚からも白い目で見られながら仕事をするなんてきついでしょう」
 店長を見つめながら言葉が出ない。
「まあ、仕事はしなきゃいけないだろうけど、こういう接客業はやめておいたほうがいいんじゃない?」そう言って店長が履歴書を差し出してくる。
 これ以上食い下がっても無駄だと諦め、周平は店長の手から履歴書を受け取った。力なく頭を下げて事務所を出ていく。
 コンビニを出て外の空気に触れても息苦しさはやまない。
 どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだと、胸の底から激しい怒りが湧き上がってくる。
 駅に向かっている途中、ポケットの中で振動があった。スマホを取り出して画面を見る。登録していない番号からの着信だ。
「もしもし……」周平は電話に出た。
「杉浦周平さんのお電話ですか?」
 男性の声に、「ええ、そうです」と答える。
「先日お話を聞かせてもらったウィークリーセブンの須藤です」
 その言葉に反応して、鼓動が速くなった。
 自分の窮状を訴える手段はないかと、いくつかのテレビ局や週刊誌に連絡をした。どのマスコミも周平の話に興味を示さなかったが、ウィークリーセブンの須藤だけはきちんと耳を傾けてくれて、冤罪の訴えを誌面に載せられるかどうか編集会議で検討してみると言ってくれた。
「それで、どうですか?」勢い込んで周平は訊いた。
「結論から言いますと、現時点では誌面に載せるのは難しいという判断になりました」
 落胆がこみ上げてくる。
「嫌疑なしという判断が下されていたのだとしたら、こちらとしても杉浦さんの主張を誌面に載せることができたんですが。冤罪によって二十日間も警察に勾留され、そのせいで仕事や社会的な信用を失った、と……。ただ、嫌疑不十分ということですと、被害者の女性にお話を聞けないまま、杉浦さんの主張だけを一方的に載せるのは、マスコミ倫理としていかがなものだろうと」
「そうですか……」それしか言葉が出てこない。
「力になれず申し訳ありませんが……どうか気を落とさずに頑張ってください」
 電話が切れた。重い足取りで駅に向かう。
 電車に乗ると、空いている席に座って目を閉じた。
 また仕事の当てをなくしてしまった。
 昨日、不動産会社から連絡があり、滞納している家賃を納めなければ退去してもらうときつく言われた。
 これからどうすればいいのだろう。
 周平は目を開けてポケットからスマホを取り出した。ネットにつないで、派遣会社を検索する。
 とりあえず日雇いの仕事を探して当座をしのぐしかない。
 派遣会社のホームページを見ていると、「マジか……」と男性の呟きが聞こえて周平は目を向けた。隣に座ったイヤホンをつけた男性が食い入るようにタブレットの画面を見ている。
 ユーチューブの画面の右上に『ブレイクニュース』とテロップが出ていて、若い女性がひとりで映っている。女性は紺のスーツに白いブラウス姿だが、ブラウスの上のボタンはふたつ外され、ニュースキャスターとは思えないエロさを醸し出している。
 周平は興味を覚えてスマホのユーチューブを起動させた。『ブレイクニュース』と検索すると、いくつかの画面が縦並びに表示される。
 いずれもこちらを見据えるような女性の静止画像であり、その横に『野依美鈴のブレイクニュース』というタイトルと日付、視聴回数などが記されている。
 野依美鈴――?
 女子アナには詳しいほうだが、その名前は知らない。
 多いものでは視聴回数が二千五百万回を超えているので、相当人気があるチャンネルなのだろう。
 鞄からイヤホンを取り出して耳にはめると、視聴回数が一番多いものをタップした。画面が大きくなり、缶コーヒーのCMが流れる。それが終わると室内の映像に切り替わった。
 台所のようだ。ふたりの女性がテーブルにはす向かいに座っている。ひとりは検索画面に出ていた野依美鈴だ。
「皆さん、こんにちは。ブレイクニュースの野依美鈴です。今日はあるお宅からこの映像をお届けします。日ごろからブレイクニュースをご覧のかたの多くはおわかりかと思いますが、今日は富永菜々美さんにご出演していただくことができました。富永さん、今日は本当にありがとうございます……」

(続きは本誌でお楽しみください。)

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