【特別掲載】
姫野カオルコ
「そのほうが幸せ」
小説すばる2月号からスタートした姫野カオルコ氏の読切新シリーズ、
大人のための「児童小説」。
スタートを記念して、同シリーズのエピソード0にあたる読切
「そのほうが幸せ」をこのHPだけに特別掲載。
本誌掲載作「王女アンナ」とあわせて、ぜひ読んでみてください。
平成二×年の春――。
単身者棟の部屋で夕食を済ませ、食器を洗った手を拭くと、中学時代の同級生からメールが入った。
波野くんは、彼と仲のよかったゆっちゃんの死を告げていた。葬儀は某寺にてすでに済んでいると。
短いメールを読むなり、私は反射的に、有給休暇を願う電話をかけた。
「ずらして旅行とか?」
直属上司は、同じ社員住宅の夫婦棟に住んでいて、敷地内で顔を合わせれば世間話もよくする気さくさで訊いてきた。ゴールデンウィークに突入する前に旅行にでも行くのかと。
「ちがいます。同級生が死んだんです」
断じる口調になった。上司も奇異に感じたのか、
「ありゃま、そっちか。この年齢になると、時々入るねえ」
と、おそらくお悔やみとして返してくれた。彼も私も五十代である。
「自分と同じくらいの人が亡くなるのは、なんともつらいね」
わかりましたと、彼は電話を切った。私は切れた電話機を二つに折ってエプロンのポケットに入れ、大きな鞄を出して、出かける支度をしはじめた。行き先のわからないまま。
動転していた。なにくれと詰めた鞄を玄関先に置いてから、波野くんにメールで尋ねた。彼ならきっと知っているにちがいない。
〈林先生の現住所、わかる?〉
林先生に会わなくてはならない。
ゆっちゃんの早すぎる訃報は、私にそう思わせた。
ゆっちゃんが死んだと、林先生に会って言わなくてはならない。
そう思わせた。
*
夜遅くに波野くんから返事が来て、翌朝早くに、私は新幹線に乗った。
林先生は北陸本線沿いの町に住んでいることを教えられ、まず新幹線で米原に向かった。
郷里を東に離れて何十年にもなる。
ほとんどの同級生は関西在住で、会うことはめったにない。
波野くんとは、おととしかそこらに、たまたま名刺を交換していたのである。私の会社の製品を、彼の会社に納入するにあたり、思いがけず会い、互いに驚いた折に。
「俺ら、盆暮れには集まってるんやわ。自分も帰省のとき、参加してみてよ」
その折に波野くんは、誘ってくれたが、私は参加せずじまいでいる。
郷里の両親はすでに他界しているので、墓参の帰省は、新幹線の混雑する盆暮れを避けての、しかも日帰りだし、それに……、波野くんが集まっているというのは、同学年のうちでも小中高すべて同じ学校だった生徒ばかりの会らしかったからだ。私は、中学校のみが、波野くんとゆっちゃんと同じだったので、どこか気が引けるものがあった。
中学校時代、波野くんとは二度同じクラスになり、班だの校内委員会だので接点がよくあった。
ゆっちゃんとは一度しか同じクラスにならず、男女別で行なう体育授業でも、彼女と私は身長差があったので、ペアを組まされることもなかった。
それでも私は、波野くんよりもゆっちゃんのことを、クラスが変わっても、別の学校に進学しても、上京しても、よく思い出した。
「一度くらい参加すればよかった」
ゆっちゃんが元気なうちに、波野くんたちの会に参加すればよかった。大人になってからの集まりでなら、彼女とゆっくり話せたかもしれない。しゃべる、のではなく。
彼女を繰り返しずっと思い出し、思い出すと、避けた。凄まじい怒りにつながったからである。
*
ゆっちゃんは寺島雪子といった。
キュートという英語をカタカナにした形容がぴったりな外見の女生徒である。面皰とは無縁の肌質の、いきいきと表情豊かな瞳。敏捷で均整のとれた小柄な身体。
女子の体育特別授業の発表会で、ゆっちゃんは学年女子でただ一人、平均台の上で前転をし、さらにジャンプして中空で前転して着地し、先生からも生徒たちからも拍手喝采を浴びた。
強度の近眼の私は、体育の先生の指示どおり、頭部と背筋を真っ直ぐにして平均台を歩こうとしても、視線を斜め下に向ければ、そこは鼻梁にのせている眼鏡の、レンズと頬の隙間だ。ぼやける。なんとか台を歩ききっただけのような発表を終えた私は、ゆっちゃんの演技に感嘆した。
