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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年9月号 小説すばる

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【ニューカマー特集】呉勝浩「論リー・チャップリン」

【クロストーク】
村山由佳×柳美里
「言葉の力を信じて書くということ」

 福島県南相馬市原町区から同市小高区に転居した柳美里さんは、今年の四月に自宅を改装して立ちあげた本屋フルハウスの開店にあたり、二十四名の知人・友人に選書を依頼し、特別コーナーを設けて販売している。

 選書メンバーをフルハウスに招き、自作朗読とトークを交えた記念イベントも開催している。これまでに、和合亮一さん、中村文則さん、角田光代さん、小山田浩子さん、青山七恵さん、いしいしんじさんなど多くの方々がフルハウスを訪れている。

 七月七日の七夕の日、フルハウスでは村山由佳さんをお迎えして、イベントが開催された。村山さんと柳さんはこれが初対面。小高の地で貴重な対話が実現した。村山さんが選んだ自作朗読作品は、短編集『ワンダフル・ワールド』(新潮社、163)所収の「TSUNAMI」と、『ミルク・アンド・ハニー』(文藝春秋、185)の最終部。本稿は、村山さんによる自作朗読の後に行われたクロストークを構成したものである。

(進行・構成/榎本正樹 撮影/藤澤由加)

 

■「信頼」を媒介する猫

 由佳さんと私には猫という共通項があります。お互いに四匹の猫を飼っています。猫を縁に、ツイッターを通してやりとりすることが多かったのですけれど、結局「猫とは何か?」という問題提起になると思うんです。いま朗読してくださった「TSUNAMI」の中にも、『ミルク・アンド・ハニー』の中にも猫が登場します。主人公の傍らには常に猫がいます。私にも『ねこのおうち』(河出書房新社、166)という作品があるのですが、小説デビュー作の『石に泳ぐ魚』(「新潮」、949)にも猫が出てきます。猫は単にペットであったり、癒しとしての存在ではなく、書く人生の同伴者のような存在です。私は由佳さんと、猫という本質的な部分でつながれたことを嬉しく思います。この人ならば理解してもらえるのではないか、という直感がありました。

村山 私もすごくそう思います。ツイッターのつぶやきを通して、猫に対する距離感とか、猫がその人にとってどういう存在なのかが透けて見えますよね。相手に対する信頼の核になっている気がします。

 由佳さんの愛猫のもみじちゃんが今年の三月に十七歳でなくなって、その時の様子をウェブの連載エッセイ「猫がいなけりゃ息もできない」で詳細に書かれています。猫は私にとって魂に直に触れてくる存在なんですね。猫を通して共鳴する部分がたくさんあったので、由佳さんにフルハウスの選書をお願いしたいと思いました。二十四名の方にそれぞれ二十冊の本の選書をしていただいたのですが、選書のテーマはお任せしました。由佳さんの選書のタイトルは「生きるって悪くない、としみじみ思える20冊」でした。フルハウスのある小高周辺の地域のことを思って、選書のテーマを考えてくださったのだと思いました。

 フルハウスは小高にあるのですが、磐城まで新刊書店はないんです。双葉郡からわざわざ足を運んでくださる常連さんもいらっしゃいます。オープンして間もなくの頃、六十代ぐらいの女性が入ってこられて、由佳さんの選書コーナーの棚の前に立ちどまって、「生きるって悪くない、としみじみ思える20冊」とタイトルを音読されたんですね。その後で、心臓の辺りを両手で押さえて、「あーっ。生きるって悪くないと、しみじみ思える20冊」ともう一度声に出されました。その後、村山さんの選書本をじっと見て、その中の一冊を買っていかれました。村山さんの直筆のメッセージが、彼女の心に響いたのだと思います。村山さんのメッセージカードの前に立ちどまっているお客さんは多いです。

