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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年10月号 小説すばる

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【短編】中島京子「キッドの運命」

【短編】木原音瀬「リサイクル」

 どの公共交通機関も接続が悪いのはわかっていたので、片岡廻は駅からタクシーを使った。九月に入り、いくらか過ごしやすくなったとはいえ、まだ暑い。タクシーは今時珍しいガソリン車で、車窓も遮光断熱がされておらず、差し込む日射しが皮膚に突き刺さるようだ。
「暑いですねぇ」
 自分と同じ三十ぐらいだろうか、髪が薄い小太りの運転手が声をかけてくる。
「……そうですね」
 人と話をする気分ではないものの、無視するほど苛立ってもいない。
「もしかしてお客さん、学校の先生か学者さんですか?」
 いいえ、と首を横に振る。
「竜蓮寺って戦国武将、竹村の墓があるんですよ。前に墓を見に行くっていう学者さんを乗せたんですが、お客さん、真面目そうな雰囲気が似てるなあ~って思ったんで」
「俺は普通の会社員ですよ」
「そうなんですねぇ」
 行き先が寺なら、最初に連想するのは墓参りだろうか。どうしてそう思わなかったんだろうなと考えて、自分がトートバッグ一つで花も何も持っていないということに気づいた。墓参りを除外したら、あの運転手の中にあったのは、武将の墓と学者だったんだろう。
 ようやくこちらの「話したくない」気配を察したのか、運転手が静かになる。
 山の中、海岸線と交互に現れる景色を眺めながら、貴重な休日、茨城の田舎町まで「医者」を訪ねてくることになった経緯を片岡は思い出していた。
 ……四月、三年付き合っていた二歳年上のパティシエの美晴にプロポーズした。返事はOK。入籍と結婚式をいつにするか話し合っていた時、美晴がDNA検査を受けると言い出した。十年ほど前、政府主導の統一基準のもと、将来的に罹患する病気が九割強という驚異的な確率で判明する上、現在の細胞の状態から発症年数まで予測可能になったスーパーDNA検査が開発され、婚前のDNA検査が大ブームになった。しかしDNA検査の結果で婚約解消、離婚、殺人事件がおきたりとトラブルが続出し社会問題になったことで、受けないことを選択するカップルも増えた。美晴は将来の病気云々よりも親族に遺伝疾患があるのを気にしていて、調べてみたいと言っていた。それに付き合うようにして片岡も一緒に検査を受けた。深い意味はなかった。
 検査の結果、二人とも遺伝疾患という意味では大きな問題はなかった。ただ片岡の場合、亡くなった母親が生物学的な親ではないという判定が出た。
 いやいや、これは何かの間違いだろうと再検査を依頼したが結果は同じ。父親と生物学的な繫がりはあるが、母親とはない。おかしい。
 もしかしたら登録されていた母親のDNA情報が間違っていたのではないかと思い、遺骨を提出して再鑑定を依頼したが、それでも違うという結果が出た。
 検査機関から送られてきたメールを前に片岡は茫然とした。今度こそ大丈夫だろうと思っていたのに、徹底的に否定される親子関係。これまで「家族」と信じていたものの崩壊。何がどうなっているのか意味がわからない。これは間違いではないかと千回ぐらい考えたが、検査結果が変わるわけもなかった。
 自分という存在が、足許からグラグラと揺らいでくる。「母親と遺伝子的に繫がっていない」というだけで、自分がこれほどあやふやな存在になるとは思わなかった。
 それまで「母親」は「母親」で、絶対的なもの、揺るぎのないものだった。優しかった母親。抱きつくと柔らかくて、いつも甘い匂いがした。学校から帰ってくると「私のかわいい廻ちゃん」と歌いながら、手作りのお菓子を口にいれてくれた。大好きで、大好きで……それなのに、小学二年生の時に車の事故で呆気なく死んだ。母親がもう目を開けてくれないこと、返事をしてくれないこと、抱き締めてくれないことが悲しくて大泣きした。父親に「お願い。ママを生き返らせて」と懇願して「俺には無理だよ」と涙ながらに言われ、突きつけられた現実に頭の中が真っ白になった。心の中を半分食べられたような、力の入らない感じがしばらく続いた。友達が母親と一緒にいるのを目にするだけで、自分にはもう母親はいないんだと思い知らされるようで寂しかった。
 大人になると、流石に母親を慕って泣くことはなくなったが、未だに会いたいと思うし「もし母親が生きていたら」と考えることはあった。
 それなのに、三十間近になって「本当の母親ではなかった」という現実。自分は「亡くなった母親」が自分の母親でよかったのに、そっちは偽物で本物は別にいますよ、と言われたのだ。
 自分の母親は死んだ母親だけだ。あの優しい人だけ。顔を見たこともない「遺伝子が繫がっただけの母親」なんて関係ない。それに遺伝子上の母親のことを思うと、亡くなった母親に申し訳ない気がして、意図的に考えないようにしていた。
 それでも遺伝子上の母親の存在は頭の隅にこびりついていた。血の繫がっていない母親でも、あれほど自分に愛情を注いでくれた。それが本物の母親ならどうなんだろうと考えてしまうのをやめられなかった。
 母親と遺伝的な繫がりはなく、父親の遺伝子は引き継いでいる。こういう状況が引き起こされる可能性を、片岡なりにあれこれと考えてみた。母親と父親の本当の子供は亡くなり、父親の浮気相手の子供を引き取ったとか。ドラマにありそうなこの線が一番濃厚に思えたが、確かめたくても父親も二年前に亡くなっている。それにあの真面目な父親が浮気をするとは考えられなかった。母親の月命日の墓参りをかかさず、再婚もせず、独り身を通した男だ。
 片岡の写真や動画は沢山あり、父親が几帳面な人だったので生まれた時から高校を卒業するまで月ごとに纏められていた。ランダムに見返してみたが、その間に他の子供と入れ替わっている気配はなかった。それに片岡には生まれた時から足首に大きな痣があり、写真や動画の赤ちゃんどれにも同じ痣があって、間違いなく自分だと確信できた。
 遺伝子的な繫がりがないのに、どうして自分は亡くなった母親から生まれたのだろう。どうやって生を享け、この世に生まれてきたのだろう。それを知りたくて、DNA的な繫がりのある母親を調べられないかと、こちらの事情を話して食い下がったが、検査機関は「個人情報なので教えられない」とそっけなかった。
 可能性はないと思いつつ戸籍も調べたが、二人の間の子供が亡くなっているという記録も、自分が養子という事実もない。自分は書類上は間違いなく両親の「実子」だった。
 どうしてこんなことになってしまったのか。そもそも母親は息子と血が繫がっていないことを知っていたんだろうか。父親は息子が母親の遺伝子を引き継いでいないと気づいていたんだろうか……。

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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