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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年5月号 小説すばる

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【シリーズ新章】麻耶雄嵩「貴族探偵対女探偵対怪盗マダム」

【短編】青崎有吾「夢の国には観覧車がない」

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 その密室は、生乾きのタッパーみたいなにおいがした。
 外側はオレンジ色だったが内部の塗装は安っぽい白。広さはトイレの個室を押し広げた程度しかなく、カーブした天井に今にも頭がこすれそうだ。四方の窓ガラスはどれも年季が入ってくすんでいる。左右に二人掛けの座席が一つずつあり、先に乗り込んだ伊鳥は右側に陣取っていた。
 ってらっしゃいませー。ガチャリ。唯一の出入口が背後で閉ざされる。一度鍵がかかると中から開けることはできないようだ。仮に開けられたとしても逃げ場はない。なぜなら俺はジャッキー・チェンじゃないから。
 スニーカーの靴底を通して微細な振動が伝わる。密室は俺たちが乗り込む間も、その次の客を降ろす間も、休むことなく動き続けている。意識しないとわからないくらいのスローペースで。
「これって何分で一周するんだ」
「二十二分です」
 伊鳥が答えた。思ったよりもずっと長いな。観念して左側の座席に座る。プラスチックの椅子はかなり硬くて、二十二分あれば確実に尻が痛くなりそうだった。
 窓の向こうには秋晴れの空。真正面には私服姿の小柄な男子。
 無意識のうちに、半日分の疲労が口から逃げていく。
「ため息つかないでくださいよ。テンション下がるなあ」
「俺は最初から下がりきってるよ」
「無理して乗ることなかったのに」
「おまえが乗ろうって言いだしたんだろが」
「だってフリーパスもったいないし、ソレイユランド来たらこれは外せないし。寺脇先輩だって一回は乗るつもりだったでしょ」
「おまえと乗るつもりはなかったよ。どうせならかっ」
 葛城と乗りたかった、と。
 つい言ってしまいそうになりとっさに口をつぐんだ。伊鳥が首を傾げる。喉の奥が焼けつくように渇いた。
「か?」
「……勝手におまえだけ乗らせて、俺は待ってりゃよかった。ベンチでたこ焼きでも食いながら」
「そういう機会は、結婚してパパになるまで取っとくべきですね」
 妻子とともにレジャーを楽しむ自分の姿は想像できなかった。この後輩が放つ冗談は高校生の身の丈に合ってなくて、いつも微妙にとっつきにくい。
「おー、見えてきた見えてきた」
 伊鳥は出入口側に顔を寄せる。刻々とせり上がるゴンドラは分厚い支柱の横を通り過ぎ、窓の向こうに施設の全景を映しつつあった。
 右手に見えるのは空中ブランコ。のたくるコースターのレール。メリーゴーランドの丸い屋根。幼児向けアトラクションがそろったキッズエリアでは小さな汽車が走っている。左手に目をやれはゾンビの看板とゴーカートのコース、ドクロを掲げて絶賛客を振り回し中のバイキング。海沿いのプールでは円形のゴムボートが水しぶきを上げていて、わーとかきゃーといった歓声がゴンドラの中まで聞こえてきた。
 幕張ソレイユランド。
 千葉県立海浜幕張公園に併設された遊園地である。目玉は三回転のジェットコースターとウォーターライド、そして直径一〇七メートルの大観覧車。ソレイユはフランス語で太陽を意味する単語だそうで、マスコットのソレイユくんも太陽がモチーフになっているが、地元の中高生からはよく〈それなりランド〉と呼ばれていた。
 よくも悪くもそれなりの規模、それなりの値段で、それなりのアトラクションをそれなりに楽しめるから。ほめているのかけなしているのかわからないが、世界的人気を誇る浦安は舞浜の某テーマパークに蹴散らされることなく経営が続いているということは、やはりそれなりの人気があるのだろう。
 俺がそれなりランドに来るのは四回目で、約三年ぶり。前回は中学の卒業記念だった。今回は部活の引退記念だ。引退っていってもフォークソング部なので大会とかで負けたわけじゃない。だらだらやってるうちになんとなく三年の秋になり、じゃあそろそろって感じで追い出し会が企画され、一、二年を含む部員全員で遊びにきた。
 なんともゆるい別れ方だが、三年は部活をやめたら受験勉強に打ち込むだけなので、やっぱりちょっと寂しいものがある。俺にとってはこの遊園地こそが青春最後の一大イベント。仲間と笑い合い、ふざけ合い、今日という日の思い出は高校生活の集大成として心の卒業アルバムに刻まれる、はずだった。
 なのに今、俺は伊鳥と二人で観覧車に乗っている。
「他のみんなは何やってんのかな」
 独りごとのつもりで言った。伊鳥は景色を眺めつつ「さあ」と返す。
「成田先輩たちは絶叫系制覇するって言ってましたね。井筒先輩と藤先輩はウォーターライドで、隅田たちはスリラーハウス行きたがってたかな。葛城は」
 俺の反応をうかがうように間を置いて、
「ベンチで休憩中かも」
「……たこ焼きでも食ってそうか?」
「いや、アイスクリームですね。やたらでかいカップのやつ」
 やっぱりこいつの冗談はとっつきにくい。

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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