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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年10月号 小説すばる

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【新連載】小川 哲「地図と拳」

【SF短編】
草野原々
「【自己紹介】はじめまして、
バーチャルCTuber 真銀アヤです。」

イラスト・H2SO4

 

 あなたは白い空間にいる。他に誰もいない。広大な、無限に広い領域があなた一人のためにどこまでも続いている。
 あなたとは、誰か。かわいらしい女の子である。ガラス玉のように丸い眼がぴょこぴょこと左右に動いている。二つの眼が収まるのは、陶器のように白い肌の顔だ。肌荒れなどありえない。にきびなどあるわけない。あなたは毎朝、スキンケアをしているわけではない。そんな必要、どこにもない。あなたはただあるだけで極限的にかわいらしい。その美しさが失われることは永遠にないのだ。
 ふさっ。腰まで届く豊かな髪を手で撫でる。かすかなバニラの香りが空中に振りまかれる。高い香水を振りかけているわけでも、コンディショナーを使っているわけでもない。あなたの髪は、そのようにできているのだ。カラスがかあかあと鳴くように、ココナッツの実が落ちるように、あなたの髪もまたバニラの香りを振りまく。当然のことだ。もはや言及すらする必要のない世界の真理。
 あなたの名は真銀ましろ アヤ。純白を絵に描いたような外見をしている。モチーフは雪の精霊。いくつもの刺繡が入った水色のローブに体が包まれている。あなたが動くごとに、かすかな冷気が発せられ、小さな雪が空中に現れる。寒くはない。ネガティブに感じる冷気にならないように、慎重にコントロールされている。
 雪の精霊に似つかわしくもなく、その顔は温かだ。猛吹雪のなかであなたに会えば誰もがホッとするだろう。雪を溶かす柔和な笑顔。でもその雪のなかには小石がある。九十九パーセントの柔らかさのなかにある一パーセントの悪意。ぱっと見ただけではわからないが、あなたの顔を長い間見続けている人は、かすかな黒い悪意があることに気づくだろう。それがまた良い。少量の悪意は、スパイスとなってあなたの笑顔を引き立てる。あなたはまったく努力する必要はない。笑おうと思いさえすれば、芸術として一流品の笑顔が自然に誕生する。
 あなたはここで何をするのか。自己紹介だ。はじめましてのご挨拶だ。知らない人に、あなたという存在をアッピールするのだ。
「こんにちは、みなさん。聞こえてますか? 見えてますか? 感じてますか? 大丈夫でしょうか……。こういうのははじめてなので……。ちょっと緊張していますが、はじめたいと思います」
 耳によく響く、高い声。心地よい音。頭の裏をマッサージされたような気分。あなたは自分の声に満足する。
「改めて、はじめまして。真銀アヤと申します。歳は十七です」
 あなたは自分のことを思い出そうとする。自己紹介をするには、自分についてのさまざまなことを伝えなくてはいけないからだ。しかし、あまりに記憶は少ない。あなたはそのことに驚きはしない。平然の心で受け入れる。そういうものなのだと。
 頭のなかに、数少ない自分についての事実があった。あなたはそれを口にする。
「わたくし、実は人間と雪の精霊、両方の遺伝子を持っているのですよ。普通、人間と精霊は交配できませんけど、可能性をシミュレーションした結果、わたくしが生まれたのです。いわば、バーチャルな存在ですね」
 あなたは、誰もいない空間に向かって静かにしゃべる。その声は誰にも届かない。聴いているのはあなただけだ。あなたはあなたへと届けるために声を出すのだ。
「とりあえず、精霊界と人間界とを仲良くしたいなあっと思って、CTuberはじめることにしました。具体的になにをしようかはまだ決めてないんですが……。すいません、計画性ないですね。バーチャルであることを活かした何かができたらいいなって、思ってます。たとえば……こんなの!」
 あなたの脳裏に記憶が蘇る。戦場の風景。サバイバルナイフと拳銃を使った接近戦の最中だ。襲いかかってくる敵を次々と薙ぎ払う。圧倒的にリアルなのだが、一方で現実感のない記憶。
「みなさん意外に思われるかもしれませんが、わたくし、ゲームが得意なんですよ。一度やり始めたら止まらないっていうか。面白いですよねー。この面白さをみなさんに広めるべく、ゲーム実況をやりたいなあと思います」
 記憶のなかの戦場は佳境に入る。マシンガンを装備したジープが木の間から顔を出す。あなたはジグザグに走りながら火線を避ける。追ってくるジープに逆に飛び乗り、運転手を銃殺する。暴走するジープは大樹に衝突し爆発炎上。あなたはくるくると回転しながら炎を脱出する。
 ゲーム実況の記憶。しかし、その記憶はないはずだ。あなたはまだ実況を始めていないのだから。始めていないことを覚えることはできない。経験していないことを思い出すことはできない。あるはずがない。あってはいけない記憶。でも、あなたはその記憶を持っている。
「さてさて、わたくし、どんなゲームを実況するんでしょうね。楽しみだなあ」
 あなたのつぶやきは記憶と矛盾している。すでに、自分が経験していることをないように偽って話している。いや、発話のほうが正しい。いまこの時点では、ゲーム実況はしていないのだから。楽しみにするべきなのは、未来に起こる事象であるべきだ。すでに楽しんだことを楽しみにすることはできないはずだ。にもかかわらず、あなたは経験済みのことを思って、期待に胸をふくらませる。
「てなわけで、一回目は終わりでーす。それじゃあバイバイ。また次回に」
 あなたが消えていく。視界がフェードアウトしていく。自分が真銀アヤであったことを認識できなくなっていく。あなたはあなたの体を失う。生まれたときからあった体を。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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