一九七〇年代の眼鏡レンズはガラスで重たく、休み時間になると、外して眼鏡疲れをとった。そんな時、「ちょっと、かけていい?」と言ってくる同級生が必ず数人いた。いやだった。
本人も家族も目がよいために、眼鏡という物が非日常で物珍しいのか、その高額で繊細な衛生用具を、どこかの店先の、呼び込み用に置かれた安物玩具のようにかける。ふざけて顔ではなく頭の後ろにかけてみたりするから、ツルはゆがみレンズに傷がつく。いやだった。
だが「ちょっと、かけていい?」と言ってくる同級生に、「いや」だと私はどうしても言えなかった。
断ることで、相手に微かな腹立ちを与えるのではないかという危惧ではない。ぎくしゃくした空気が漂わぬようにとの憚りでもない。断りたい。なぜ断れないのだろう。断れない自分に対してこそ、苛々した。
何十年も年を重ねた今ならわかる。
気圧されたのだ。
「ちょっと、かけていい?」と何の躊躇もなく他人の眼鏡を手に取る同級生というのは、みな、「明るい」「スポーツマン」「おもしろい」「おてんば」「さっぱり」「さばさば」などといった形容をされる生徒たちで、彼らの放つ、疑いのない光に、私は気圧されたのである。
波野くんも、強い光の生徒の一人だった。その上、彼は、成績、おどけぶり、家庭の収入、容貌、これらが「わりにいい」という、市立中学の一学年集団の中で、他者と摩擦を生じさせない要素(「とてもよい」よりずっと)を備えていた。油分を感じさせる皮膜に覆われた地黒の肌も、ホソメ(細目)と男子たちから親愛の情で呼ばれる綽名のある、厚みのある一重瞼の目も、ピーナッツを二つつけたような八重歯がのぞく歯並びの悪さも、彼の場合には「明るい」「部活をようがんばっとる奴ちゃ」という評価を、むしろ高める要素になっていた。
彼は私にはまぶしい生徒だった。
ならば平均台で前転をするようなゆっちゃんになら目が眩んだかといえば、ちがう。
彼女は、まぶしい生徒たちと、いつもいっしょにいて、それも、そうした生徒たちに囲まれるように中心にいて、体育の特別授業でも拍手喝采を浴びるような女生徒だったのだが、彼女にはどこかに……、接点がほぼなかった私には、それがどこなのか、なぜなのかわからないのだが、どこかなぜか、翳りがあった。
「1,5や」と、保健室で自分の視力を誰かに答えていた彼女である。「うちとこ、お父さんもお母さんも妹もみんな目がよいの」と答えていた。だが彼女は、誰の眼鏡にも、「ちょっと、かけていい?」と手をのばさなかった。
明るくスポーティでおもしろくてさばさばした級友たちに囲まれた、ゆっちゃんの笑顔は、春の陽差しのようだった。
西へ走る新幹線の車窓からふりそそぐ四月の陽差しのように。
そう、夏の光ではないのだ。
キュートなアイドルは、決してやかましい女子生徒ではなかった。声自体が、よく通るソプラノではなく、アルトではないもののアルト寄りで、授業中に当てられても、ごくわずかに躊躇いを含んだように答えた。
にもかかわらず、
「やかましい」
と、ゆっちゃんに言った人間がいる。
それが林先生である。数学の先生だった。
*
林数夫。名前から数学担当らしい、長身の三十代の男性は、廊下ですれちがうだけで生徒たちは俯いてしまう、いわゆる怖い先生だ。
出題した数学の問題をまちがえた生徒や解けなかった生徒の中から、二、三人を選ぶと、教壇に立たせる。そして、黒ずんだ煙草の脂が歯間に付着した、黄色い乱杙歯を見せてにやにやし、立った生徒を指さす。
「見い。抽出したアホのサンプルや」
と。時には「抽出したサンプル」の生徒に、
「おい、アホら。おまえら、みんな、すぐに廊下の水道で顔洗ろてこい。冷たい水で顔洗ろて、アホを冷やしてこい」
と言う。
「顔は拭いたらあかんで。アホに気化熱を教えたろな。水が乾いていく時にな、アホな熱を冷やしてくれよんのや」
と。「抽出したサンプル」と呼ばれた生徒たちは、濡れた顔のまま、教室にもどらねばならず、濡れた顔から水気が首を伝い、制服の内側を湿らせても、顔を上げさせられたまま、教壇に立ち続けなければならない。
林先生の数学はこういう《私的用途の時間》だった。
