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「ヴァイパー・ゼロワン、離陸した」
 石川県の小松基地から、オーダーを受けた三菱F−2戦闘機が二機、離陸した。
 指令とは、スクランブル発令、すなわち領空を侵犯されることに対する措置である。
 発令より三分ないし五分以内には離陸すべきとされていることから、五分待機とも呼ばれる任務だ。航空自衛隊が一手に引き受けているが、厳密には、軍事行動ではない。警察権の行使である。
 領土侵犯において、陸地は入管こと入国管理局と入国警備官が、海上は海保こと海上保安庁が担当する。
 入管は法務省、海上保安庁は国土交通省の管轄だ。いずれも警察権に基づく組織であり、軍事組織ではない。周辺空域に関する警察権のみ、自衛隊がその行使を請け負う。戦闘機を運用可能な組織など、日本国政府の行政機関においては他にないからだし、世界的にも軍隊が担当するのが普通だ。
 当然、空は航空自衛隊によって二十四時間態勢で監視されており、動向が不審な飛行体があれば、ただちにスクランブル発令が下される。
 とはいえ隣国の戦闘機が示威的に飛んでいるとは限らず、ときには、飛行計画の提出に不備があって登録されていない機体と出くわすときもある。たいていは民間機だということにされるが、実のところアメリカ軍機だ。日本国内の米軍基地は、米国の法律には厳然と従うが、日本の法律など気にもしない傾向がある。今では飛行機の数が増えて空が混雑したため、彼らも飛行計画をまともに提出するようになってはいるが、いざとなればそんな手続きはなしで平気で飛ぶ。そういうところは終戦直後も今も、一向に変わらない。
 迷惑な話ではあるが、同盟国の軍機なので遭遇した方にも不安はなかった。アメリカ軍機と出くわしたら、パイロットと挨拶を交わし、ときには軽い皮肉を互いに投げ合い、記録に残さねばいいだけの話だ。有事には友軍となるのだから、それで片付けるに限る。
 本当に迷惑なのは、ただの物体だ。
 デパートにアドバルーンが付きものだった時代では、どこから飛んで来たのかわからない気球が多く見られたらしい。最近でもたまに見つけて撃ち落としたくなることがあった。あるいは、気流に乗ったままコントロール不能となってしまったドローンと出くわすときもあり、そういうときは、よくここまで飛んだものだと純粋に感心させられる。軍事用ドローンではない。いったいどこの物好きな学者が大枚はたいて自作したのかと思うような、よくできている分、一向に落下しない観測用のしろものもある。
 物体相手では、むろん着陸指示も出せず、撃墜許可など下りるはずもない。日本国民に被害がない場所で、万事障りなく海の藻屑になってくれることを願うばかりだ。
 ――夕暮れが近いな。
 僚機とともに飛ぶ島津光雄二尉は、ちらりとそんな不安を覚えた。
 離陸時の時刻は、十七時五十七分。
 春先で日が長くなったとはいえ、悠長にしていたら光量はどんどん減退してしまう。
 F−2には、赤外線による監視装置を搭載することもできるが、五分待機の機体にはついていない。もっぱら夜間の低高度飛行時に装備されるものと考えられているからだ。
 DC(防空司令所)から送られてくるレーダーデータは信頼に値するとはいえ、オーダーに従う自分達には、対象を目視するという義務がある。レーダー上で発見し、無線で警告したところ、相手が引き返すのを確認しました――というだけでは警察権の行使として不十分とされているからだ。
 目視が困難になる時間帯。
 西日が、こちらと向こう、双方の視認を妨げるかもしれない。
 ――なぜこの時刻を選んだ?