村山 東京の本屋さんに選書を置いていただくのとは違う気持ちで選びました。テーマに沿わせるべく、自分としてそれほど好きではない本を選んでも意味がないと思いました。私は本は捨てません。売りもしません。したがって蔵書はどんどん増えていきます。選書にあたって自分の書棚を改めて見渡して、これまで何度も本に救われた瞬間を思いだしていました。もとを正せば、本に救われることで、ものを書く人間になりたいと思ったんですね。私の人生のある瞬間において支えになってくれたり、寄り添ってくれた本を選んで、「生きるって悪くない、としみじみ思える20冊」とタイトルを付けました。

 フルハウスにいらっしゃるお客さんに、そういうふうに受けとめていただいているという話を聞くと、震災の時に言葉になんて力がないんだろうと思って何度も打ちのめされつつ、言葉の力を信じて何とか書き続けてきたことが間違いではなかったと思えます。

 

■言葉を信じ続けて書くこと

 小高を含む旧警戒区域には、現在でも様々な困難があります。最新の数字で、震災前には一万三千人いた住民のうち、二千八百人が帰還されています。帰還されたとしても、八方塞がりに感じて日々暮らしておられる方がいらっしゃると思うんですね。

 本の最初のページのことを「扉」と言います。本屋に行けば本の数だけ扉があります。今あなたが生きている世界は辛く苦しい場所かもしれないけれど、世界の数が無数にあることを示してくれるのが本で、そういう場所が本屋なのではないかと思います。

村山 私にとってあまりに大きな出来事だったので、あちこちで喋っているエピソードなのですが、一つ紹介させてください。

 なぜ本が救いになるのかというと、辛い時に心の逃げ場所を作ってくれるからだと思います。震災後ものが書けなくなって、小説なんか読んでいる人は今いない、小説には何もできない、と打ちひしがれていました。それでもシリーズものの続編は書かなければならなくて、『おいしいコーヒーのいれ方』という青春小説の続きを書いて、せめてもの思いで、まだあちこち震災の傷跡の残る仙台駅の書店でサイン会をさせていただいたんです。

 私は本のあとがきに、言葉をどうやって信じていいかわからないというようなことを、ストレートに書いてしまいました。サイン会に並んでくれた大学生ぐらいの男の子が、私にこう言ったんです。先生の本は買いました。でもサインをして欲しいのはこっちの本なんです。彼が差し出したのが、デビュー作の『天使の卵—エンジェルス・エッグ』の文庫本でした。ぶよぶよにふやけて、泥だらけでした。彼が言うには、何を思ってその時この本を掴んで逃げたかはわからないけれど、水が迫ってきた時に自分の本棚から文庫本を掴んで、他の大事なものと一緒にザックに入れて逃げたそうです。避難所で毎日毎日、同じニュース画面が繰り返されるのを観て、辛い思いでいる時に、自分の心を逃がすのがフィクションの中にしかなかった。彼は、避難所で繰り返し恋愛小説を一生懸命読んでくれていたんです。

 村山さん、お願いですからあなたの書く小説に力がないなんて言わないでください。自分がその瞬間だけ心を逃がすことができたのは、あなたが書いたこの小説なのだから。小説には力があるんですよと言われて、ぼろ泣きしました。自分のサイン会で泣いたのは初めてでした。

 今その話を聞いて思いだしたことがあります。福島の友人で、津波でお兄さん夫婦をなくした方がいます。彼は、お兄さん夫妻の三人の子供を引き取って育てています。なくなったお兄さんの奥さんのご遺体が見つかった時にポケットに入っていたのが、『翼 cry for the moon』の文庫本でした。彼女も避難する時に本棚から村山さんの本を抜き取って、ポケットに入れて、逃げられずになくなった。言葉は辛い時にこそ求められているのだと私も思います。

村山 私の本を選んでくださったのは偶然だったかもしれないけれど、その偶然は彼やなくなられたその方なりにとっては、結果として大きなものとして受けとめていただいたわけで、どのような状況でも物書きは言葉を信じ続けなければいけないと思いを改めました。

