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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年5月号 小説すばる

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【短編】深緑野分「見張り塔」

【短編】薬丸岳「ブレイクニュース」

 真柄新次郎は憤然としながら編集部に入った。まっすぐ自分の席に向かう。
 デスクの佐野がいない。
「デスクは?」
 真柄が訊くと、隣の席でパソコンを見ていた宮本がこちらに顔を上げて小首をかしげる。
「さっきまで席にいたんだけどなあ」
 それを聞いて真柄はすぐに編集部を出た。廊下を進んで喫煙室に向かう。ガラスの壁越しに煙草を吸っている佐野が見え、勢いよくドアを開けた。
「デスク─さっきのメールはいったい何なんですか!」
 喫煙室に入って言うと、うるさいというように佐野が顔をしかめた。
 一時間ほど前に『撤収になったからすぐに戻ってこい』と佐野からメールがあった。意味がわからず『どういうことですか?』とメールしたが、返信はないままだ。
「おまえは字が読めねえのか。そのまんまの意味だ」佐野が事もなげに言って煙草をくわえた。
 うまそうに煙を吐き出す佐野を見ながら、苛立ちがこみ上げてくる。
 真柄はこの三週間ほど同じデスクの辻とともに、厚労省の副大臣である江副幸也の動向を追っていた。赤坂にある議員宿舎に江副が愛人を頻繁に招き入れているという匿名のタレコミがあったからだ。
 取材を始めてしばらくすると、たしかに身元のよくわからない若い女性が議員宿舎に出入りしているのを確認した。女性は銀座にある高級クラブのママだとわかったが、彼女が江副の愛人である確証はなかなか得られずにいた。だが、昨夜の張り込みの際にふたりが高級割烹店で食事をとり、その後一緒に議員宿舎に入っていく姿をキャッチすることができた。そのまま議員宿舎の近くで夜を明かし、昼過ぎにひとりで出てきた女性にコメントを求めた。大したコメントはとれなかったが、これでようやく記事にできると勢い込んでいた矢先に届いたのがそのメールだった。
「そうふてくされた顔をするなよ。おまえと辻の苦労はわかるけど、上からの指示だからしかたないだろう」
「編集長と話してきます」
 真柄はそう言ってドアに手を伸ばしたが、すぐに佐野に肩をつかまれた。
「さらに上から来た話だ」話しても無駄だと佐野が首を横に振る。
「どこですか?」
「さあなあ……おれたちには知りようもない。まあ、こうなったら次の機会を窺うしかないだろう」
 佐野に肩を叩かれ、力が抜けた。ポケットから煙草を取り出してくわえると、佐野が持っていたライターで火をつけてくれた。
 胸に溜まった憤懣を何とか紛らわせようと煙草を吸うが、いっこうに収まることはない。
「辻にはユミリンのほうに合流してもらうことにした」
 別のデスクがユミリンこと、アイドルタレントの星川祐実と男性モデルの熱愛を追っている。
「おまえには至急違う記事を書いてもらいたい」
 至急─という言葉に反応して、真柄は灰皿から佐野に視線を移した。
「今週はどこも裏取りに苦戦してるみたいで、ネタが揃うかわからない。予備としてもう一本記事を用意しておいたほうがいいだろうと、さっき編集長と話になった」
 原稿の締め切りまで四日しかない。その時間で一から取材を始め、記事にするのはかなり大変だ。
「記事の内容は決まってるんですか?」
 真柄が訊くと、佐野が頷いて「ユーチューブだ」と言った。
 ユーチューブは世界中で利用されている動画サイトだ。インターネットにさえつながっていれば誰でも無料で動画を観ることができ、また個人や企業の動画を投稿することができる。
「ユーチューブの何を記事に?」
「危なっかしいユーチューバーの問題を記事にしてはどうかと、な」
 なるほど。真柄は納得した。
 ユーチューブにアップされている動画の中には、過激なものや危険なものが存在する。法定速度をはるかに超えたスピードで車を運転する様子や、チェーンソーを手にして宅配便会社を襲撃する動画をアップして逮捕された者もいた。どうしてそんな馬鹿なことをする輩がいるのかというと、動画の視聴回数を増やすのが目的だと言われる。
 ユーチューブでは、自分の動画を投稿するときに一緒にCMを流すことができ、一回視聴されるとおよそ0.1円の広告料が支払われる仕組みになっているという。微々たる金額に思えるが、百万回の再生があるような人気の動画なら十万円の収入になるから、小遣い稼ぎにはいいだろう。さらにそれで生計を立てられるような『ユーチューバー』と呼ばれる存在もいるし、中には一億円以上稼ぐ者もいるという。最近では、ある小学校で調査したなりたい職業ランキングの上位がユーチューバーだったことが話題になった。
「乗り気じゃないか?」
 自分の思いが顔に出ていたようで、佐野に訊かれた。
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
 確かにその内容の記事であればそれほど取材をしなくても原稿を書けるだろう。だが……。
「ただ、他の雑誌でさんざんやられたネタですよね。いまさらって感じが……」
「ユーチューバーの問題っていっても、暴走男やチェーンソー男とは違う切り口だ」遮るように佐野に言われた。
 どういうことだと見つめると、佐野がズボンのポケットに手を突っ込み、ティッシュを取り出した。洟をかむのかと思ったが、そうではなく中の広告を取り出し、その裏に耳に挟んでいたペンで何かを書いてこちらに渡した。
 くしゃくしゃな紙に目を向ける。
 野依美鈴――と書いてあった。

(続きは本誌でお楽しみください。)

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