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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年5月号 小説すばる

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【短編】青崎有吾「夢の国には観覧車がない」

【シリーズ新章】麻耶雄嵩「貴族探偵対女探偵対怪盗マダム」

 新幹線から私鉄を乗り継ぎ大阪を北上する途中で雨が降ってきた。どんよりした雲から車窓に打ちつける雨粒の量が増えていく。目的の小ぶりな駅に降りたったときには、まあまあな雨脚になっていた。天気予報は晴れだったので、傘は用意してこなかった。
 傘を差さなくても困るほどではないが、肌には感触がはっきりと残る小雨。四月の雨は花の父母というが、仕事先に濡れネズミで訪れるわけにもいかない。
 階上駅の階段を降りたところでコンビニがないか見回すと、いきなり巨大な魚に視界を塞がれた。思わず身がまえ確認すると、ブリの着ぐるみだった。直立した魚体からタイツ地のひょろ長い手足が伸びている異様な姿で、どういう骨格構造なのか頭部が直角に折れ前を向いている。しかも適度に戯画化されたモノではなく剝製のようにリアルで、特に焦点が合わない潤んだ眼が、魚屋で解体される直前のブリを思わせた。こんなキャラクターで大丈夫なのかと心配するほどに。
 身体の側面と腹びれにアクセントのように黄色い線が入っていたり、可愛らしいところもあるのだが。
 一瞬怯んだ隙に無言でチラシを突き出される。そのため思わず手に取ってしまった。手慣れたやり口だ。
 駅前は屋根のないロータリーになっているので、ブリの着ぐるみはもとより渡されたチラシも所々雨でふやけていた。
 二色刷のチラシには『本日オープン! なしく寿司××駅店』と大書されている。
 今日、この駅の近くに開店する回転寿司の宣伝のようだ。チェーン店のようだが、聞き覚えがないので関西基盤なのだろう。安い紙質なので、さして大きなチェーンでもなさそうだ。
 右隅には着ぐるみと同じ首が折れ曲がったブリのイラストが描かれている。店のマスコットらしく〝デカブリ夫〟と下に名前が書かれている。関西っぽいベタなネーミングだった。
 オープン記念で今日だけシマアジとイシダイが一皿一二〇円というのは大変気になるが、今は仕事だ。かといって受け取ったチラシを目の前でゴミ箱に捨てるほどの胆力もないので、バッグのポケットに乱雑にねじ込んだ。
 再び周囲を見回すと、コンビニがない代わりに、待ち合わせに指定されていた喫茶店が目に入った。待ち合わせの二時より十五分ほど早い。とはいえのんびり傘を探し回るほどの余裕はない。
 アンティークなコテージ風の喫茶店の扉を開けると、窓際の席に腰を下ろした。ハンカチで肩の水気を拭きながら外を眺める。小さな駅なのですぐに人通りが絶え、先ほどのデカブリ夫は小雨の中でぼうっと突っ立っている。屋根がある階段に入れないのは、おそらく禁止されているのだろう。
 しかし休息は束の間、すぐに反対方向からの列車が到着し、客の一群がはき出されてきた。私にしたと同じように、ブリの頭を突き出しチラシを押しつけようとする。
 そんななか、チラシを受け取ったポニーテールの若い女性がなにやらデカブリ夫に話しかけていた。
 知り合いというよりも、指を差して揶揄っているようだ。声は勿論店内まで届いてこないが、得意気な嘲笑が聞こえてきそうだった。
 とはいえすぐに飽きた様子で立ち去る。彼女の行く先には真っ赤なスポーツカーが停まっており、彼女を乗せると水しぶきをあげ走り去って行った。デカブリ夫はその様を死んだ魚の眼で見送っていたが、すぐ我に返ったように踵を返すと、女性に捕まって取りこぼした客に向かって慌ててチラシを差し出していく。
 何を揉めていたのかしらないが、デカブリ夫の中のバイト君にはいい迷惑だな、しかし酔っ払いに絡まれるよりかはだいぶましかもと密かに同情していると、
「お久しぶり。愛香ちゃん」
 背後から私を呼ぶ声がした。振り返ると、長身で派手な顔つきの美人が立っている。待ち合わせの主である、玉村依子だった。
「お久しぶりです、依子さん」
 いつの間にかちゃん付けに変わっているのを訂正すべきか迷いながら、私は返事をした。
 春のイメージなのか、大地から草木が息吹いているかのような派手な刺繡のブラウス。腰まで伸びた長い髪、高い鼻筋に肉厚な唇、気が強そうな目尻といろいろ蠱惑的だ。
 その華やかさは、古木主体の落ち着いた内装の店内ではっきり浮いていた。まばらにいる客が、男女問わず彼女に視線を向けている。
 依子は向かいに腰掛け、カモミールティーを注文すると、
「ほんと、やな雨ね」
 と、愚痴った。とはいえ彼女の髪は濡れていない。
「あなた、少し濡れてるわね。なんか可愛いわよ」
「それで依子さん、ご依頼の詳細は?」
 いつも彼女のペースに振り回されては収拾がつかなくなるので、私はビジネスライクに切り出した。
「そうね」少し物足りなさそうな依子。
「ところで、ここでいいのですか?」
 一応確認する。客は少ないが、他人の耳がある。まして依子はいまその外見で衆目を引きつけたばかりだ。
「いいんじゃないかな。名前さえ伏せておけば」
 私の心配をよそに、あっけらかんと依子は答える。
「理由は後で話すけど、家の中よりよほどましなのよ」
 依子から、知人の家宝が盗難されそうなので護ってほしいという依頼があったのが四日前。ちょうど手が空いていたことと、見知った依子からの依頼ということもあり駆けつけたのだ。もちろん報酬は割増料金だった。個人経営の探偵より警察や警備会社に任せればいいはずだが事情があるらしく、
「愛香ちゃんは、怪盗マダムってご存じ?」
「怪盗マダム……なんですか、その芸の無い名前は」
 即物的なネーミングに、とある髭面男の顔が浮かんだ。
「知らないならいいわ。そういう怪盗がいるのよ」
「怪盗ですか……」
 窃盗団ではなく怪盗。古雅な響きだが、探偵の自分より一般人の依子の方が詳しいというのがひっかかった。
「もちろん私も今回聞いたばかりだけどね」
 気遣いだろうか。彼女はそうフォローすると、具体的な説明を始める。
「一週間前、怪盗マダムからこの地域の素封家のNさんの所に、家宝である千姫の貝合をいただくって予告状が届いたの」

 

(続きは本誌でお楽しみください。)

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