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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

火影に咲く

著:木内 昇

発売日:2018.06.26
定価:1,600円(本体)+税

歴史の陰に咲く、私人としての思い。

 坂本龍馬や西郷隆盛などの超有名人なら、彼らの生涯を追った作品は幾つも存在し、多面的にその人物を摑むことができる。翻っていわゆる〈脇役〉は、何か印象的な一面でのみ要約されることが多い。
 たとえば吉田稔麿は、〈松下村塾出身で、池田屋事件で新選組に殺されたひとり〉だ。あるいは中村半次郎なら、〈人斬り〉の三文字でまとめられてしまう。
 それは間違いではない。だが─当たり前のことだが、すべての人物に背景があり感情があり、その日その場面に至るまでの歴史があり、そして、私人としての思いがある。
 木内昇『火影に咲く』は幕末の動乱を駆け抜けた〈脇役〉を中心に、そのささやかにして激しい、きらめくような〈私〉の日々と思いを描いた短編集だ。
「徒花」は坂本龍馬の護衛を命じられた土佐藩士・岡本健三郎の物語である。自分と龍馬のスケールの違いを思い知らされる健三郎。劣等感を刺激される相手の側に、四六時中控えていなければならない懊悩。
 前述の吉田稔麿を主人公にしたのが「薄ら陽」だ。冷静に時流を見ていた彼は、暴走する志士たちに不安を覚える。だがその冷静さのせいで逆に周囲から浮いてしまい……。
「光華」は薩摩の人斬りと恐れられた中村半次郎。半次郎との写真を大切に持ち続けている女性がいたという史料から、その背後にあったかもしれない純朴な恋物語を創造した。同様に、現存する〈沖田氏縁者〉の墓からその由来を物語に仕立てたのが、労咳罹患後の沖田総司を描く「吞龍」だ。
 中でも女性を主人公にした二編が印象的。「紅蘭」は漢詩人の張紅蘭が主人公で、勤王派とされた夫・梁川星巌の没後に幕府方に捕縛される。妻なら知っているだろうと詰め寄られ「私は、ただの妻なぞではない。梁川星巌の高弟であるっ」と叫ぶ誇りの一方で、夫のことを知らなかったという妻としての悔しさも感じるという複雑な思い。
 勤皇芸妓・君尾を描く「春疾風」からは、この時代の才女の姿が立ちのぼる。「女がみな、惚れたはれただけで生きとる思たら、大間違いどすえ」という啖呵には痺れた。
 以上六編、立場の違う男女の物語だが、「吞龍」以外は皆、主人公の恋が登場することに注目願いたい。木内昇が彼らの〈恋〉を描いたのは、志士や人斬りや詩人や芸妓という要約で括られがちな彼らにも、〈私〉があったのだという証左だ。いくつもの〈私〉がそれぞれに考え、感じ、悩み、そして集まって時代を動かした、それが歴史なのである。
 彼らの〈私〉をじっくり味わってほしい。歴史の陰に咲く生身の彼らが浮かび上がるはずだ。現代の我々と変わらない、その姿が。

Writing

大矢 博子(おおや・ひろこ)

書評家。著書に『女子ミステリーマストリード100』『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』など。

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