close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

2017年1月号 小説すばる

試し読み一覧はこちら

【占い短編小説】雪舟えま「りゅりゅりゅ流星群」

【ノンフィクション】高野秀行「占い放浪記」

アマゾンの占い師

 

 占いに格別興味があるわけではないが、三十年も世界のあちこちをうろついていれば、占いの話や占い師に出くわすこともある。
 古くは二十六年前、二十四歳でアマゾン河を河口から源流まで遡ったとき、ブラジルの土着宗教「マクンバ」の呪術師と知り合った。マクンバはアフリカ起源の信仰が奴隷とともに新大陸に運ばれ、キリスト教と混交しながら独自の宗教になっていったという意味でハイチのブードゥー教に似ている。
 ふつうに占いもするというので私もみてもらったが、呪術師の先生はかなりやりにくそうだった。外国人の場合、生活背景も人生の進み具合も世界観も異なるので、判断がつかないのだろう。宝貝や昔の硬貨を投げて、その散らばり具合で運勢をみたり、私の名前(アルファベット表記)で計算してみたりしたが、「君は今、特に困ったことはないんだろう。そういう人には占いは必要ない」などとかわされてしまった。
「なんでもいいから未来のことを一つくらい教えてほしい」と無理を言ったら、また宝貝を転がして「君は生涯に妻を二人持つ。一人はこの旅から帰った後すぐに得られる」と予言した。
 帰国後、誰にも言わずにワクワクしながらずっと「妻」が得られるのを待っていたのだが、妻どころか彼女もできなかった。ただ待っているだけではダメだったのだろうか。それならそうと言ってほしかった。

 アマゾンから二年後。タイのチェンマイ大学で日本語教師をしていたとき、タイ人の元彼女がストーカーと化して身の危険を感じたため、一時期、大学職員の人の家にホームステイさせてもらったことがある。
 その人は五歳のときに寺に入り、二十六歳で還俗して大学職員になったという、タイでもちょっと異色の経歴を持っていた。彼は私のことを「アチャーン」と呼んでいた。
 タイ語では「先生」を表すのに二つの単語がある。一つは「クルー」。サンスクリット語の「導師」に由来し、ふつうは小学校から高校までの教師に使われる。単純に「教えることを仕事としている」という意味合いが強い。
 もう一つはアチャーンで、こちらは同じくサンスクリット語の「アーチャーリヤ」日本語では「阿闍梨」から来ている。大学の先生や高僧など、技能や知識に特別優れた人への尊称である。アチャーンと呼ばれると世間的にも相当尊敬されていると思っていい。だから大学の一般職員は(私のような二十代半ばの若造でも)教員を「アチャーン」と呼んで敬うのだが、実は彼も家に帰ると周囲の人から「アチャーン」と呼ばれていた。二十年以上も修行していた寺で占いをマスターしたからだという。実際、週末になると、お客が何組も相談事に来る。老いも若きもいるが、ほぼ女性。ときには母子でやってくる。
 相談の内容は病気、人間関係、仕事など多岐にわたるが、いちばん多いのが結婚に関することだという。特に相手との相性と結婚式の日取りだそうだ。だから母子の組み合わせが多いのである。
 広い居間の片隅で行っているので、私も何度か遠目にちらちらと眺めていたものだが、名前、生年月日、それに手相などで判断しているようだった。アチャーン自身は霊能力とは無縁なようで、もっぱら細かい文字が書き込まれた表や本をいくつも参照しながら回答していた。占い師というより「学者」という風情である。
 アチャーンは「優しい」を通り越して極度に気が弱い人だったが、それでも「今日は結婚相談を受けたけど、『その男性とは相性が悪いので結婚は考え直した方がいい』と言いましたよ」などと私に後で報告するので驚かされた。占いに関しては大変に自信を持っているらしい。また、こんな民家の片隅で、人の運命が変わっていったりすることにタイ社会の裏の部分を垣間見たように思った。
 二カ月ほど滞在していたので、私のことも占ってほしいと二、三度頼んだのだが、その都度「また後で」とはぐらかされた。外国人の"アチャーン"を占うことが重荷だったのかもしれない。

 

続きは本誌でお楽しみください。

試し読み一覧はこちら

【占い短編小説】雪舟えま「りゅりゅりゅ流星群」

閉じる