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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年8月号 小説すばる

【読切】米澤穂信「ない本」

     1
 三年生が死んだことは誰もが知っていたが、詳しいことは誰も知らなかった。
 どうやら自殺ではあったらしい。男子で、名前は佐野、北林、呉の三通りを聞いた。テレビで報道されたのを見たと言うやつもいて、何人かがそういえば自分も見た気がすると言い出したけれど、どうやらこれはガセらしい。三年生の死は、これっぽっちもニュースにならなかったのだ。だから僕は死んだ彼の顔を知らない。
 死んだ場所は自宅だったとか、河川敷だったとか、公園だったとか人によってばらばらなのに、動機は受験のストレスでおかしくなったからだという点はどの話でも同じで、自殺の方法は首吊りだったという説と、ガソリンをかぶって焼身自殺したという説、そしてその両方、つまりガソリンをかぶって首を吊って火をつけたのだという三つの説が唱えられていた。
「この三つめの説は、ないだろうな」
 放課後の図書室で手持ち無沙汰にシャープペンをまわしながら、松倉詩門が言った。
「なんで」
「なんで、だって? 堀川らしくもない、考えてもみろよ。ガソリンをかぶるのはいいが、首を吊ったんなら火がつけられない。先に火をつけたなら、首を吊りにいけない」
「なんとかなりそうな気もするけどな」
「やってやれなくはないだろうさ。ただ、やっぱりあり得ない」
 松倉は彫りの深い顔に笑みを浮かべた。
「燃え上がっているんなら、首吊りの縄が焼き切れちまう。焼身しながら水に飛び込むようなもんだ。生きたいのか死にたいのかわからない……待てよ、そう考えると、あながちあり得なくもないのか」
 一理あるとは思ったけれど、松倉があまりに得意げなのが癪に障った。この一週間というもの、三年生の自殺が校内の最大の話題だったのは確かだけれど、それにしても松倉はあまりに楽しみすぎている。
「あんまり笑うな。他人事だと思って」
 そう言うと、松倉はシャープペンをまわす手を止めた。
「他人事なら笑わないさ。そんな失礼なことはしない」
 にやついた顔はそのままに、再びペンをまわしはじめる。
「明日は我が身だ。俺だってお前だって、来年の今頃はよんどころない事情で、もう死ぬしかないと思い詰めてるかもしれん。あの自殺は他人事どころじゃない、自分のことだ」
「そう思っていて、笑うのか」
「自分のことは笑うしかないだろう」
 そんなものだろうか。少なくとも僕は、名前も知らない三年生の死で笑う気にはなれない。松倉の言うことが当たっているなら、僕は佐野(ないし北林、または呉)の死を他人事だと思っているから笑えないのだ、ということになるけれど。
「少なくとも俺に言わせれば」
 にやけた笑いをいっそう深めて、松倉が僕の手元を見る。
「そんな本をいま読んでる方が、失礼って感じがしなくもない」
 僕はむっつりとショウペンハウエル『自殺について』を閉じ、表紙を下にして伏せた。
 秋は終わりつつあった。低く垂れ込めた雲の暗さはいかにも冬らしく、まだ暖房の使用が許可されていない図書室は冷えびえとしている。受験が近いこの季節、この図書室ももう少し自習に使われてもいいようなものなのに、いつも通り利用者は三、四人といったところだ。僕と松倉が並んで座る受付カウンターには、今日はまだ誰も訪れていない。
 図書委員会が遊び場にしているせいで、図書室は自習にせよ閲覧にせよ使えたものではないという悪評は、いまだ学校中に根強く残っているらしい。伏せた岩波文庫の裏表紙に描かれた、壺とも野菜とも知れない謎のマークを見つめながら、この現状に対し少しでも改善を試みるべく、同時に話題を逸らすべく、僕は松倉に提案する。
「少し、図書委員らしいこともしよう」
 松倉はシャープペンを置き、しかつめらしく頷いた。
「賛成だ。で、なにをする?」
 今日の分の返却督促状は昼休みの当番委員が書き終えていたし、誰が読んでいるとも知れない図書室だよりの締切はまだずいぶん先だ。
「装備とか?」
 新しく入ってきた本に、図書分類コードに基づく背ラベルを貼り、ラミネートを施し、天地印を押し……つまりは本を図書室の蔵書にする一連の作業を、装備という。ただ問題は、
「新着図書がない」
「だな」
 となると、いま為すべき図書委員らしいこととはなんだろうか。
「……古今東西題名しりとりでもやるか」
 松倉はしばらく沈黙し、
「『或阿呆の一生』」
 と言った。いまいましい。
 上手い返しが思いつかず首を捻って呻吟する僕の前に、一人の男子が立つ。
「あの。ちょっといいかな」
 ひょろりと背が高い男子で、襟元の徽章によれば、三年生だ。のっぺりとした顔に浮かぶ表情は暗く、目は寝不足らしく血走っていて、声もどこかどんよりとしている。手には、学校指定の通学用鞄を持っていた。「う」で始まる、松倉にぎゃふんと言わせられる題名はないだろうかと考えつつ、返事をする。
「はい。なんですか」
「本を探しているんだ」
 控えめに言って、驚いた。
 本を探している! なんと本格的な、そして久々の、図書室利用者であることか。僕が図書委員になったのは本が好きだからではなく、なんとなく選んだ結果に過ぎないけれど、それでも本分を尽くせるというのは意外に嬉しいものだ。声も心なし弾んでしまう。
「なんて本ですか」
 その三年生は首を傾げた。
「それが、題名がわからない」
 大いによろしい。あやふやな情報から書名を絞り込んでいくのは、まさに図書委員の腕の見せ所だろう。今度は松倉が訊いた。
「じゃあ、どんな本だったかわかりますか。装幀の感じとか、大きさとか……」
 三年生は腕組みし、力量を危ぶむように僕たちをじろじろと見た。たぶんだけれど、二年生の僕たちに相談するにあたって、三年生らしい威厳を示すためにそうしたのではないかという気がした。
「そうだなあ。実は少し入り組んでいるんだ。ほかに用がなければ、話を聞いてもらえるか?」
 ほかの用といえば、古今東西題名しりとりぐらいしかない。僕たちに文句があろうはずはなかった。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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