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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年9月号 小説すばる

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【クロストーク】村山由佳×柳美里「言葉の力を信じて書くということ」

【ニューカマー特集】
呉勝浩「論リー・チャップリン」

     月曜日


 金をよこせ─。堤下勝にそう凄まれたとき、与太郎はぽかんとしてしまった。
 堤下勝と呼べば他人行儀に聞こえるが、勝は与太郎の、れっきとした一人息子だ。
「金って─」夕食後のリラックスタイム、開けたばかりの缶ビールをダイニングテーブルへ戻し、首を捻る。「遠足か何かか?」
 与太郎は、息子の学校行事に疎かった。中学校に遠足があるのかすらよく知らない。
「馬鹿じゃねえの?」吐き捨てた勝の顔は、心底「うぜえ」といった様子で、ひそめた眉の薄さはファッションでなく遺伝だった。
「じゃあ、教科書か」
「違えよ。理由なんて要らねえだろ」
「いや、要るだろ、理由は」
 どう考えたって必要だ。学校事情には疎くとも、経済事情なら心得ている。堤下家に贅沢をする余裕はない。
 勝が、乱暴にテーブルを叩いた。「遊ぶ金に決まってんだろっ」
「何をして遊ぶんだ。野球か?」
 ゴルフだったらどうしようと、与太郎は思っていた。かつてはセレブのスポーツも、ずいぶんハードルが下がったと聞く。教養として、小学生のころからレッスンを受けさせるなんて話もある。金ばっかりかかって……と、職場の同僚が愚痴っていた。
「サッカーのほうが楽しいと思うんだが……」
「ごちゃごちゃうるせえっ」勝の、青っ白い肌が赤らんだ。「いいから、さっさと金をよこせよ」
 なかなか理不尽な要求だったが、与太郎は物分かりのいい父親を目指していた。幼いころに離婚し、さみしい思いをさせてきた負い目があるのだ。
 子どもには、子どもの事情があるのかもしれない。
 空咳をついてから訊く。「幾らほしいんだ」
「とりあえず、十万」
「じゅうまん?」
 MAX三千円で考えていた与太郎は、これがはたして日本円レートなのかを疑った。おまけに「とりあえず」とは何事か。
 勝には、毎月三千円の小遣いを渡している。そのほかちょこまか請われるときも、半分以上は応じている。小銭を惜しむほどケチじゃないつもりだが─。
「そんな大金、理由もなくあげられるわけないだろ」
 限度はあった。
 椅子に背をあずけた勝が細いあごをしゃくり、見下す目を向けてきた。
「だったらコンビニへ行く」
「コンビニ? 立ち読みにか?」
「強盗するんだよ」
「ごうとう?」
 我ながら、素っ頓狂な声になった。
「馬鹿っ」思いつくまま、怒鳴る。「コンビニに、そんな大金があるわけないだろ!」与太郎には学生時代、コンビニでバイトをした経験があるのだ。「せいぜい三万とか五万くらいしかないんだぞっ」
「だったら二軒三軒、襲うだけだ」
 だったら二軒三軒、襲うだけだ─。こんな安っぽい犯罪映画の台詞を、十三歳の少年が吐く時代なのだろうか。
「お前、正気か? そんなことしたら警察に捕まるんだぞ。警察に捕まったら、ブタ箱に入れられるんだぞ? ブタ箱は、とっても不快な場所なんだぞ」
 与太郎にブタ箱の経験はなかったが、犯罪映画はわりとよく観ていた。
「将来だって、めちゃくちゃになる」
「将来なんてどうでもいい」
「どうでもよくないだろ、将来は」
 丸いに決まってるだろ、地球は─というくらい、与太郎には自明だった。
 ところが勝は、しれっとしている。
「どうでもいいんだよ。本人がどうでもいいといってんだから」
 一理ある、と思いかけて首をふる。詐欺にあっている気分だ。
「逮捕されたってかまわねえ。前科がついたってな」
 いや、お前はまだ、ぎりぎり前科のつく歳じゃない─といいかけたが、そういう話ではなさそうだった。
「好き勝手しても、おれは困らないんだよ。むしろ困るのは、あんただろ」
「へ?」
「息子が犯罪者になったら困るだろ? 近所に白い目で見られるし、ニュースになったら仕事もどうなるかわかんないぜ」
「いや、いやいや。おれが無職になったらお前だって困るだろ」
「別に。そんときは、もっと悪いことをすりゃあいい」
 前向きすぎるだろっ!
 心の叫びが声になる前に、勝がつづけた。
「そうなったらあんた、もっと困るぜ? 再就職もできなくなる。人生おしまいだ。だからあんたはおれを止めるために、金をよこさなきゃいけないんだよ」
 そのアクロバットな論理に、引っくり返りそうになった。
 呆然と、目の前の息子を見つめる。薄めの縮れ毛、ひょろりとした体格、のっぺりとした顔のつくり。文字通りの生き写し。DNA鑑定の出る幕じゃない。
 なのに今、勝は父親とは縁のない乱暴な口調で、極悪そうな表情を浮かべている。
「いいか? 金曜までに十万だ」
 金曜までに、十万……。
 ふん、と鼻を鳴らし、勝が立ち上がる。
 その背中を与太郎は、やっぱり呆然と見送った。口を半開きにしたままぼんやりと、貴重な缶ビールがすっかり温くなっていることに気づいた。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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