 

■二人の作品世界をつなぐもの

——村山さんと柳さんの作品を読み続けてきた者として、近年、お二人の世界が接近している印象を受けます。柳さんは純文学の世界で、村山さんはエンターテインメントの世界で活躍されてこられ、お二人の作品世界をつなげて考えることはこれまでなかったのですが、村山さんは近作で、ご自身の近辺の人間関係やそこで起こった出来事を元に、フィクションを構築されています。村山さんの作品は私小説ではありませんが、私小説的な近辺情報を盛りこんで成立しています。

 私は自分を私小説作家だと思ってはいません。小説デビュー作『石に泳ぐ魚』がプライバシー及び名誉棄損の作品として、八年間の裁判を経て戦後初の発禁処分になりました。もう一冊、私の著作の中で一番売れた『命』の反響の大きさによって、私小説作家のイメージが定着してしまったのではないかと思います。

村山 私がデビューした翌年に、柳さんは『石に泳ぐ魚』を発表されたんですね。当時の私は田舎暮らしのナチュラリストでした。キリスト教の自己犠牲の教えに影響も受けていました。『石に泳ぐ魚』を読むこともせず、話だけを聞いて、誰かを傷つけるかもしれない可能性のある小説なんか書かなければいいのに、と偉そうに思っていました。いったい作家が何程のものか、と。まさか自分が十数年後に、この一行があればものすごい凄みをもつと思い到ったらなにがなんでも書く作家になるとは、当時は思っていませんでした。

 モデルになった女性のプロフィールを、フィクションを交えて書くこともできたかもしれないのに、そうしなかったのはなぜですか。

 私としては、モデル女性との友情というか、ラブレターのつもりで書いた作品でした。複雑な経緯があるのでこの場では言い切れない部分があるので、この件についてまとめた『窓のある書店から』に収録されている「表現のエチカ」というエッセイをお読みいただきたいと思います。

——お二人の接続ポイントは複数あって、村山さんは立教女学院、柳さんは横浜共立学園というふうに、ミッションスクール出身者であるのも共通点ですね。

 立教女学院は中高ですか。

村山 小中高です。母親が入信したので、私も教会に通ってオルガンを弾いたりしていました。

 私も十代の時にキリスト教と決定的な出会いをしました。聖書の言葉を、それこそ気が触れたように繰り返し読んでいました。マーカーで線を引いたり、腕に聖書の言葉を書きつけたりしました。先生に、私はマザーテレサの元に行くので、筋道を紹介してほしいと相談しにいったら、あなたはまだ十四歳なので早いと反対されました。その頃から精神のバランスを崩して、学校に通えなくなり、結局、高校を中退しました。今でも聖書はよく読みますし、洗礼を受けてはいませんが教会には通っています。

村山 十代の頃はするりと背骨に入ってしまうというか、若い頃に宗教に触れると、いい面もあるんですよね。海外文学とかキリスト教圏の映画を理解する時にはすごく役に立つけれど、反面、罪を犯すと罰が与えられる自罰意識を子供時代に植え付けられるのは、良い事なのかどうか。宗教もそうですし、私の母親も柳さんの母親も相当強烈な存在ですよね。

 

■母親の呪縛と支配

 私の母も娘をコントロールする母でした。小学校入学前に、パーマをかけなさいと言われました。それは単に母がテレビで『小公女セーラ』を観たからで(笑)、初パーマだったのでちりちり縮れてしまって、クラスメートからお茶の水博士と冷やかされて、いじめの原因になりました。それから、ちゃんとした学校のランドセルは女の子でも黒なので赤はだめと言われました。女子で一人だけ黒ランドセルで登校して、これもいじめの原因になりました。中学は横浜共立学園でなければいけない。入学したらテニス部でなければいけない。ずーっと、母の思うように生きることを強いられたんですが、そんな日々に耐えられるわけがなく途中で破綻しました。今でも母を前にすると、思うように物を言えないというのはありますね。