 相手が示威目的の隣国軍機なら、互いに視界が確保できる時間帯を選ぶはずだ。
 機体の誇示のために飛ぶのだからそれが当然である。快晴の空。最近では遠慮会釈なしに複数の隣国から飛んでくるが、たいてい日中だ。夕暮れから夜間にかけてわざわざ領空を侵犯してくるとしたら、偵察行動か、それ以上の目的があることになる。
 低高度飛行で敵艦を攻撃する。あるいは都市部を爆撃する。
 ――そんなわけがない。
 離陸前後に復唱した言葉を、島津二尉は当然覚えている。
「オーダー。方位二〇〇。高度二五(二千五百フィート)。チャンネル・ワン」
 それが離陸時、チャンネル・ワンを通して得た指示だ。それからすぐにレーダーサイトから、明確なターゲットの情報が来ている。
「ターゲット一機。距離二〇〇マイル。針路一〇〇。速度三二〇ノット。高度三〇」
 たった一機。隣国の軍機なら、示威目的の訓練機か偵察機の可能性が高い。攻撃機であれば編隊を組むか、最小単位でも二機で飛ぶ。爆撃機であれば護衛機をどっさり引き連れて来る。
 ――やはりアメリカさんかな。
 米軍独自の哨戒訓練からの帰投かもしれない。遭遇したら、〝何かしくじって晩飯抜きのペナルティを食らったのか?〟というような皮肉を投げてやろうと思ったとき、レーダーサイトから新たなターゲットの情報が来た。
「ヴァイパー・ゼロワン。ターゲット一機。距離一一〇マイル。針路二〇〇。速度六二〇ノット。高度三五」
 反応するまでに、通常に比べ、コンマ数秒遅れが出た。
「……ヴァイパー・ゼロワン、了解」
 急いで答えながら即応した。相手が針路を大きく変え、高度を上げた。島津二尉の針路変更に、僚機もぴったりついてきてくれている。そうしながら島津二尉は─おそらくは僚機に乗った仲間も─一挙に緊迫の度合いを高めていた。
 ――六二〇ノット? 本当か?
 とんでもない加速だった。これで気球やドローンの可能性は消えた。それどころか軍機ですらないかもしれない。さらに速度が上がった場合、考えられる対象は僅かだ。
 ――ミサイル。
 遠隔操作可能なロケット型の飛翔体。それなら急激な針路変更の説明もつく。巡航ミサイルなら、さらに加速するかもしれない。
 ――本当にそうか?
 いや、ミサイルにしても変だ。一発だけ撃つというのも─近隣の国の中にはそういう厄介なアピールを好む国も確かにあるが─何の意図か分からない。意図が明確でない示威行動など資源の無駄に過ぎない。国と国、軍と軍のメッセージのやり取りなのだから、幾重にも意図を重ねて来ることはあれど、予告もなく飛翔体をぶっ放すなどという行為は、いくら何でもおかしい。
 ――くそ、何者だ?
 わけがわからなくなってきた。思わず尻の穴に力が入った。
 ――げすびたの穴がすぼまっとるぞ。下手なことすなよ。
 郷里の訛りで自分に言い聞かせることで緊張を和らげながらターゲットを追った。
 時刻は十八時二分。
 ――西日がきつい。
 雲も厚かった。日が落ちきったら一気に暗くなる。相手がどこかもわからなかった。また針路を変えたのか。なぜでたらめな飛び方をするのか。まるで不明だった。
 ふいに機体のレーダーにヒットし、反射的に報告した。
「レーダー・コンタクト。一八〇/七〇、高度二七」
 方位一八〇の距離七〇。近い。高度がまた下がっている。これなら上を取れる。
「ヴァイパー・ゼロワン。ターゲットを視認せよ」
 レーダーサイトから言われるまでもなく、迅速に目視にかかった。
 何かが見えた。
 黒い、板状と袋状のものだ。それらがロープか何かで結び合わされた巨大な物体が、くるくる回転しながら宙を飛んでいる。いや、舞いながら落下している。
 ――なんだあれは?
