
深夜ラジオと文学をつなぐナンセンス
短いもので4ページ、だいたい7、8ページ、最後の「幻の淑女」だけ少し長くて26ページだが、それ以外は長くても11ページ。
木下古栗の新刊『人間界の諸相』は、川端康成がいうところの掌の小説を集めた一冊。突然の断片が14編。ガンガン読むがいい。ガンガン読んで14回交通事故にあうような衝撃を受けて、脳を揺さぶるエンタテインメント作品として楽しむがいい。だが、無軌道さと奇天烈さがストイックな規律によって貫かれているために、巨大な曼荼羅をくぐり抜けたひとつの体験として読後感がずっしりと残る。そういった小説だ。
登場する人物は、行動の理由を語らない。内心を述べない。身近な関係性を持ち出さない。行動し、行動が即座に描かれ、「なぜそうした」「どういう気持だ」という読者のツッコミを無視して走り抜ける。文字通り「わけがわからない」のだが、それこそが貴重な、いま他では読めない文章として迫ってくる。
菱野時江は“今から行く店に電話で爆破予告をして幾度かの出禁になり、行くところが急遽なくなっ”たり、“ワンピースのドレスにボレロを羽織”って行くところがカフェ・ベローチェだったり、ベローチェで会うのがバラク元大統領だったりする。登場人物の多くが全裸もしくは全裸以上にヤバイ格好だが、なぜその姿なのか説明はない。
ナンセンスである。ナンセンスでありながら、長年つちかった暗黙のルールが潜む実験リポートにも似た精緻な文章で語られる。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」で隆起し「電気グルーヴのオールナイトニッポン」(たとえば“エプロン姿のプレハブ校長の写真と竹馬を頭に乗せた全裸OLのペナントを交換希望”みたいな)で炸裂、「バカサイ」や「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」に受け継がれていく深夜ラジオ投稿ハガキネタのナンセンス的起爆力を想起させる。それは、たとえば文学の世界では中原昌也やウラジミル・ソローキンなどの試みの地平に漸近する馬鹿馬鹿しさだ。
筒井康隆は「あなたも流行作家になれる」のなかで、“小説のぶっかきかたをオナニーのぶっかきかたにあてはめればわかりやすいわけである”と言い出し、オナニーの相手が、いわば小説のテーマに相当するとして、“会社のタイピストや社長秘書を想像してやればサラリーマン小説になるし(…)宇宙人とやればSFになる”と説明する。
この伝でいけば、『人間界の諸相』は、オナニーの相手が言語そのものであるのか、オナニーの相手がオナニーであるのか、どちらにせよ尋常ではない巨大なナニモノかの出現を想像せざるをえない。
地球の危機である。
Writing
米光 一成(よねみつ・かずなり)
'64年広島県生まれ。ゲーム作家・ライター。代表作「ぷよぷよ」「BAROQUE」「想像と言葉」「はぁって言うゲーム」等。著作『自分だけにしか思いつかないアイデアを見つける方法』『思考ツールとしてのタロット』等。
