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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年8月号 小説すばる

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【短編】柴田勝家「瑠璃光」

【短編】柞刈湯葉「記念日」

 もし物語の冒頭に映像的なイメージが必要なら、マグリットの「記念日」という絵をググって見てほしい。面倒ならググらなくてもいい。要するにこれは、仕事を終えてアパートに帰ると部屋の大半を占める巨大な岩がどすんと置かれていた人間の話だ。
 登山道で見かけるような土汚れた黒っぽい岩ではなく、ギリシャの神殿に使えそうな白くてすべすべとした岩だった。幅は3メートル程ある。
 蛍光灯のシェードのそばまで岩が迫っているせいで部屋全体が影になって暗いが、隙間を抜けて反対側に行けるくらいの余白は残されている。これは幸いというべきだ。そうでないと僕は、今朝干した洗濯物を回収するためにベランダに出ることもできない。
 ぐるっと回って外観すると、岩はデコボコしているものの、概ね球体に近い形をしている。底面は幾らか平らになっているらしく、押しても引いてもぴくりとも動く様子はない。
 問題はこの岩がどう見ても、玄関のドアもベランダの窓も通らない大きさである、という点だった。外から運び込むことは不可能。ちょうどボトルシップのような不可能物体だ。ルームロック、とでも言うべきか。それは部屋の鍵だな、と思ってひとりで笑った。しばらく笑ったあと、全く面白くない事に気づいて笑うのを止めた。
 さて、どうしたものか。
 この部屋にある家具は、玄関近くにある本棚と窓際にあるベッドだけだ。巨大な外来者の出現のせいで、彼らは土地を追われたインディアンのようにふたつの隅に肩身狭そうに収まっている。と思ったが別に移動したわけではなく、両者とも元々この場所にあったものだ。背景の巨大な岩のせいで、本棚もベッドも一回り縮小したように見える。
 ひとまずディパックを床に置いて iPhone をベッド脇にある充電器に挿した。ポロン、と音が鳴って「充電中 87%」という表示が出る。ベッドに腰掛けてぼんやりと白い岩肌を見ながら、さっきコンビニで買った夕飯のツナマヨパンを食べた。それから自分の現状について考えた。
 家に帰ったらなぜか部屋の中に巨大な岩があった。
 それ以外に異常はないし、生活に支障のあるサイズではない。床が抜ける様子もないし、もし抜けてもこの部屋は1階だ。要するに現時点で差し迫った問題ではない。2年前にトイレが故障して水が止まらなくなった事に比べれば、急を要するものではない。
 キッチンの冷蔵庫には「24Hハウスサポート」と書かれたマグネット・ステッカーが貼られている。「住居のトラブルがあったらこちらまで電話してください」と賃貸契約の際に渡されたものだ。「一番多いのが外出先での鍵の紛失なので、番号を控えておいてください」とも言われた。控えていないが。
 僕はその電話番号とベッド脇の携帯を交互に3回くらい見て、深夜に訳の分からない電話を持ち込まれるサポートセンター職員の嫌な顔を想像した。面倒だから明日にすることにした。慌てるほどの事でもない。
 もともと僕はあまり「慌てる」とか「驚く」とかいった経験がない。そういう機能が先天的に欠失しているような気がする。もちろん他人と比べたわけではないが。というか実際のところ、現実の人間には「慌てる」なんて機能は備わっていないのではないだろうか。それは機能というよりも機能不全なのではないか。
 緊急事態に直面しても慌てたところで状況は改善しないわけだし、進化的にそんな機能が人類に備わっているというのはどうもリアリティがない。ミステリ小説で死体を見つけた目撃者が悲鳴をあげたり嘔吐したりするけど、そんな事をしてる暇があったら周囲の状況を確認して逃げられる態勢を整えるべきだと思う。あれは死体の存在という非日常性を演出するための漫画的な表現なのではないだろうか。
 そんな事を考えながら、一個のツナマヨパンを10分ほどかけて念入りに咀嚼して食べた。岩の様子に変化はなかった。ペットボトルのミルクティーを飲みながらベッドのデジタル時計を見ると「PM 10:47」「12 Jul.」を示していて、それが自分の誕生日であることに気づいた。僕は30歳になった。
 僕は30歳になった。
 念のため声にも出して言ってみたが、特になんらかの感慨が得られるわけではなかった。客観的に言って、30歳というのは人生にとってひとつのターニングポイントであると思うのだが。
 人生をふたつのフェーズに分けるとすれば、成長と、老化である。この国における成人式は20歳となっているが、いまどき20歳を「成人」というのは少々無理があるように思う。たしかに肉体的な成長は概ね完了しているが、国民の大多数が農村で鍬や鋤を振るっていた時代ならともかく、都市生活者にとって肉体の成熟がそれほど本質的なターニングポイントとは思えない。
 だとしたら、精神面でのひとつの成熟を30歳と規定しても、全面的に否定する人はそこまで多くないのではないだろうか。大学院の博士課程に進んで27歳まで学生だった僕などは特にそう思う。
 だから僕にとっての転換点は30歳のときに起きた。その具体的な内容は、部屋を埋め尽くす巨大な岩石の到来である。
 それはあまりにも意味が分からない。だからもう少し現実的な可能性を考えることにした。
 ひとつは、粋な友人によるイタズラを兼ねたプレゼントというものだ。この岩は実は発泡スチロールか何かでできていて、準備が整うとパカッと割れて友人がクラッカーを鳴らし「HAPPY BIRTHDAY」という垂れ幕が現れてパーティが始まる。米国製のホームドラマでそんなシーンを見たことがある。
 この仮説の優れた点は、岩が分解可能となるため、玄関ドアを通れないという物理的困難をクリアできる事。欠点は、僕にそんな友人がいないという事だ。
 物理的困難のほうが社会的困難よりも本質的な困難だ。だからこの仮説は十分検討に値するのではないだろうか。 検討に値するからって、検討するわけではない。一万円の価値があることと、一万円出して買うことはまた別の話だ。僕はそうやって「検討に値する仮説」のカタログを頭の中に並べて生きている。
 現在この近郊で「友人」といえるただひとりの男は、JRで三駅ほど離れたマンションで、ひとつ下の奥さんと3歳の娘と生後まもない息子を抱えているはずである。本人ですら忘れるような友人の誕生日にこんな手間と金をかける暇があったら家族のために使うべきであるし、彼もその程度の優先順位が分からない人間ではない。
 そのとき、ふと思い立って本棚の上の引き出しを開けた。通帳と印鑑はそのまま残されていた。この部屋に貴重品がありそうな場所は他にまったく存在しないので、どうやらシュルレアリスム美術を偏愛する空き巣が入った訳ではなさそうだった。
 この部屋で消えて困るものは金銭以外に何かあったかな、と20秒くらい考えた。何もなかった。消えてほしいものは何かあるだろうか。いま目の前にある。
 岩の隙間を抜けてベランダに出る窓を開け、物干し竿からタオルとバスタオルを回収すると、それを持ってバスルームへ向かった。服を洗濯機に投げ込んでシャワーを浴びながら、明日までに書かねばならない学会発表の要綱のことを考えた。
 体を拭いてドライヤーで短い髪を軽く乾かし、裸のままで部屋に戻った。少し濡れた手でぽんぽんと岩の表面を叩いた。熱いシャワーを浴びた後なのに、どういうわけか岩がほんのりと温かいように感じられた。
 ウォークイン・クローゼットに畳んであるTシャツとパンツを着て、そのまま寝た。

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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