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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

トラッシュ

著:増島拓哉

発売日:2021.6.25
定価:1,980円(税込)

希死念慮の下で蠢くもの

「滞在はみかじめにお願いします」
 ──ん?
「滞在はみじかめにお願いします」
 増島さんのデビュー作『闇夜の底で踊れ』を読み終えた日、足を運んだ図書館でコロナに関する掲示を二度見した。みかじめ。極道の言葉。あー、染まってるな、と心の中で小さく笑った。頭がまだ小説世界にどっぷりと浸かっていたのだった。
 検品のバイトとパチンコで食いつなぐ三十五歳、伊達雅樹が主人公の『闇夜の底で踊れ』は、伊達の一人称で語られるパートと、大阪の暴力団の若頭、山本に焦点を当てた三人称のパートで構成されたノワールだ。風俗の女性に入れあげ闇金に手を出した伊達が、かつての兄貴分の山本と再会し、元居た場所に引き戻されてしまうところから物語が動き出す。ドライブ感たっぷりの大阪弁の会話が裏社会の生臭さと酷薄さを映し出し、山本に汚れ仕事を押し付けられる伊達がどんな選択をするのか、最後まで緊張が途切れない。なんと言っても、伊達の、人生に対する諦念から生まれるぞんざいさを徹底して描いた筆力に圧倒された。
『闇夜の…』のラスト、パチンコ仲間の平田という老人が伊達にこう尋ねる場面がある。
「何のために生きてんねん? 伊達ちゃんの生きる意味は?」
 伊達はこう答える。「意味なんてあるかい。まだ死んでへんから生きてるだけや、あほんだら」
 この一行が、今作『トラッシュ』に鮮やかに接続している。主人公はまさに「死ななかったから生きている」若者たちなのだ。
 自殺志願者が集うクローズドの掲示板を通じて知り合った、浅野、川原、林田、藤原、南、そして女子の佐藤の六人。全員二十歳以下の彼らは、初めてチャットをした日から一週間後に、大阪府内の廃ビルで集団服毒自殺を図る。けれど、死ねなかった。藤原が闇サイトで手に入れた薬が偽物だったのだ。死に損なった彼らは「やり残したことを協力してやる」「法律も常識も道徳も無視して、ド派手な死を迎えるまで突き進む」ことを誓い合う。
 各章はそれぞれの一人称で書かれている。浅野が語る第一章、彼らは威勢よくヤクの売人狩りをしている。覚醒剤で兄を喪った南が言い出したことだったが、卸元のヤクザに目を付けられてしまう。びびらず、逆に奴らに一泡吹かせようと六人はある計画を立てる。しかし相手は流石に上手だった。捕らえられた浅野と南、林田は執拗に痛めつけられ、仲間を「売る」よう仕向けられるが、拷問を受けても誰もお互いを裏切らなかった。いつの間にか醸成されていた信頼に、浅野は胸を熱くする。
〈死ぬことについては、もう考えない〉
〈好き勝手に精一杯生きてやる〉
 浅野の決意で締めくくられる第一章に続いて、同性愛者の川原の語りで綴られる第二章で六人が企てるのは、LGBTを侮辱する団体に対するテロだ。ペットボトルとドライアイスで簡易爆弾を作り、ラジコンに装備する。解散を要求する脅迫状を送り、チャット空間の名前である「BLOODY SNOW」をチーム名と決め、準備を進める。そして決行の日がやって来て─。
 出会うはずのなかった、死んでいたはずの者たちが再生し団結し、奇妙な世直し隊となって差別や理不尽の根源を制裁する。仲間内の人間模様を交えて、そんな物語が展開されるのだろう。もしかしたら、彼らが生きる意味を見出す青春ものなのかもしれない……この第二章まではそう思っていた。
 甘かった。
 死にたいという願望の下で蠢くもの。当然だがそれはひとりひとり違う。死を希求するという一点だけでつながれるほど、人は分かりやすくはない。内心のズレが大きくなるのと同じ速度で、私怨と混ざり合った個々の論理が肥大化し、やがてある人物の思惑が浮かびあがってくる段になって、読者は巧妙に蒔かれていた不穏の種がいくつも発芽していることに気付く。黒い花の蕾が開くように「友情」の正体が明らかになっていく。第五章、六章と進むページをめくる指が湿る。紙が波打つ。心が受けている衝撃が目の前に見える。
 辿り着いた最終章には息をのまずにはいられなかった。そして怯んだ。共感。救い。赦し。それだけが小説の力じゃないだろう? と堂々と言い切られ、読者はもう立ち尽くすしかない。最終章と第一章は実に巧みに呼応しているのだが、第一章を読んでいたときの自分がとても遠くに感じられて恐ろしくなった。ここに書かれているのは、わたしたちが「こうあってほしい」と無責任に期待する人間の姿ではない。だからこそ真実なのだ、という事実を突き付けられてしまったからだ。
 いかようにでも扱える、扱われる生と死に、価値はあるか。正義とは何か。トラッシュ=屑とは誰なのか。ストーリーに攫われる快感を味わいながら、読者は幾度も自問するだろう。安易な答えを用意しないのは著者の、読者への信頼の証だ。その姿勢と自信に心からの拍手を送りたい。

Writing

北村浩子(きたむら・ひろこ)
ライター、フリーアナウンサー、日本語教師。1966年、東京都生まれ。エンタメ、S F、ファンタジーなどを中心に、幅広いジャンルの書評を手がける。

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