村山 私も母が認知症になるまで柳さんと同じでした。母の前に出ると言いたいことは言えず、いい子でいなければいけない、と思ってしまうんです。大人になって自分の方が力を持っても、言い返したらやり込めることだってできるだろうに、本人を前にすると言葉が出てこなくなる。今の話を聞いて思いだしたのは、大学に入学して乗馬部に入りたいと言ったら、「あかん。処女膜破れる」と言われました(笑)。当時はそういうふうに思われていたんですよね。私にはものすごいショックで、別に乗馬部じゃなくても破れる時は破れるのだけれども。

 それは冗談ではなく、真剣に。

村山 そう、真剣に。母に否定されると、乗馬部は除外しなければならなくなる。母は家の中の恐怖政治の中心でした。でもそういう母でなかったら、いま自分はものを書いているかどうか。そう考えると不思議なものですね。

 高校を退学処分になった時に、母が将来の道として提示したのが、母の知り合いに頼んで銀座のキャバレーのホステスになることと、母の妹の元夫がアメリカで新しい家庭を持って暮らしているから、そこでお世話になりつつ留学することの二つでした。どちらも嫌だったから私は家出をして、その後、母とは子供を産むまで音信不通でした。

 

■デビュー二十五周年を迎えて

——今年は村山由佳さんにとってデビュー二十五周年の年になります。村山さんは昨冬に上梓された『嘘 Love Lies』(新潮社、1712)を皮切りに、『風は西から』(幻冬舎、183)、『ミルク・アンド・ハニー』(文藝春秋、185)、『燃える波』(中央公論新社、187)とほぼ二ヶ月置きに新作をリリースされています。

村山 今年は、たぶんあと二冊出ると思います。

 書いていると、田植えの時期と収穫の時期がありますよね。タイミング的に重なったとしても、すごい収穫量ですね。

村山 並列して連載していると、こういうことが起こるので先に考えろという話なんですけれど。

 ちょうど二十五年なんですか。

村山 ちょうど二十五年。この十一月でまる二十五年になります。

 おめでとうございます(場内、拍手)。

村山 まさかここまで続くとは思っていませんでした。続けたとしても、読んでくださる方がいらっしゃらなかったら本は出せませんから、読者の皆さんに感謝です。

 ほぼ毎日書いているんですか。

村山 夏休みの宿題は八月三十日か三十一日になってからようやくする性格の人間なので、締切りの日に本当の締切りの日は何日なの、と編集者に聞いて、もう二、三日あるよね、きっとサバ読んでるよね、という(笑)。そこから徹夜モードになります。

 締切りと格闘している明け方ごろの由佳さんのツイッターをよく読みます。

村山 もうちょっと早く取りかかればいいのにと、毎回思うんですけれど。だめですね。美里さんはコツコツ書かれますか。

 全然(笑)。由佳さんと同じで、締切りの日から書きはじめる感じですね。

村山 何ででしょうね。コツコツできる人もいるじゃないですか。

 締切りになると、一瞬頭の中が真っ白になるんです。その状態がないと書けないんですよね。

村山 めっちゃわかる(笑)。

 もうこれは、アウトじゃないか、というところまで追いこまれないと書けない。

村山 すごく嫌な夢を見たり、ドキドキしたりするんだけれど、次の瞬間、妙なテンションが降りて来ますよね。

 いつまでもこういうことはできないと思うんですけれどね。歳を取ってくると、まず徹夜が利かなくなってくる。

村山 この頃とみに。以前だったらもう少しがんばれたのに。

 一日徹夜すると二日……。

村山 使い物にならなくなっちゃう。

 なんか愚痴のような話になっちゃいましたが(笑)。

 

■いまこの時代に伊藤野枝について書くこと

——先ほど朗読していただいた『ミルク・アンド・ハニー』、『燃える波』や現在連載中の「はつ恋」など、相似的な設定やモチーフを含む作品を、このところ村山さんは連続的に書かれていますね。