授業ではない。今なら断言する。身勝手な辱めだ。
また今だから断言する。未成年の集団を教えるには、圧力と杜撰は必要だ。幼い不自由がやがて長けた自由を得ると教える規律のためには。公平な圧力と鷹揚な杜撰の小悪は必要なのである。
均衡困難なこの行為に、多くの教える側に立つものは努めてい、やり遂げるものも少なくなく、教えられたものたちはそろって敬う。そろっての敬慕は、教える側にいた時から、教えられる側のものたちを、わけへだてなく敬ったからにほかならない。
林先生がしたことは、生徒を教える、数学を学ばせるという行為ではまったくなかった。弱みにつけこんで他人を侮辱し、なんらかの己の欲求の代用のように他人を辱める行為だった。
今なら社会問題になろう。だが一九七〇年代の田舎の市立中学校では、林先生のふるまいは、生徒たちがみな彼に震え上がっているために、表に出ることはいっさいなかった。彼の授業中は、消しゴムを落としても音が響くほど静かだった。
静かな教室を、「やかましい」という彼自身の一声は不気味に刺した。
*
ひかり号が停まる駅にしては鄙びた米原駅で下りると、私は乗り換えるためにホームを移った。
北陸本線で、北に向かうのである。
十五分ほどの待ち時間を、ベンチにすわった。掌中には住所を記した紙がある。携帯電話に保存したほかに紙にも控えたのだった。PCで検索したのをもとに最寄り駅からの地図も手描きした。
波野くんは、やはり林先生の住所を知っていた。
昨夜、私が問うたメールを受けた彼は、電話をしてきたのだ。
「みんな、あの先生のこと、怖い怖いて言うてたけど、そんなん気にしすぎや。俺のこと、ナミ、ナミ、ナミアミダブツていつも呼んだやろ。しょもないダジャレなんか言うて、ひょうきんなとこある先生やったやんか」
そう言った波野くんは、今でも林先生と年賀状を交わしていた。
大半の生徒に「怖い先生」だった林先生が、しかし、性別は問わず、ごく数人の生徒にはつねに相好を崩して対するのを、私は気づいていた。
「書く物ん、そばにあるか? 住所、言うで。郵便番号……」
波野くんが伝えてきた林先生の現住所は、私たちが通った中学校からはずっと離れた所だった。一度も行ったことがない北の町だった。
「あの先生な、歯が脂汚れたったし、白髪多かったさかい、年とって見えたけど、俺らが習ろてたとき、まだ独身やったんや。俺らが××中を卒業してから、見合いで嫁はんもろてな。そん人、××中の卒業生やて。俺らより三年ほど上の。それから△△中の教頭になって、そんで今は退職して悠々自適生活や。教頭してからの退職やさかい、平より退職金はだいぶ多いわな」
北陸本線沿いにある町に家を買ったのは、長女の嫁ぎ先の近くに住むためだったらしいと、これは別の女生徒から聞いたことだそうだ。
「自分、よう、あいつと走ってたやろ」
「背がいっしょくらいやったさかいやわ」
その女子生徒は私と背丈が同じくらいだったので、身長で順序やペアやメンバーを決められることの多い体育授業や体育祭では、ゆっちゃんとちがい、100メートル走やハードル走で、いつも競うことになった。いつも決まって彼女が2着で私が3着になる。
彼女が2着でゴールすると、体育ではなく数学の林先生が「ようやった。ようやった。2番や。2番やったら1番と変わらへん」といつも走り寄ってくるのを、私はすぐ前で見ることになった。
2着の彼女は、疾走後で息が上がっていることもあり、林先生を見もせずにトラックの外に設けられたクラス席にもどって行くのに、爺やのように、手揉みして追うのである。彼女の2着を手放しで祝福する口が大きく開いて歯が出るので、その歯並びが乱杙であることを、私はこわごわの伏目ながらも、間近で見ることになった。
「言う」
林先生に言う。言いに行く。
北陸本線のホームに電車が入ってきた。手の中の紙片をきつく握った。
*
「やかましい」
林先生の低い声が、朝の静かな教室に落ちたとき、私は何に対してなのか、わからなかった。
教室の外から聞こえてきた何かの音に対しての不快なのだろうか。
教壇の林先生の頬は、ピクピクと動いている。よけいに教室は静かになる。
