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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

978-4-08-771109-7

腐れ梅

著:澤田 瞳子

発売日:2017.07.05
定価:1,700円(本体)+税

【著者インタビュー】泥臭く生き抜く人間が書きたかった――。

 色を売って暮らす似非巫女の綾児は、同じような境遇の巫女・阿鳥から、ある策謀に誘われる。四十年ほど前に非業の死を遂げた菅原道真の祟りを利用して、社を建てて祀り、金儲けをしようと言うのだ。やがて、道真の孫だという男や、彼の学友とも手を組むことに。それぞれが己の欲望を叶えるべく奔走するが……。
 デビュー以来、緻密で情感豊かな物語を紡がれてきた澤田さんが今回、平安時代を舞台に描いたのは、生々しい人間の姿そのものでした。そこから見えてくる、際限のない欲望と時代の有り様。必読の傑作歴史長編です。


――裏切りと愛憎、金と地位、男と女……これまでの作品のイメージを大胆に塗り替えるような物語になりました。二〇一四年刊行の『泣くな道真 大宰府の詩』(集英社文庫)では、生前の道真の姿を描かれていましたが、それが今回の作品を書くきっかけにもなったのでしょうか。
澤田 そうですね。道真が亡くなってから祀られるようになるまでに、数十年、間が空いているのですが、『泣くな道真』を書いたあと、それだけの時間がたってから、彼がなぜ、どのようにして祀られるようになったのか考えていて。それを宗教的なこととしてではなく、人間ドラマとして書いたらおもしろいんじゃないかなと思ったのが最初でした。
――登場人物全員が非常に強烈でした。これまでも、時代を超えて心を通わせることのできる、人間味あふれる人々が登場するのが澤田さんの小説の魅力でもありましたが、今回は「ここまでやったか!」と。
澤田 これまでと方向性が違いますよね。良い人がひとりもいない(笑)。でも、それぞれの登場人物にも少しずつ弱いところがあって、それが私にはかわいく思えたんです。登場人物があそこまで勝手に走り出して好き放題やってくれることはそうそうない。これだけキャラクターの感情に近接して書いた小説は初めてでした。
――主人公の綾児は、美人で淫乱、己の欲望に忠実で、非常に動物的な存在でもあります。
澤田 私、実は女性を描くのが苦手で、女性が主人公の作品のほうが少ないんです。でも、綾児はすごく書きやすかった。彼女には弱いところもたくさんあるけれど、ある意味図太いので、何をやってもへこたれない人。女性を主人公にした作品だと「京都鷹ヶ峰御薬園日録」シリーズがあるのですが、あの理知的な主人公に比べると、私自身は実は綾児寄りの人間なのかなと書きながら考えさせられました。
――綾児のあの強さは、時代特有のものでもあるのでしょうか。
澤田 あの時代において「死ぬこと」は日常であって、そういう意味で、死をそれほど恐れないし、財産もあまりないから、失敗も恐れない。そういう強さの感覚は、現代に生きる我々にはわかりづらいところかもしれません。
――綾児に儲け話をもちかけ、パートナーになる阿鳥は、頭がきれ、〈不細工な癖に上客の多い〉巫女で、綾児とは対照的な人物です。
澤田 阿鳥はとてもいびつな人です。友達になるなら絶対、綾児のほうがいい(笑)。綾児一人で道真を祀る企てを実行してしまうと、なんでもできるパーフェクトな人間になってしまうと思ったので、阿鳥に理知的な部分を担ってもらいました。
――この二人と手を組む、道真の孫・文時と、その学友である最鎮も、一筋縄ではいかない人たちです。
澤田 最鎮のように、コンプレックスの固まりみたいな人間は好きです(笑)。最鎮と綾児は、ある意味似た者同士みたいなところがあって、出会い方が違っていたら、結構仲よくなれたかもしれません。
――綾児たちは各々が抱える「欲望」を実現するためだけに結びついた関係だと思うのですが、「欲望」と一口に言っても、その根源も、発露の仕方も、それぞれ異なります。
