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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

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生成不純文学

著:木下古栗

発売日:2017.02.24
定価:1,500円(本体)+税

空振りに見えるが本当は特大アーチだ

 ついに文学の正体見たり。
 思えば長い道のりだった。戦後派が体験と妄想をブレンドした「状況証拠」と「自白」でかたどろうとして逃し、第三の新人がフェイントをかけて捕獲しようとしたが失敗し、内向の世代が言葉を尽くして説得したのに逃げられ、ポストモダン文学がゲームで完敗し続けたあの文学が、歴代の文学者が想像力の限りを尽くして探求してきた文学の正体が、下ネタばかりを書いていると言われるマニアックな現代作家のもっとも新しい一冊の中で書かれてしまった。なんとあっけない幕切れだったろう。
 とにかく粒ぞろい。巻頭作は、宇宙→オフィスビル→ベンチ→ベンチの裏に貼り付けられたノート→野糞という具合に、高いところから低いところへ、大きなものから小さきものへと読者の視界を見事に導き、しかもその小さなものが大便=「野糞」という無視できぬものであるという逆転の発想による秀作。野糞に色彩を持ち込むことで「虹」をかけようとする、大地と天空に跨る壮大な話である。続く二作目は有名脳科学者に名前だけなんとなく似てる人物による言論活動に焦点を当てる。次第に寒気がしてくるほど、この人物の胡散臭さ、薄っぺらさ、律儀さは、文学作品を読む我々そのものの姿といかに似ていることか。読者の肖像ともいうべき佳品。続く三作目は、内容はほぼゴミについてだが、単なるゴミではなくリサイクルゴミとその捨て方の逡巡の話である。終わらなさ、永遠に繰り返される気配と不意の中断は、ほとんど著者の小説のドヤ顔というべき名品。最後を飾る表題作は著者一流の文章術が光る傑作だ。この作品で著者がやってのけたのは、文学の生け捕り。この時代、文学も弱っているのだろうか、あっさり著者の素手に捕らえられてしまう。そして著者はそこに止まらなかった。地に足をつけぬ、重力とは無縁の筆力で、はるか彼方の宇宙空間へと特大アーチを放ったのだ、文学を葬るために、歴代文学者の幽霊と共に。


(初出:「青春と読書」2017年3月号)

Writing

福永信(ふくなが しん)

'72年東京生まれ。'98年「読み終えて」で第1回ストリートノベル大賞を受賞してデビュー。著書に『コップとコッペパンとペン』、『一一一一一』、『三姉妹とその友達』などがある。

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