すた、と教壇から林先生が下りる。生徒たちの机間を真っ直ぐに進む。みなの頸が、彼が進む方向に沿って動く。
林先生が止まったのは、ゆっちゃんの席の前だった。
ゆっちゃんを、上から見下ろす。
「おまえ、やかましいな」
ゆっちゃんは茫然とした。
離れた席の私も。ほかの生徒も、おそらく。
わからない。何がやかましいのか。わからない。なぜ、やかましいのか。
得体の知れぬめまいに、私は後ろ向きに倒れそうになる。
ゆっちゃんの上にある林先生の顔が、にやにや嗤う。ぷいと彼の体は反転し、教壇まで真っ直ぐに進み、とん、と教壇にもどった。チョークを取り、
〈ぐらふ1〉
そう書いてから、林先生は一次関数のグラフを書き出した。
はは、と小さな、笑い声を、私の隣席の男子がたてた。波野くんだ。
「グラフ」ではなく「ぐらふ」と平仮名であることに対するリアクションである。
林先生がわざと平仮名で書いたことは、私にもわかったし、平仮名にした意図もわかった。「ぐらふ」という平仮名表記には愛嬌があり、それを授業中に書いてみせるというパフォーマンスなのは、露骨なほどなのである。
だが、このようなタイミングで、そのような行動をされると、されたほうは不気味さがいやますだけなのだ。
チョークで横に書かれた「ぐらふ」の白い文字の、「ぐ」「ら」「ふ」と一文字一文字がぱらぱらと離れ、大きさが不揃いで、横に芯の通らない手跡も、目にする者を不穏な心持ちにさせる。
波野くんの、はは、というリアクションは、半分は、まぶしい生徒としての使命感によるものであっただろう。教室の空気の重さを払拭してくれようとしたのだろう。あと半分は、「グラフ」ではなく「ぐらふ」であることの愛嬌に、波野くん自身は初めて気づいたことによる自然な反応であろう。だからこそ、彼はまぶしい生徒なのである。
*
歳月を経れば、中学生時代など、無知で無学で浅薄だった。天から選ばれし賢人なら、思春期のころより聡く該博で冷静であっただろうが、「みんな」という平均についていくのにもあたふたしていた私のようなのろまは、語彙の集積も遅く、状況への対処も遅く、五十代になってようやく、かつての教室を、他者に(出身地も出身学校も世代もまったくちがう他者に)伝えられるのである。
なぜ××中学の生徒たちは、あんなに林先生に震え上がったのか。
威厳ではない。凶器で脅したからだ。数学や体育といった、はっきりと目に見える正解が存在する科目の教諭という立場の者が所持できる凶器を、自らの気分しだいに取り出し、生徒を脅したからである。
規律のない脅迫は、対処しようがなく、震えるしかない。
黒板に書かれる文字、ガリ版刷りの定期考査の問題文、数式。文字も数字も、間隔と大きさが不揃いで芯が通らない。ふりかえれば林先生の手跡には、書き手の斑気な性質がよく滲み出ていた。
*
またある朝のことであった。
林先生は、関数の正比例の項の途中で、教科書のページをとばして、反比例の問題を黒板に書いた。
反比例の項の始めにある基礎的な問題だったから、教科書の説明を読みながら、例題に倣って解けばよいのであるが、急にページがとばされたことに、生徒たちの戸惑いの息づかいが教室に籠もった。
「できた者んからノートを見せに来い」
林先生の声は大きくない。語調も強くない。早口でもない。【o】の母音のつく語が鼻にかかるので、聞きようによっては暢気であり、中年婦人が色男に秋波を送っているようでもある。
そういう声で、問題が解ければノートを見せよと命じる。それは、解けなければ凶器を取り出すぞという、絡みついてくるような脅しであった。
黒板の問題を写すだけで、私の手は震えた。汗をかきにくい体質であるにもかかわらず、ノートは掌から滲む汗で湿り、震え、関数を考えるだとか、反比例を考えるだとか、頭が働かない。
がた。
すぐ前でした音に、どくんっと心臓が鳴った。
すぐ前の席の男子が席を立った単純な音だとわかり、私はほっと安堵の息を吐く。
前席の男子は卓球部員で、体育も含め教科全般によくできる。屋内球技を専らとするためか生来的なものなのか、肌が白い。短く刈った髪とのかねあいでスポーツマン然として、波野くん同様、まぶしい生徒である。
