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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

母のあしおと

著:神田 茜

発売日:2018.08.24
定価:1,500円(本体)+税

母という寄る辺なさ

「母」という存在は、何かを得ることもあれば、何かを失うこともある。それらの正体が何なのか、結局のところ誰にも見えてはいない。当の本人の「母」でさえ。
 連作短編集『母のあしおと』を読みながら去来したのは、そのような思いだった。ともすると「母」は揺らぎのないものとして扱われがちだが、本書に描かれる「母 道子」の輪郭はうっすらと滲みをまとう。水をふくんだ水彩絵の具を画用紙に滑らせた淡さに似て、「母 道子」はどこか心許なく、寄る辺ない。
 その心許なさはまず、異なる人物の視線、違う時代背景によって七編それぞれが描かれることによる。視線の遠近、強弱、濃淡がぎゃくに「母 道子」の人物像に揺れを生じさせ、一編ずつ時代が遡るにつれ、道子から「母」がしだいに遠ざかってゆく。
 冒頭「はちみつ 平成二十六年」は、道子の死後三年半から始まる。妻に先立たれた独り暮らしの夫は、自家製のはちみつを通じて同じ境遇のはる子さんと会話を交わすようになり、心を許し合う。しかし、温もりの共有は、決して死者を冒瀆するものでもない。生きる者はこうして柔らかく滲みながらも生の時間を繫げてゆくほかないのだから、それもまた道子の”あしおと”の一部なのだろう。
「もち 平成二十三年」で吐露されるのは、葬儀のさい、次男の悟志が覚えた亡き母への思慕。しかし、「ははぎつね 平成八年」では、長男啓太の結婚相手がいずれ義母となる道子に、嫌悪じみた違和感を抱くようすが描かれる。家族という人間同士の距離の近さは、お互いの足をすくい、小さなささくれやズレを増幅させるものらしい。時間が遡るにつれ、しだいに色濃くなってゆく軋み、どうしようもなさ。祖母と母との関係に潜む齟齬に、幼い啓太と悟志が気づく「クリームシチュー 昭和六十一年」。親戚のフミちゃんと道子の夫、和夫との悪気のない秘事「なつのかげ 昭和四十九年」。嫁入り前夜、家族の人間模様のなかで道子の機微を描く「おきび 昭和四十二年」。そして終章「まど 昭和二十八年」では、道子は遠い病院に入ったままの母に会おうと山を越えて慕い歩く、いたいけなおかっぱ頭の少女である。
 ひとりの母の足跡をたどり直せば、歳月の波間に沈みこんでいた塵芥もいやおうなしに浮かび上がってくる。しかし、塵芥を払ったその向こう、寄る辺なさとともに立ちすくむひとりの少女みっちゃんと出会うとき、「母」のみなもとに指が触れた思いを抱くのである。

Writing

平松 洋子(ひらまつ・ようこ)

'58年岡山県生まれ。エッセイスト。'06年『買えない味』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を、'12年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞を受賞。

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