 馬鹿でかい鉄板に袋状のものを幾つもつけた何か。それが何であるか、すぐに推測することは出来ていた。だが頭がそうだと納得するまでに致命的なほど遅れが出た。
 ――偽装部品。
 最新型の軍機を誇示したり発表したりする際に、機密を守るため、あえて余計なものをつける場合がある。意図的に機能を低下させ、過小評価させるためだ。あるいはそうすることで、もっと性能があると見せかけることもある。なんであれ本来の性能を把握させないための偽装だ。そしてそんなものをわざわざ付ける機体は限られている。
 どんなタイプかはわからない。だが少なくとも最新鋭機に違いなかった。そうでなければ偽装する必要はない。そしてその偽装を、ここにきてパージした。
 高度な軍事訓練か、作戦の一環かもしれなかった。誤ってこちらの領空に侵入したのか。それとも意図的か。
「目視した。おそらくフェイクパーツだ。本体を探す」
 ――しかし……なんだ、あのでかさは。
 数秒ではるか下方へ落下していった物体を見送りながら、島津二尉は自分がこの上なく緊張していることを自覚していた。尻の穴がすぼまるどころではない。偽装だと悟った瞬間、全神経が別の神経に入れ替わったような気分を味わっていた。
「ヴァイパー・ゼロワン。対象の捜索と目視に努めよ」
 ――警告射撃の必要があるか。
 高度を上げながらそう思った。戦闘への覚悟は日頃から抱いていた。敵意を持った相手ならば、即座に決断しなければならない。攻撃されたらどうするか。反撃か、逃走か。決断するまでの猶予は、僅か数秒。司令所からの命令を待つ余裕はない。
 平常心を保て。きつく自分に言い聞かせた。そして、ターゲットを探せ。
 だがレーダーには他にヒットするものがなかった。わざわざ偽装をつけた機体におびき寄せられたのだ。相手はこちらをとらえている。そう考えるべきだった。
 ――何のために?
 また不審な思いが湧いた。僚機もレーダーサイトの担当官たちも無言のまま緊迫している。もし相手に攻撃の意思があったら、偽装を目視したときには仕掛けていたはずだ。
 ――どこにいる?
 そのとき島津二尉とその同僚に、暗がりが降りかかってきた。
 見上げると、そこだけ夜が訪れたかのようだった。青空が黒く切り抜かれているように見えたのだ。
 巨大な三角形の物体。おそらく水平部や垂直部の尾翼がない、全翼型の形状。
 高度四〇を超える場所から、一切こちらの探知に引っかからず、幻のように降りてきた。
 ――日本人で最初に、間近で見た人間になるな。
 その巨大な軍機を見上げながら、そんなことを思っていた。
「ターゲットの機体を目視。頭上にいる」
 レーダーサイトから緊張を押し殺した、淡々とした声が返ってくる。
「機種はわかるか?」
「機種は不明。初めて見る。だが……間違いない」
 本当にそうか咄嗟に迷った。
 堂々と腹をさらすその相手を、改めてまじまじと見上げた。僚機の仲間もそうしているのがわかった。美しいというより、不気味なほど完璧に設計された機体。それが脳裏に刻まれるのを覚えながら島津二尉は言った。
「ステルス機だ。攻撃機ではない。アメリカ製のB−2に似た、戦略爆撃機だ」
 ─冷静とせんならん。
 驚愕からは一瞬で立ち直っている。相手はだいぶ速度を落としていた。護衛機なし。攻撃の兆候なし。
「ヴァイパー・ゼロワン、飛行の意図を質せ」
 ひどく淡々とした指示。滑稽なほどに。レーダーサイトでも、みな冷静でいろと内心で自分たちに言い聞かせているのだろう。
 島津二尉がそうする前に、ふいにノイズ交じりの声が届いてきた。
「……そこにいる日本国軍機F−2へ。聞こえているか。F−2へ。応答を願う」
 島津二尉も同僚も、その声に驚いていた。流ちょうな英語だったが、それは驚くに値しない。若い女性の声が呼びかけてきたことに意表を突かれて返答が一拍遅れていた。
「聞こえている」
 応じると、ためらいのない、きわめて冷静な声でさらにこう続けた。
「我、亡命を希望す。繰り返す。我、亡命を希望す」

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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