もうできたんや、すごいなあと、私が感心したように、ほかの生徒も、わあ、と小さな声を出した。
卓球部男子は、ノートを先生に出しかけて、すぐにまた着席した……ように、大半の生徒は思っただろう。だが、すぐ後ろの席だった私には、林先生が、卓球部男子の出しかけたノートを、手の甲で払ったのが見えた。林先生が、ごく微かだったが舌打ちをしたのが聞こえた。
卓球部男子が着席すると、林先生は、私の隣に立った。私の隣に立って、私の隣の席の男子に、
「どや、ナミ?」
と呼びかけた。
「どやのん、ナミ、できたかいな?」
猫をなでるような声である。
「あ、もうチっと待ってください」
波野くんは、おどけたと言うにはわずかに至らないていどの口調で返した。
「おふぉっほ」
静寂を破るように林先生は大きく笑った。その笑い声は、鼻にかかって高く、色男にふざけて尻をなでられた中年婦人がどこかうれしそうに上げる嬌声に似ていた。
「待てえてか。まったくしょがないなあ、ナミは。ナミ、ナミ、ナミアミダブツや」
林先生はスリッパを履いた踵から、すぱすぱと音を鳴らして、机間を移動すると、次には、短距離走や障害物走で、いつも2着になる女子の机に手を置いた。尻をやや突き出すようにして長身をかがめ、彼女に呼びかけ、
「あせらんときや。落ち着いてやり。おまんならすぐできるわ」
励ます。黄色い乱杙歯が大きく口から露出する。
私はぞっとした。彼の豹変に。
怖かった。掌だけでなく、脇の下からも冷たい汗が噴き出したのが自分でわかった。
2着女子を励ました後である。林先生が、ゆっちゃんのノートを取ったのは。
ゆっちゃんは2着女子の後ろの席なのだ。
林先生はゆっちゃんのノートを机から取り上げ、見るとポイと捨てるように返し、教壇にもどった。
教壇で、林先生は、歯を見せず、両の口角をうんと上げる。笑う。鼻の穴がふくらみ、右の頬がピクピク動く。ゆっちゃんを指さす。
「おまえはチャンピオンや」
チャンピオン。陽気な語がいきなり発せられ、発した彼は、ゆっちゃんのほうに顔を向けて続けた。
「おまえはチャンピオンや。アホのな」
*
今でも、あの声は耳に残っている。
何十年もの年月を経ても、私は忘れることができない。林先生への怒りを。
どうしても許すことができない。彼がいきなり取り出した凶器で攻撃されたゆっちゃんに、何も手をさしのべなかった自分の怯懦を。
北陸本線の車内放送が、駅名をアナウンスした。
私は怒りで、そこに下りた。
とってつけたようなコンクリート建ての、四角い駅舎の前は徒広い。車だけが目立つ。
昨夜、PCで地図検索をし、ストリートビューも見ていたが、念のため駅前の交番で掌中の紙を見せた。
「ああ、あそこに大きい屋根が見えるのわかります? お寺の屋根。あのお寺を越してちょっと行ったらいいだけです」
巡査がのばした腕の方向へ、道なりに歩いて行くと、「林」と明朝体で印刷されたネームプレートが郵便受けに貼られた家があった。
自分がここにどんどん近づいていた車中では「迷うかもしれない。駅から遠くて引き返すかもしれない」と、思っていた。凡庸な一社会人の行動から外れるべきではないという虞れも、私にはむろんあったのである。
着いてしまった「林」家は、そう古くなく、大きくもない。
林ちがいかもしれない。不在かもしれない。もし人ちがいなら、もし不在なら、すぐにまた駅に帰ろう。ここまで来ただけで、終わりにしよう。
何十年も前からの怒りの埋み火が、ゆっちゃんの訃報で火柱を立てたのが、駅からこんなにすぐに現れた家という物体に躊躇っている。
怒りにまかせて新幹線に乗ったことと、あっけなく家に着いた躊躇いとが、差し引きをして私を落ち着かせた。
在宅だったら、言うべきことを、ただ言おう。何十年を経ても許せなかったのは自分についての事柄ではない。私は林先生とつながりがなかったとさえ言ってよい。許せなかったのは林先生の行為と発言が教師としてまちがったものだからである。
臭気がした。
プラスチックが焼けるような臭い。電子煙草特有の臭いだ。
柾の植わる石垣が挟むアルミニウムの門の丈は低く、柵の隙間も広い。
門に寄った。
喫煙者は門の内側に立っている。
