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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

やめるときも、すこやかなるときも

著:窪 美澄

発売日:2017.03.24
定価:1,600円(本体)+税

いつでも誰かのことを

 二月某日、午前十時半の成田空港発クアラルンプール行き。マレーシアのランカウイという島に一週間弱の滞在をするための手荷物へ、製本前の小説をしっかりとしのばせた。一刻もはやく読みたかったから。
 離陸して、しばらく眠ろうとシートを倒すも、冒頭だけでもと読みはじめたら、夢中になって一気に読了した。そのまま飛行機は着陸した。機内でいくらか休んだほうが良かったのだろう。でも、一読者として惹かれてやまなかった。登場人物がわたしであると錯覚してしまうくらい。展開に胸を痛ませて、ページをめくる手が止まらなかった。
 私事で恐縮だけれど、大学卒業と同時に結婚し、二年ほどで離婚した。若かったのだろう。結婚イコール安定と考えていた節もあったのかもしれない。離婚に至った厳密な理由は述べないが、かいつまんで説明すると詩人を続けたかったから。書くことをやめたくなかったからだ。作家としてまだまだ仕事が少なかった頃。ひとりで四畳半の風呂無しアパートに住み、書くことでなんとか生きていこうと決心した夜。人はいつでもひとりであると実感した。同時に、自分をきちんと愛さなければならないと思った。
 本書において秀逸なのは、まずはタイトルだ。やめるときも、すこやかなるときも。結婚式の誓いの言葉。わたしたちは生きているので、病める時も健やかなる時もある。それを前提として誰かに寄り添うはずなのに、容易ではない。汝、隣人を愛せよと言われても、感情に遮られて、なかなか素直になれない。
 本作の主人公である家具職人の壱晴は、大事な人を亡くした過去を持ち、そのために声が出なくなってしまう時期がある。もうひとりの主人公・桜子は三十二歳になっても処女のままで恋人がおらず、事情を抱える実家に住み、仕事をこなす日々を送る。不器用で生々しい傷を持つふたり。しかし出会ったことにより、距離を縮めていきながら、現在に対峙しようとする。もちろん一筋縄ではいかなくて、読んでいて心を乱されそうになるのだが、壱晴と桜子、それぞれの視点から物語が描かれているから、読者もまた登場人物のひとりになって、日々について思案するだろう。人はひとりでは生きていない。
 喜びの時も、悲しみの時も。あらゆる登場人物が愛おしく、たどたどしい月日を送る。これって、全ての人々の姿でもある。わたしたちは隣人を愛する前に、自分自身を愛さねばならない。そうしなければ他者も日常も大切にできない。
 最後のページを閉じて、目を瞑る。離婚した当時は、ひとりきりで生きていこうと考えていたはずなのに。今では、いつでも誰かのことを想っている。
 やめるときも、すこやかなるときも、わたしたちには寄り添いたい誰かがいて、自ら必要とされたがっている。

Writing

三角みづ紀(みすみ・みづき)

'81年鹿児島県生まれ。詩人。第1詩集『オウバアキル』で第10回中原中也賞を、第2詩集『カナシヤル』で第18回歴程新鋭賞、'06年度南日本文学賞を受賞。第5詩集『隣人のいない部屋』で第22回萩原朔太郎賞を最年少受賞。最新刊は『よいひかり』。

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