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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

絶声

著:下村敦史

発売日:2019.08.05
定価:1,600円(本体)+税

壮絶な駆け引きを描く遺産相続ミステリー

舞台は「昭和の大物相場師」と呼ばれた大富豪、堂島太平の屋敷。大崎正好と堂島美智香の異母姉弟は、父親が「死亡する」時を今か今かと待ちわびていた。癌と認知症を患って自宅療養していた太平は、七年前、忽然と姿を消している。その失踪が間もなく家庭裁判所によって認められるのである。
そこに長兄の貴彦が血相を変えて飛びこんでくる。長年放置されていた太平のブログが、本人名義で更新されているというのだ。記事のタイトルは「私はまだ生きている」。何者かのなりすましか、それとも太平はどこかで生きているのか。三等分しても数億円という巨額の遺産をめぐり、壮絶な駆け引きが始まった――。
重厚な現代ミステリーで知られる下村敦史の新作『絶声』は、ブラックな味わいのある遺産相続ミステリーである。大立者の死によって骨肉の相続争いが巻きおこる、というのはミステリーではすっかりお馴染みの筋立てだが、そこに「失踪宣告」という法制度を取り入れたのが本書の新しさであり、最大のセールスポイントにもなっている。
生死不明のまま七年以上が経過し、裁判所によって失踪が宣告されると、法的には死亡と同じ扱いになる。しかしブログの更新がそれに歯止めをかけた。サスペンスとは本来「吊す」という意味だが、生きているか死んでいるか分からない太平の存在は、文字どおり遺産相続を宙吊りにして、緊張感のあるドラマを生み出してゆくのだ。
十年前、太平の後妻だった母親とともに屋敷を追い出されて辛酸をなめた正好、事業で多額の損失を出した貴彦と美智香。それぞれに事情を抱えた三人の親不孝者が演じる、狐と狸の化かし合い。欲をむき出しにしたその姿から、なぜだか目が離せない。そんな中でもブログは定期的に更新されてゆく。その記述から浮かんでくる「A子」という謎の女性の存在。果たしてその正体は? 異様なムードに満ちたプロローグから、正好が堂島家に一矢報いようと計略をめぐらせる中盤、ブログに込められた真意が明らかになるクライマックスまで、読者の興味を一瞬もそらさない構成が見事だ。悪くない読後感も含め、よくできた舞台劇を鑑賞しているような、良質のエンターテインメントである。
ここ最近、呉勝浩、佐藤究など江戸川乱歩賞出身の若手ミステリー作家の活躍がめざましい。『黙過』『刑事の慟哭』などの話題作をハイペースで刊行し続ける下村敦史は、その急先鋒だろう。欲に駆られた者たちの悲劇・喜劇を、スマートなタッチで描ききった『絶声』は、著者の作風の多彩さをあらためて示す快作だ。こんなものも書けるのか、と嬉しくなってしまった。

Writing

朝宮 運河(あさみや・うんが)

'77年北海道生まれ。ホラーや怪談・幻想小説を中心に、本の情報誌『ダ・ヴィンチ』や怪談専門誌『幽』などに書評・ブックガイドなどを執筆。

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