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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2018年1月号 小説すばる

【短編】河崎秋子「南北海鳥異聞」

 濃い青の空の下、地を白い塊が埋め尽くしている。鳥の死骸だ。全てアホウドリという巨大な海鳥だった。みな体のそこかしこを殴られ、あるものは羽を、あるものは胸骨を割られて岩ばかりの海岸線にぼとぼとと落ちていた。
 弥平はそのうち、かろうじてまだ動いているひとつに近づくと、その頭めがけて棒を振りおろした。そう強くない力だったにもかかわらず、鳥の骨は簡単に折れ、大きな体と羽を歪めたまま動かなくなった。
 少し力が余ったのか、首の部分から骨が突き出して皮を貫き、血が白い胸毛を汚している。それを見咎めたのか、弥平の背後から「おいこらぁ」と野太い声がかかった。
「弥平ぇ。お前、血ぃ出させるな。力入れて殴りすぎだ」
「何でだ。血が出ても出なくても、鳥殺すのは一緒だべ」
「あほが。鳥の羽とるのに殴ってるんだから、その羽がきれいでないと値が下がる。力加減、気ぃつけれ」
「悪かった。次は気をつける」
 弥平が簡素に詫びると、相棒である泰介はぶつぶつ言いながらも、まだ温かい死骸を次々と布の袋に集めている。これから死んだ鳥全てを島の集積所に持っていき、羽毟りを担当する労働者に渡すのだ。柔らかい胸の羽毛や鳥の肌近くに密生する繊細な羽の良いところばかりを集めて、定期的に島を訪れる親方へと渡す。その先に羽がどうなるのか弥平は具体的には知らないが、どうも、西洋に高く売りつけるのだという話を聞いたことがある。羽毛が遠い異国でどんな値段になっているのか想像もつかない。それでも明治も二十年を超えたこの年、働き盛りの三十男である弥平に支払われる対価はかなりのものだった。
 弥平は今日はもうこうして二百五十羽ほども殴り殺した。南洋特有の高い太陽が沈むまでにはあと数時間あるから、まだまだ仕事はできそうだった。
「夜までに三百はいけるな」
 ざっと成果を予想して、弥平は笑った。その拍子にぬるい汗がこめかみを流れ落ちる。単純な作業だったはずだが、全身に汗をかいていた。十月だというのに海から吹く風は生温かく、汗をよけいに粘っこくさせていく。おまけにこの島では、風が煽る臭いがひどい。鳥類特有の体臭に加えて、周囲の岩を真っ白に染める鳥の糞の臭いだ。乾いて細かな粒が空気に濃く混じっているようで、鼻の奥まで汚れていくようだ。
 不快な島だ。好きでねえ。弥平はそう断言できたが、一方でこの仕事は気に入っていた。目に付く限りの鳥を力に任せて殴り殺していい。弥平は純粋にこれを楽しんだ。
 地面にこれだけ仲間の死体が転がっているというのに、また新たなアホウドリが空から降りてきた。丸い胴体をやたらと長い翼で支えているため、減速するといかにもよたよたと飛んでいるように見える。棒を持って立っている弥平のことを全く恐れず、すぐ傍で地面へと降り立った。
 弥平はさっと近づき、ふらふら不格好に地面を歩いているアホウドリに棒を振りおろした。今度は前よりかなり力を抜いたが、それでも簡単に翼の根元がへし折れ、動けなくなる。それから羽毛の少ない頭部を狙って、さらに二発目を与える。鳥はギョッと気の抜けた鳴き声を上げ、そのまま動かなくなった。泰介がすぐに傍に寄り、死にたての鳥を新たな袋へと投げ込む。
「しっかし、弥平、お前はまったく躊躇しねえなあ」
「別に、何てことねえ。たかが鳥でないか」
「肝の太ぇことだ。俺ぁやっぱり、殺生はご免だ。労賃がかなり低くても、死んだ鳥集める仕事の方がまだやりやすい」
 鳥の死体をせこせこ集めながら、殺生はご免だも何もあるまいに。弥平はそう思ったが、蒸し返さずに自分の仕事に向き直った。それに、泰介の言うことも分からなくはない。弥平とは同郷で、同じように子どもの頃から「食うに必要な分以上に生き物を殺すものではない」と村の坊主に言い聞かされてきたのだ。
 もっとも、泰介と違って自分は殺生を全く気にはしないのだが。そう思いながら、弥平は一羽、また一羽とアホウドリを殴り続けた。

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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