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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

終の盟約

著:楡周平

発売日:2020.2.5
定価:2,000円(本体)+税

巧みな物語で安楽死について考えさせる

 エンターテインメントから経済小説まで、様々なタイプの作品を世に送り続けてきた楡周平が、新作『終の盟約』で注目したのは、“人の命”である。“どう死んでいくか”といってもいいかもしれない。そうした万人に響く題材を、著者はいくつもの視点を用いて、本書で丁寧に語ったのである。
 中心に据えたのは、具体的には認知症だ。認知症を患うことで、人が変わってしまう。本書であれば、温厚で洒落者、そして絵が得意な医師として知られていた藤枝久が、この病気によって服装に無頓着になり、それどころか嫁の入浴姿を覗き、さらにその裸を夥しい数のカンバスに描くようにさえなってしまうのだ。八十年以上もかけて培ってきた人格が、脃くも崩壊してしまうのである。その心の崩壊のスピードに較べ、身体が蝕まれていくスピードは遅い。結果として、心が壊れたままの状態で、認知症患者は生き続けるのである。ガンのように余命宣告があるわけでもなく、いつまで続くともしれない介護の日々に家族を巻き込みながら……。
 楡周平は、その家族を丹念に描いていく。久の長男で、医師として経済的にも成功している輝彦。その弟で、弁護士として活躍しつつも、カネ目当ての仕事はやらない主義を貫き、結果として経済的にゆとりのない真也。この二人の息子たちと、それぞれの妻の心が、介護の当事者となることでどう変化するのか(変化しないのか)を、それぞれの視点を通じ、読者は知っていくことになるのだ。おそらく誰かの心に自分を重ねながら。
 本書では、結果的に久の家族は長期にわたる介護生活を送らずに済んでいる。久が介護施設に入って程なく亡くなったからだ。だが、それですべてが丸く収まるわけではない。次は相続だ。自分が認知症になる可能性を意識し、さらには介護の現実を強く認識したが故に、金銭に敏感になる者も出てくる。それがまた家族に波乱をもたらすのだ。兄弟の経済格差、さらには嫁という“外部”の存在を活かして、楡周平はそれぞれの想いの違いを浮き彫りにしていく。実にくっきりと。
 さらに本書にはミステリ的な要素も加味されている。久の死そのものにも、疑惑や欲望、あるいは陰謀が絡みついてくるのだ。これもまた作品に緊張感をもたらす。
 そうした巧みに造られた物語を読みながら、読者は、認知症や介護の現実を深く知り、さらには尊厳死や安楽死について考えさせられ、自分や家族のこれからを見つめ直すことになる。そんな小説だけに、結末において一つの試練を乗り越えた登場人物たちの姿を見届けてなお、彼等が今後どう生きていくか知りたいと強く感じた。それほどに自分を重ねて読ませる小説なのである。

Writing

村上貴史(むらかみ・たかし)
'64年東京都生まれ。書評家。編著に『葛藤する刑事たち 傑作警察小説アンソロジー』などがある。

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