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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年7月号 小説すばる

【新連載】額賀 澪「できない男」

◆芳野荘介

『アヴェ・マリア』がチャペルの聖堂に響き渡る中、ウェディングドレスをまとった亜実さんが、彼女の父親と共に入場してくる。

 真っ白なタキシードを着込んだ兄の圭介を見つめてしんみりとしている父と、ハンカチを目元にやっている母を順番に見て、自分はどんな顔をするべきなんだろうと、芳野荘介はチャペルの天井を仰いだ。今日、ここに来る前に母から言われたことを思い出す。

 式場に向かって、今まさに家を出発しようとしていたとき。黒のロングドレスを着た母は、礼服を来た荘介を見て『あんた、それクリーニング出したの?』と聞いてきた。『なんか、しゃきっとしてないから』と。昨日、会社の昼休みに髪を切り、礼服もクリーニング屋から引き取ってきたってのに。

 そして、不意打ちのように、こう言われた。

『お兄ちゃんも結婚するんだから、あんたもそろそろいい人見つけなさいよ』

 ロングドレスの裾を揺らし、母はガレージへと歩いて行く。すでに父が運転席にいて、早く来いという顔をしていた。

『荘介はねえ、そこまで不細工ってわけじゃないとお母さん思ってるんだけどなあ……。もっとシュッとしてればいいのよ、シュッとしてれば』

 誰に言っているのか、『おかしいわねえ』とぶつぶつ呟きながら、母は車へと乗り込む。玄関の引き戸を閉め、鍵を掛け、その鍵を近くのプランターの下に置いて、ガレージへと走る。自分の身なりを後部座席の窓ガラスで改めて確認する。中肉中背。一度も染めたことない髪。黒縁のメガネは、メガネをかけ始めた中三の頃から買い換えていない。安物だったのに。壊れたら買い換えようと思っていたのに。何で壊れないんだろう。

 母の言う《いい人》を見つけ、今まさに夫婦になろうとしている兄を前に、荘介は唇を嚙んだ。兄が三十歳で結婚し、弟が二十八歳となれば、そりゃあ、弟の方にも「結婚しないの?」という声が飛んでくる。

 このあと、チャペルの隣にある会場で披露宴が行われる。お色直しに、ケーキカット、新郎新婦の友人の余興があって、亜実さんから彼女の両親への手紙の朗読があって……。

 そんな幸せなイベントが、これから次々行われる。生まれてこの方恋人などできたことのない自分にはあまりにも遠い。距離を測ろうなんて思えないくらい遠い。それはもう、憂鬱なくらいに。

 

 絵に描いたように幸福な兄の結婚式がふと頭を過って、つい溜め息が出てしまった。

「芳野さん?」

 名前を呼ばれて、自分がどこで誰と何をしているのか、荘介はハッと我に返った。持ち上げかけていたカフェラテのカップをソーサーに戻し、「すいません」と謝る。

「ちょっと、ぼーっとしてました」

 言ってから、しまったと思う。まだ付き合っていないとはいえ一応デートに来ている癖に、「ぼーっとしてた」はないだろう。

「疲れました?」

「いや、映画の中に結婚式のシーンがあったから、兄貴の結婚式を思い出して」

 結婚式の二次会で、兄の高校時代の後輩であり、荘介の同級生でもある男数人に「次は俺の番だって親からせっつかれてる」と愚痴ったら、何故か翌週に合コンが開催された。

 その合コンに来ていたのが、今目の前に座る宇崎つぐみだ。劇的な出会いをしたわけじゃない。合コンで席が近かった。参加者の一人に「連絡先交換しちゃえよ」と言われて、互いに苦笑いしながら連絡先を交換して、一緒に映画を観に行くことになった。成り行きでデートに行く羽目になってしまって、彼女には非常に申し訳ないことをした。

 付き合う前に二人切りで出かけることを何というのか、二十八歳まで碌に女性と付き合わずに来てしまった自分にはわからない。

《碌に》というのは強がりだ。正確には《全く》だ。

 それ故に、ここ千波市でデートをする際、どこで何をすべきなのか皆目見当がつかない。東京から車で約二時間。一応関東地方。一応首都圏。一応、そこそこ栄えた地方都市。でもデートに相応しい洒落た店や施設がたくさんあるかといえば、間違いなくNOだ。

 カップを鷲摑みにし、ホットのカフェラテをぐびぐびと喉を鳴らして飲んだ。喉が渇いていた。友人から薦められた店でお昼を食べたときはお冷やのお代わりを三回ももらった。映画館の売店で買ったコーラはすぐ飲み干した。多分明日、腹を下す。それでも喉が渇く。宇崎さんも「何でこの人、水分ばっかり取るんだろう」と不審に思っているだろう。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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