close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年5月号 小説すばる

試し読み一覧はこちら

【短編】薬丸岳「ブレイクニュース」

【短編】深緑野分「見張り塔」

 僕は毎朝、号令よりも少しだけ早く起きる。近づいてくる軍靴の音、ぎいっと軋む扉の音で、光のない闇の夢から引き上げられ、鋼鉄の天井に向かって息を吐く。その直後に号令がやってくる。
「起床!」
 飛びはねるようにして平たいベッドから起き上がり、昨日と同じ、汗がまだ乾いていないズボンを穿いて身支度をする。仲間と一緒に。号令係の下士官は、僕らが整列し点呼を終えるのを待つこともなく、隣の部屋へ行って同じことを繰り返す。放送もベルもない。街の鉄塔が倒されて電気が来なくなったからだ。
 水道の水はまだ出る。でも石鹼は分隊にひとつだけ、顔を洗うにも一苦労だ。あちこちが割れた琺瑯引きの洗面器に水を汲み、頰や口の周りを少し濡らせば時間切れ、まだ髭が生えてなくてよかった。全部で十二名の僕らは、整列して鉄の階段を駆け下りる。折りたたみ式のテーブルと椅子が四組という狭い食堂で、炊事班から朝飯を受け取り、めいめい席で食べる。内容はいつもだいたい同じ、缶詰の桃、干した肉のかけら、それからじゃがいも入りの水っぽい黒パン。代用コーヒーすら少なくなってきたので、白湯を飲む。
 僕らはこの見張り塔で敵を見張る。敵と戦う。どれくらい前から? 少なくとも一年前には、この第三防衛地区にいた。
 通路を歩くと、第三防衛地区長で見張り塔の長である大佐付きの下士官が立っていて、両手を後ろに組んだ休めの姿勢で、
「連帯。連帯だぞ、諸君。我が祖国の勝利のためにもっとも肝心なこと、それが連帯だ」
 と声を張る。〝連帯〟は祖国で生を受けた者が最も多く耳にする単語であり、最も大切な行為だ。ひとりでは弱いかもしれないが、みんなで手を取り合えば強くなれる。強き者は弱き者を助け、弱き者は強き者を支える。足並みを揃え、互いをよく見て、どんなに些細なことでも話し合う。そうでないと人間はばらばらになってしまうからだ。
 一斉に、一律に。分隊の靴音が、見張り台へと続く屋内階段に響き渡る。五階の弾薬庫をまっしぐらに通り抜けて、奥の重い二重扉を開けた。ショルダーをずらしライフルを背中に担いで、軽快な歩調を崩さず梯子を登る。
 今日もよく晴れている。新鮮で甘い空気を胸いっぱいに吸い込む。最上階の見張り台に到着すると、びゅうっと強い風が吹きつけてくる。中央に屹立する真っ白い旗竿のてっぺんに、祖国の国旗が勇ましくひるがえり、僕は崇高な気持ちを感じながら敬礼した。
 北の青い空と荒れた大地との間には、僕らの街の影がうっすらと見える。しかし以前は摩天楼のようだった影はだいぶ低くなり、今では岩場みたいな、いびつででこぼこした影になってしまった。
 空襲のことを思うと、爪を立てて頭皮を搔きむしり、毛を引きぬいて喚きたい気持ちになってしまう。でも僕らには高射砲塔がある。敵機を一掃し祖国を守り、やがて勝利へと導いてくれる偉大な高射砲塔が。
 高射砲塔はこの見張り塔から百メートルほど後方、日に焼けて赤茶けた荒野にずんぐりと佇んでいる。一見すると濃い灰色の巨大な岩のようだけれど、実際は要塞で、敵の攻撃から人々を守っているのだ。高さはこの見張り塔と同じくらいだけど、防壁はずっと堅牢だし、体積も四倍はある。頂上からにょきにょきと覗く細長い筒は高射砲の砲身で、上空を飛び回る戦闘機や、地上を走る戦車を破壊するほどの威力を持つ。そのひとつひとつには、僕の所属する高射砲中隊の優秀な射手が座っているはずだ。
