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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2019年1月号 小説すばる

【新連載】
新庄耕「地面師たち」

著者近影

 不動産売買を餌に多額の金を騙し取る詐欺師、地面師。

 〈開幕〉を前に、彼らは喫茶店で最終準備をして――。

 

     一

「干支は?」
 後藤はコーヒーカップを机上のソーサーにもどしながら、正面の小柄なササキに眼をやった。
「え」
 いくぶん緊張した面持ちのササキが間のぬけた声を出した。
「え、ちゃうで。しっかりしてえや。これから本番なんやで、頼むわ。ジイさん、あんだけ練習したんやから、ちゃんと頭に入ってんやろ」
 後藤は苛立たしげな声をもらし、ベルトを隠すほどの脂肪でおおわれた腹をゆするようにして座り直した。
 駅からほど近い喫茶店には、拓海と同年代だろうか、出勤前と思しき三十代後半の女性がノートパソコンをひろげていたり、よれたスーツを着た中年男性が放心したように虚空を見つめて紫煙をくゆらせたりしている。客の姿は少なくないが、各席はゆとりをもって配され、適度なざわめきもあるためか、窓際に面したこちらのテーブルに関心をはらうものはいない。
 アイスティーにささったストローを口にくわえ、拓海は隣の後藤をうかがった。かろうじて残された頭髪をポマードで後ろになでつけ、仕立てのいいスーツを身にまとった佇まいは、一見して店内のどのビジネスマンよりも紳士然としているが、ササキをにらみつける目元は険しい。
「ササキさん」
 拓海は、かたい空気を振り払うようにつとめて明るく呼びかけた。
「先方と会ったら、いつどんなタイミングで質問が飛んでくるかわかりません。いつでも答えられるように心の準備をしておいてください。気を張る必要はないです。リラックスして、ごくごく自然に、なるべくわざとらしくならないように」
 そう落ち着いた声で語りかけると、ササキはすがるような目を浮かべて小さくうなずいた。
「もっぺん最初から暗唱させた方がええわ。不安やわ、こんなん」
 横から後藤がじれったそうに声を出す。拓海と後藤はこの日はじめてササキと対面したが、その「出来」については、本番に耐えうるというハリソン山中の所感しか知らされていない。
「ジイさん、あんたの名前は?」
「し、島崎健一」
 身をせり出した後藤に気圧されつつも、ササキがおずおずと答えている。拓海は、氷の溶けたアイスティーを口にふくみながら、二人のやりとりに耳をかたむけた。
「ほな生年月日」
「生年月日は……昭和十五年の二月……十七日」
 ササキの眼がせわしなく左右にさまよう。この日のためにたくわえられた口髭が、声を発するたび毛虫のごとく動き、窓外にあふれる六月の朝陽をうけて白く光っていた。
「西暦で言うてみ」
 間髪入れず後藤がたずねる。
「ええと……一九四〇年生まれの二月十七日。干支は辰で、生まれは新潟の長岡─」
「あかんあかん。訊かれてもないことそんなぺらぺら話したらあかんて。訊かれたことだけでええねん。余計なこと言うたらあかん。すぐボロが出るから」
 後藤がとがった声でたしなめると、ササキはすみませんと小さく言ってテーブルに眼を落とした。拓海はすかさず表情をゆるめ、ササキをなだめた。
「ササキさん、質問には短く答えるだけで結構です。もし仮に事前におぼえてないことや答えられない質問がきたら、曖昧に言葉をにごしてください。その場合は我々の方でフォローするようにしますから」
 フォローすんのも限界あるやろ、と隣の後藤が不満そうに口をとがらせている。
 後藤が神経質になるのも無理はない。ササキが受け答えひとつ間違えるだけで、拓海たちがこれまで入念に積み重ねてきたものが崩れ去り、残代金の六億円をとりっぱぐれることになってしまう。拓海は、不安の色を隠そうとしない後藤をなだめつつ、引きつづき暗記事項の確認をササキに求めた。
 ササキはうなずき、緊張を解きほぐすようにコップの水を飲んでから、ふたたび口を開いた。氏名にはじまり、生年月日、干支、出生地、家族構成、家族の氏名や年齢、隣近所の状況、最寄りのスーパーマーケットの名前、物件の概要や外観、売却の理由などと多岐にわたり、ところどころ言葉に詰まるところはあったものの、記憶にきざまれているらしい。
 今回のプロジェクトでターゲットとしている物件の所有者は、島崎健一という七十八歳の男性だった。数年前に妻と死別してからはひとりで暮らしていたようだが、昨年の夏に都内の老人ホームに入所し、現在はそこを生活の拠点にしているのだという。
 島崎健一のなりすまし役を立てるにあたって、ハリソン山中らはいつもより多くの候補者と面接したと聞いている。中にはこのササキよりも演技力に秀で、容姿や背格好についても、本物である「島崎健一」にもう少し似ているものもいたらしい。どの候補者を選出するか意見が分かれたようだが、結局はその優れた記憶力を買ってササキを採用したハリソン山中の判断は間違っていなかったとあらためて思った。
「ほんで拓海くん、書類の方は大丈夫なん?」
「ええ。何度もチェックしたので」
 三日前に、後藤をふくむメンバーの最終打ち合わせが終わったあとも、拓海はハリソン山中とともに書類や証明書に誤りや漏れがないか、時間を割いて確認作業を行っていた。
「見してくれる?」
 拓海が、足元にある茶革のダレスバッグから書類を取り出すのを見て、
「もしまだやったら、これ使うてな」
 と、後藤が速乾性の透明なマニキュアの小瓶をテーブルに置いた。
 よく見れば、後藤の太い指の腹がかすかにつやめいている。両手の指すべてに塗られたマニキュアはすっかり乾ききり、昆虫の殻のように固まって皮膚に密着していた。
「ありがとうございます。僕はもう済ませてきたので、結構です」
 拓海は丁重に答えながら、親指と他の指をさりげなくこすり合わせた。肉眼ではまずわからないが、かすかな異物感をおぼえる。
 アメリカの専門業者から取り寄せた超極薄の人工指紋フィルムが指の腹や掌に貼ってあった。海外の諜報機関などにも採用されたという最新の特殊フィルムで、シリコンとはまったく別の素材でつくられており、表面にはこの地球上でどこにも現存しない指紋や掌紋の凹凸が再現されているうえ、人間と同じ皮脂成分の油膜が塗られている。専用の薬品を使わなければフィルムを剝がすことはできず、お湯や少々の力がかかったくらいではビクともしない耐久性もそなえていた。
 物的証拠となりうる指紋の隠蔽は、多くの地面師にとって基本のひとつとされる。が、マニキュアを使用した詐欺事件があまりにも頻発したせいで、近頃は、書類などに指紋がひとつもないと逆に地面師の仕業をうたがうというのが、知能犯をあつかう二課の刑事の間では常識となっているらしい。当局の眼をかいくぐろうとすれば、後藤がしているようなマニキュアのやり方は古く、もはや通用しなくなっている。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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