村山 「はつ恋」の主人公は幼なじみの設定で、実際に現在のパートナーは幼なじみなんですけれど、『ミルク・アンド・ハニー』に出てくる武と同じく従弟です。うちの母親と彼の父親が姉弟の関係です。「はつ恋」は「ハルメク」という雑誌で連載していますが、ご年配の読者が多いという事情もあって、関係の濃度を微妙に抑えて縁戚関係は外して、幼なじみのみとしました。モデル小説と言えば言えるんですけれど、「何も起こらない小説」というのがコンセプトです。

——最新作は、今月号の「小説すばる」(187)で連載が開始された伊藤野枝の評伝小説「風よ あらしよ」です。新たなジャンルに踏みだされた意欲作です。

村山 伊藤野枝という人がいます。約百年前の人です。彼女は無政府主義者で、女性解放論者でもありました。大杉栄や辻潤と関わり、平塚らいてうと一緒に「青鞜」を主宰しました。野枝は二十七、八歳になるまでに二人の夫との間に七人の子供を産みました。最終的には関東大震災(大正十二年)が起こった後に、憲兵隊に大杉栄と一緒に連行され、拷問を受け、虐殺され、井戸に放り捨てられました。凄まじい人生を送った人です。最初に伊藤野枝について教えてくれて、村山さんが書いた伊藤野枝を読んでみたいと言ってくれたのが、担当編集者だったんです。伊藤野枝については、瀬戸内寂聴さんが『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』の二冊を書いておられます。

——いまこの時代に野枝について書くことには大きな意味があると思います。社会や時代と格闘した女性が百年前にいたという事実は、現代の読者に大きなメッセージと励ましを与えるはずです。

村山 百年経って何が変わっているかというと、むしろ百年前に近づいている印象さえ持ちます。彼女たちが無政府主義に走ったのは、政府に対する不信感に発していたわけですが、そのことを声高に叫ぶと罰せられ殺されてしまう。百年後の日本でも本当に言いたいことが言いづらい状況であったり、重要法案がいつの間にか国会を通過していたり、そういうことを考えると、この百年で抜本的な部分は何も変わっていないんじゃないかとさえ思います。伊藤野枝の激動に満ちた人生を、評伝という歴史小説のような形ではなく、フィクションに引きつけた形で書きたいと思っています。

——野枝の人生についてはよくわかっていないことも多く、人生のある部分は謎に包まれています。そういう「隙間」を小説家の自由な発想と想像力によって埋める作業を村山さんはされています。連載第一回目の「序章」では、野枝と大杉の生活の細部が丹念に描かれています。こういう日常を送っていたかもしれない、という生活の提示ですよね。

 「序章」が始まってすぐの部分に、「酢の物にするきゅうりをざくざくと刻む手を止め、野枝は、軒先の洗濯ものを見やった」という一文があります。憲兵隊に連行される際の、八百屋で梨を買って、おまけでもらった林檎が埃っぽい地面に転がるシーンもそうなのですが、日常から鮮やかな一瞬を切り取って表現されていると思います。

村山 これほどたくさんの資料を積み上げて小説を書いたことはないのですけれど、資料の中に彼女たちが最後に梨を買って、憲兵に連行された時も梨を食べていたという記述があったり、別の資料では彼女たちが連れている子供が林檎を握っていたことが最後に目撃されていたとあったり、いくつかの証言を合体させて、梨を買う場面や、八百屋の主人が子供に林檎をおまけとして渡す場面を情景として作っていきました。果たして本当にあったことなのかどうかはわかりませんが、映像を立ちあげていく書き方をしています。すごく挑戦しがいのある小説です。

 関東大震災の日から始まるんですね。憲兵に連行される「序章」に続く「第一章」は、野枝がこの世に生まれてくるシーンで始まります。死の間際から誕生シーンへの切り替えが鮮やかで、続きを読むのが楽しみです。