澤田 綾児は欲のままにがっと走り出してしまうタイプ。阿鳥は逆に、執念深く耐えるタイプです。欲望は、生き方のあらわれでもあるのかもしれませんね。
――まさに、四人の生きざまを描いた物語でもありますよね。
澤田 もともと、たくましく生きる人たち、民間の人々の話を書きたかったんです。それで今回の話をどういう視点で書くか考えたとき、政治的なものではなくて、もっと泥臭い市井の人たちの話として書こうと思いました。映画『シカゴ』のように、犯罪とか、人間のダークな部分に手を染めてでも生き抜いていく人々が書きたかった。でも、でき上がってみると、時代が移り変わる権力闘争の物語になっていたことに気づきました。
――最初からそこを目指していたわけではなかったのですね。
澤田 今回は人間を書くことを命題にしていたんです。政治的な事象には触れずに、人間一人一人を書いて、あくまで人の欲望で物語を進めて。でも、最終的には時代背景─あの時代の権力闘争のことまで書くことができたかなと。今までの私の作品だと、時代が移り変わるということを、もう少し物語の前面に出していたと思う。古代から中世への変遷という歴史の流れを認識している立場、武士や貴族階級の話になるような。でも今回は、そういったことをあまり認識していない一般人たちが、時代の変化に無自覚に流されていく物語になっていきました。たとえば巫女である綾児は、当時増えていた田堵や富農層の人々と結びついていくのですが、綾児自身はそれが何を意味するのか理解していません。けれど歴史的なことを知っている我々から見ると、それが中世の胎動の一つであるとわかる。
――この物語の時代は九〇〇年代。平安後期、古代の終わりです。
澤田 平安後期は、十二単が象徴するような、きらびやかなイメージが先走っていますが、民間レベルでは、地方と中央のひずみが生じていて、過去の様々な矛盾が一気に噴き出してくる、すごくおもしろい時代なんです。平安という時代の多面性が、この作品を通じて伝わるといいなと思います。
――貴族たちのやんごとなき世界の裏側にある庶民の暮らしを知ると、この時代が大分違って見えてきます。
澤田 そうなんですよ。人がごろごろ道端で死んでいるような現実があって、中世になだれ込んでいくんです。このあたりの時代を書こうとすると、どうしても武士の台頭の話になりますが、そうではなくて、日常レベルで起きていた様々なことをクローズアップしたかった。例えば地域の律令制に背いて土地を開墾したり、末端の役人たちが勝手に自分で稼ぎに出て行ってしまったり。また、それ以前の神社というのは、ちゃんと朝廷の許可を得て作られる由緒正しいものだったのですが、綾児たちが自分たちで社を建てたように、民間の神社もぽこぽこと出てきて、信心を集めてゆく。やがてそういった神社が大きくなっていって、天皇からも寄進を受けたりするようになる。そういうふうに、身分の垣根が低くなり、どんどん混じり合っていったんです。
――今作はまさに、その時代の変化が、上からの視点ではなく、下からの目線、庶民の目線で自然と浮かび上がってきます。
澤田 この時代をありのまま描写しようと思うと、履物も履いていないし、泥まみれで、ずぶ濡れで、町なかもすごく臭かったり、となると思います。でも、きらびやかな貴族の世界を舞台にすると、なかなかそれを書けません。ところが『腐れ梅』は違った。これまでだったら、小説として書く上でフィルターをかけなきゃいけなかったところをばっと取っ払って、その時代の空気をそのまま書くことができました。
――匂いや音までダイレクトに伝わってきて、五感がフルに働くような読書体験でした。
澤田 刺激的な作品が書きたかったんです。思う存分書けて、楽しかったですね。
――この先はどんな物語を書いていきたいとお考えですか。
澤田 民衆を描くことが、今の私のテーマかなと思っています。政治的な話ではなくて、そういったところから一見離れて生きている人たちにこれからも焦点を当てていきたい。泥臭い話をもっと書きたいんです。歴史のリアリティってそこだと思うから。

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