 以前、昼も夜も引きも切らずに爆撃機や戦闘機が飛来して、真っ白く細長い雲を引いて空を滑空し、機関銃を撃ち爆弾を落としていった頃、あの高射砲塔は雷鳴のような音を轟かせ、敵を何機も撃ち落とした。炎の弾が噴くたびに大地が揺れ、きっと神話で聞くような神の怒りとはこんな感じなのだろうと思った。
 だけど今は静かだ。最後に高射砲塔の動く姿を見たのはいつだったか思い出せないくらい長い間、沈黙が続いている。物音も、大勢いるはずの人の声も聞こえない。コンクリート製の分厚い壁による高い防護力のおかげで、すべてが隠れてしまうのだ。
 しかしだからといって気を抜くわけにはいかない。僕らはここ見張り塔で空や大地を監視し、敵が飛来したのをいち早く確認する。その時は旗を揚げて高射砲に合図を送り、後方の街のために空襲警報を鳴らす。他にも、防衛線を越えてきた敵兵はもちろん、降伏しようとする裏切り者が現れた場合は、このライフルで射殺する。それが僕ら、高射砲中隊から分遣した監視部隊の任務、連帯の心だ。
 今日も僕らは決められた配置につく。乾いた心地良い風が南東の方角から吹き、軍服の青い襟をぱたぱたとはためかせた。空を仰げば中天は目が覚めるような紺碧、視線を下げるにつれ色合いは淡くなり、裾が森の果てに広がる頃には、白味を帯びた柔らかな水色に変わっている。雲は湧いていたが、形はいつか食べたわたあめのようで、雨雲ではない。今日も一日晴れるだろう。
 見張り塔配属の監視分隊、昼班の十二人のうち、五名が装備の補充や芋の皮むきなどの雑用をするので、ここにいるのは七名と、分隊長と従卒の計九名だ。兵士四名がライフルを構えて持ち場を行ったり来たりし、一名がノートと鉛筆を手に戦況の記録係をつとめ、残りの二名が見張り台の隅に立つ小さな気象台へと登り、双眼鏡で異状がないかどうか監視する。気象台に取り付けてある白い風車は、四六時中音を立てて回るので、ここはいつも風車のからからという音楽が鳴りっぱなしだ。
 街の反対側、南には海のように広く深い森があって、敵の歩兵どもはここまで及んでいるという話だった。一年経っても侵入してこないのは、この暗い森に鬱蒼と茂る木々が敵の歩みを阻み、また森の中へと消えていった我らが勇敢な師団が、戦闘で勝利をおさめ続けているおかげだ。
 それでも、一日に二、三人の敵兵の姿を見る。赤い線の入ったヘルメットや赤襟の軍服を見つけたら、監視係が即座に合図し、隊長が命令を下し、目標を狙いやすい位置についている隊員がライフルで撃つ。その行程は雷電のごとく素早く、目標は音もなく倒れ、それから微動だにしない。
「警報、目標発見! 南南西方向に敵兵一名、目視距離三百!」
「了解、南南西方向に敵兵一名、二番射手、撃て!」
「二番射手、撃ちます!」
 スコープの丸い拡大図には、こちらに背を向けて走り逃げる赤襟の敵の姿がある。僕は引き金を引き、間髪容れずその背中に穴が空き、敵は倒れて、ヘルメットが転がった。記録係がノートに走らせる鉛筆の音。
 赤茶けた荒野には、ぽつんぽつんとインクを垂らした染みのようなものが、ところどころに落ちている。骸だ。

(続きは本誌でお楽しみください。)

試し読み一覧はこちら

【短編】薬丸岳「ブレイクニュース」

閉じる