——今後計画されている本などありますか。

村山 美里さんとの間をつないでくれた『猫がいなけりゃ息もできない』が、秋に本になります。『ミルク・アンド・ハニー』の連載途中で父親がなくなりました。猫エッセイを書いている最中に、いちばん大事に思っていた十七年十ヶ月一緒に暮らしたもみじがなくなりました。エッセイを始めた時には想定していなかったような手触りの本になると思います。自分に近しい誰かを失うことに関して、それがたとえ猫であっても、私にとってもみじは猫であって猫ではない存在でした。喪失が自分の中に大きな穴を穿ちながら、書くことに対してこれほどまでの豊かな滋養を与えてくれることを実感した日々でした。

 タイトルはそのままになりますか。

村山 連載時のまま、『猫がいなけりゃ息もできない』というタイトルで出そうと思っています。連載の担当編集者がね、もみじが死んじゃった時に、村山さん鬼みたいな事を言いますけど、今の気持ちを全部メモしておいてくださいって言ったんです。今じゃなきゃ出てこない言葉が絶対にあると思うから、そうしてくださいと言われて、その通りにしたんですけれど、ありがたいアドバイスだったと思います。絶対に忘れないと思っていたことであっても、言葉に一度しておかないと徐々に薄れていくんですね。思い出が記憶の中で薄れていくことは、痛みが薄れていくことでもあって、それは救いかもしれないのだけれど、自分の記憶の中であんなに大事な存在だったものを思いだす時に、痛みを感じなくなっていくのはつらい。それを、言葉にして形に留めておくことで救ってもらっている気がします。エッセイではありますが、私にとって特別な作品になる予感があります。

 

■会場からの質疑と応答

——お二人とも家族の話を書かれていますが、今後も家族の話を書き継がれていかれるのでしょうか。

 私は『家族シネマ』(講談社、972)という小説で、辻仁成さんと芥川賞を同時受賞しました。受賞後に、選考委員の方々が控えているバーのような場所に挨拶に行くんですね。ところがバーに行ったら、辻さんを推した選考委員のメンバーしかいなかったんです。石原慎太郎さんと宮本輝さん。どうしようと思って、とりあえず挨拶をしたら、石原さんが、もういいかげん家族のことを書くのはやめなさい、もう読みたくないと言われたんですね。そのことを、受賞後の新聞エッセイで書きました。そう言われたけれども、小説は人間を描くもので、人は一人で生活しているのはなくて、必ず家族がいる。家族を描くなというのがどういうことかというと、空を飛ぶ鳥を鳥の部分だけ切り抜いて書くことに近く、そういうことはできないというふうに書きました。

村山 わかります。その作家がものを書きたくなるモチベーションとか、書かずにいられない気持ちがどこから生まれてくるかは人それぞれなので、ほっといてよ、と思いますね(笑)。私にとって家族というものは、良くも悪くも「圧」としてあり続けましたから、書かずにはいられないですね。

——村山さんに質問です。もみじちゃんが猫ではないと思ったのは、どのような時でしょうか。

村山 たくさんの猫を飼ってきましたけれど、彼女ほどものごとのわけをわかっている猫はいませんでした。言葉が通じるとかそういうふうに思っているわけではないですけれど、私のいちばんしんどい時にずっとそばにいてくれて、彼女がいてくれることが自分が生きなくてはいけない義務感につながっていた時期がありました。この子は猫ではなく人間だと思うわけじゃなく、猫でありながら伴侶であり、子供であり、親であり、同士であり、半身でもあったという意味で、猫じゃなかったですね。

——つまらないプライドに縛られて苦しい時があります。プライドに縛られずに自由に生きるには、どうすればいいでしょうか。

 どういうプライドなのかを一対一で話さないとわからないと思うんですけれど、プライドは苦しみになる時もあるけれど、支えになる時もありますね。

村山 そうですよね。それをなくしたら、生きていけないと思う。自分の負けん気であったり、屈辱的なことだけが頭の真ん中に来てしまって、その時本当に求められているふるまいができないのは問題だと思いますが、プライドは大事です。