庭の小池に向けたその横顔は、加齢で萎び、背丈も縮んだように見えたが、たしかにかつて、ゆっちゃんに暴言を吐いた人間のものだった。
もしもの雨に備えて着てきたフードのついたスプリングコートの、撥水性の生地がカシャと音をたてた。
喫煙者は、自分の家の門の真ん前に立つ私に気づいた。
「なにか?」
こちらを向いた。
私は出身中学と名前を言った。自分はもう中学生ではない。社会人として社会人に対すればよい。
「それで?」
門の内側に立つ人は、笛を吹くようにのんきそうに喫煙器具を銜えた。
「寺島雪子さんが死なはりました」
小さい声になった。喫煙の人は片手を耳にあてる。
私は息を吸ってから、大きな声で、同じことを繰り返した。
「へえ、寺島さん?」
門の内側に立つ人はきょとんとした。
私は突然の訪問を頭を下げて深く詫び、それでも訪ねずにはおれなかった理由を述べた。教頭まで務めたのであるなら、教師として省みてほしいと。
「今からでも寺島さんに謝ってください」
かつての授業中に、依怙の判定で彼女に暴言を吐いたことを、今からでも謝るべきだと、私は言った。あなたの謝罪を、私は早すぎる死を迎えた寺島雪子さんへの弔いとすると。
「寺島さんとかいう人、ぼくが教えてたていうこと? あんたはその人と親戚か何か?」
長く教師の職にあった人の顔面には、小石が落ちた水面のように、曖昧な笑みが広がっていく。
「同級生です」
はじめに告げたことをまた私は繰り返した。
「寺島雪子さんと同じ教室で、あなたの授業を受けていました」
「おふぉっほ。そんなこと言われたかて……、おふぉっほ」
かつて何度か聞いた、鼻にかかった笑いの息が鼻の穴から出た。
「こっちはようけの子を教えたし……」
彼は自分の記憶がおぼろげであることを慈しんでいる。
「アホのチャンピオン」
あなたはゆっちゃんにそう言ったと言うと、林先生は、小首を曲げた。キュートと形容してもいいほどに無邪気に。
日焼けではなく生来的に浅黒い、油膜が薄く張ったような肌。白目の割合が多い、脂肪を溜めた厚ぼったい一重瞼の、細い目。
かつては凶器の怖さに俯き俯き見ていた林先生の顔を、何十年もたって真正面から凝視した。
「あっ」
私は初めて気づいた。
波野くんも、2着の女子生徒も、林先生と同じ系統の顔だ。
似ているというのではない。肌質、眼球の白目の配分、歯並び、歯を支える顎の骨の、喉に向かう角度などが、みな共通しているのだ。
比して、ノートを一番に出した卓球部男子、「抽出したサンプル」にされた生徒たち、そしてゆっちゃんは、林先生とは正反対の系統の顔だちである。
「この人は……」
目の前にいるにもかかわらず、林先生は「この人」という離れたところに行った。
ああ、この人は、自分が大好きなのだ。
無知で無力な思春期を後にして、多くの人は自らの無知と無力を知り、その内省を映すように、自分とは違う系統の顔に惹かれるものである。
しかし林先生はそうではなかった。
自分が好きなのだ。自分が許せるのだ。
だからこそ、教頭になる前は、学校でいつも不満だったのだろう。
自己評価が聳えるように高いがゆえに、自分がいる位置は自分にふさわしくないと不満だったのだろう。なぜみんなはおれをもっと讃えないのかと、いつもいつも不満だったのだろう。だから自分に似た系統の顔の生徒を、取り乱すように依怙贔屓した。だから自分と反対の系統の顔をした生徒たちを不満の捌け口で辱めた。
見たくなかったのだ。自分が自分を評価するほどには他人は自分を評価していないと教えてくる、いや、教えてくるように見える顔を。
何十年と埋み、昨夜には大きく上った怒りの火柱は、この人を真ん前にした今、錐のように固まってしまった。
ゆっちゃんにしたことは、なおも許せない。だが感情の錐では刺せない。実体の錐でも刺せない。どれほど怒りをぶつけたとしても、この人は、悪いのはゆっちゃんという他者であり、ぜったいに自分ではないと結着させるだろう。
「失礼します」
わけのわからない訪問だったろうことを、私は冷たく詫びた。
「納得してくれはったんなら、こっちもよかったわ」
林先生は歯を見せた。揃った白い入れ歯になっていた。
私は踵を返した。
(了)
