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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年9月号 小説すばる

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【新連載】白岩玄「ライオンのたてがみは必要か?」

【新連載】雪舟えま「緑と楯」

 気がつくとおれはきょう何度めかで、黒板の日付のしたの日直らんにある「荻原楯」というへろへろした白い文字を、息をつめて凝視していた。席がドア側一列目の前から二番めという近さなので、筆跡までよく見える。
 うちの学級の日直は男女交替でひとりでやる。荻原が日直の日はピンクのチョークであいあい傘が描き足され、片側の女子の名前がつぎつぎと入れ替わる。やってくる各教科の教師たちに「おい日直ふざけるな、書きなおせ」といわれるたび、彼が前へ出ていってあいあい傘を消し名前を書きなおす。そして「またおまえか」とあきれられるのだった。
 目をとじて、脳裏に浮かぶあいあい傘の、彼の名前の横に「兼古緑」とおれの名前を何度書いたことだろう。この教室でいやこの学校で、彼のとなりにもっともふさわしいのはおれだ。
 起立、礼、と荻原が窓ぎわの席から号令をかけ、ホームルームが終わる。生徒たちがつぎつぎと三年一組の教室を出ていくなか、おれはドアのわきに立って彼と周辺の動向を見つめる。
「た~て~ン」笑谷がでれでれした声で荻原に呼びかけ、べったりと彼の肩にもたれる。
「タティー♡」語尾のハートが目に見えるように呼ぶのはイギリスからの留学生ツンドラ。
「はっはっはっはっ」と、笑谷とツンドラのうしろから笑いながら近づいていく不気味な薬師。
 荻原といつもつるんでいる友人たちが窓ぎわに集まって、掃除当番にじゃまにされながら談笑している。なにが「た~て~ン」だ馬鹿野郎、机さげるやいなや荻原を包囲しやがっておまえらいったいどれだけ奴をすきなんだよ、と、連中にあきれるおれ。
 これまでの経験から、遠慮して見ているだけでは近づくチャンスが来ないのはわかっている。輪のなかにつっこんでゆき彼から離れないのが必勝法だ。周囲に何人いようが何時間たとうが、そばにいつづければさいごにはおれが残る。いつかはふたりだけになれる。
 食らいついてやるぜと近づいていくと、笑谷たちはそれぞれ予定があるらしく「じゃねバーイ」といっていがいにあっさり去っていく。おれが前に立ったとき、荻原は雲の切れまからすっきりあらわれた太陽のようにノーマークだった。
「よう兼古」と、彼。
「もう帰れる?」と、おれ。
「うん」
「きょうはバイト?」
「いや」
「おれ、塾までけっこう時間あるんだけど」
「塾何時から?」
「七時」
「…………」
「…………」
「じゃあ、遊ぼうか」と、荻原。
「いいよ」
 胸ふくらむ想いで答えるおれ。
 荻原はコートを、おれはジャンパーをそれぞれはおり、マフラーを巻いた。
「タッティーバイバーイ」
「小みかんバイバーイ」
 などと、廊下ですれちがう女子から声をかけられる荻原。小みかんというのははじめて聞いた。新しいあだ名なのか。彼につけられるあだ名の法則が以前はまるで謎だったが、女子たちにとってそのとき可愛い・美味しいものの名前で彼を呼んでいるらしいとあるとき気づいた。ほかにも彼が「ロミオ」とか「ジュテーム」(このへんまではまあわかる)とか、「きなこもち」とか「ツイスト(購買部で売っているパンの名前)」とか、はじめ「甘栗」だったのが変化して「天津」と呼ばれるようになったのも聞いたことがある。
 そんなめちゃくちゃな呼びかけにも返事をし、「バイバイ」と鷹揚に手を振ってみせる彼なのだった。
「小みかん……」おれはつぶやく。
「俺のことみたいね」と、彼。
「どうして意味不明なあだ名に返事する?」
「悪意は感じないからなー」
「そんなゆるいこといってっから女たちが増長する」
「相手の新しい魅力をつぎつぎ見つけちゃうから、呼びかたもどんどん変わっちゃうんだって嶋田がいってた。愛情表現だから気にするなって」
 嶋田というのは荻原ファンの女子のひとりだ。
「愛情表現……」
 それなら負けるものかと、彼女たちに張りあう気持ちが胸にメラッと燃える。
「愛のある目で見たとき、俺のなかに甘栗てき要素や小みかんてき要素を見いだしてしまうということなんでしょう」
「なにそれ」
 と吐き捨てながら、おれだっておれだってと内心地団太を踏む。おれだって荻原の新しい魅力なんか毎日発見してるのに。彼のよさをいちばんわかってる自信があるのに。感じたままに自由に表現できる女子たちがうらやま─いや、うまいことやりやがる。
「あ、そうだ、俺」
 生徒用玄関で、靴箱のスニーカーに指をひっかけて彼がつぶやく。
「髪切りに行かなくちゃ」
「え?」
「きょうこそ行けと、金もたされてるんだった」
 どうしようか? という目でおれを見る彼。そんなこといわれたってこっちはもうふたりで遊ぶ気まんまんだ。
「待てるけど?」
 というと、荻原はぷっといって噴いた。おれのいうことって時どきおかしいらしく、彼の笑いを誘うのだがそのポイントがよくわからない。
「じゃあ、待ってて」
「いいよ」

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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