 私は美里さんに憧れます。私は外面がいいので、うまいこと立ち回るんです。なるべく人を敵に回さないように、自分のプライドがあったとしても、上手いこと立ち回って自分の意見が通るようにする。美里さんは売られた喧嘩は全部買うじゃないですか(笑)。かっこええなぁ、と思って。

 売られた喧嘩を買っている意識はないけれど、自分の中で損得抜きで筋は通したい思いはあります。ぎりぎりの所で、損得は考えません。でも、後々苦しくなることが多いですね。

村山 自分のプライドを通そうとしたことが、結果的に自分を不自由にしていく場合もあるし。

 難しいですね。『ミルク・アンド・ハニー』の主人公の奈津が、いろいろなものを失い、捨てて、それで自由になったのかというと……。自由という言葉には重みがありますよね。束縛から解き放たれるその瞬間だけ自由はあるかもしれない。何ものにも縛られず追われない人生はないと思うし、縛りがなくなった段階で、また新たな縛りが生まれるような気がします。

——登場人物の名前はどうやって決めていますか。

村山 どうやって決めているかは自分でもよくわかりませんが、付け間違えた時はすぐにわかります。主人公や登場人物の名前がちゃんとその人じゃないと、十ページも書けずに行きづまってしまう。なんかおかしい、物語が続かない、と思って別の名前を付けた途端に、あぁ、彼女の名前はこれだったんだと転がりだす。名前が決まる法則はわかりませんが、登場人物一人ひとりにこれだという名前があるんですね。

 私も名前はすごく考えて付けます。場合によっては、姓名判断をしたり画数を見たりもします。昔は凝った名前を付けていたんですけれど、今は普通の名前にすることを心がけています。

村山 私のデビュー作の主人公は、一本槍歩太と五堂春妃ですもん(笑)。めちゃくちゃ肩に力入った名前ですよね。

——ストレス発散、気分転換の仕方を教えてください。

村山 最近は庭いじりが多いですね。数年前までは、軽井沢から東京まで出かけて買い物することが多かったですけれど、今は人生でいちばん家にいるのが楽しい時期です。

 小高にいらっしゃる直前のツイッターで、薔薇の写真をアップされていましたよね。煉瓦づくりの素敵なお宅ですね。

村山 私が建てたわけではなくて、元々、写真スタジオだった建物を買ったんです。人が快適に住めるようにはできていなかったので、少しずつ改良を加えてきましたが、まだ半分以上、手つかずの状態です。薔薇はこの頃ようやく育てるようになって、以前は人工的な花であまり好きではなかったんですけれど、だんだん魅力に目覚めていきました。花を庭で作ることで、父ともみじに庭の花を切って供えることができます。朝、花を替えて、父にはコーヒーを、もみじにはお水をお供えして、というのが日課になっています。いちばんの気分転換と言えると思います。

(2018年7月7日 福島県南相馬市フルハウスにて)

村山由佳 (むらやま・ゆか)
64年東京都生まれ。93年「天使の卵 エンジェルス・エッグ」で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。03年「星々の舟」で直木賞を受賞。09年「ダブル・ファンタジー」で柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞。「放蕩記」「天使の柩」「ミルク・アンド・ハニー」「風は西から」「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズなど著書多数。最新刊は「燃える波」。

柳美里 (ゆう・みり)
68年茨城県生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」を経て、87年、演劇ユニット「青春五月党」を結成。93年「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を受賞。96年「フルハウス」で野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞を受賞。97年「家族シネマ」で芥川賞を受賞。99年「ゴールドラッシュ」で第3回木山捷平文学賞を受賞。01年 「命」で第7回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。最新刊は『柳美里自選作品集 第二巻 家族の再演』。

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