close

物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

人間界の諸相 木下古栗 掌編連載

アメトーク読書芸人で取り上げられ注目を集める木下古栗。
ナンセンスの極北を描く鬼才による初の掌編連載。(ときどきエッセイも公開。)

次回は5月17日(水)に掌編を更新予定です!

DREAM ON

 カリスマ全裸公然わいせつナンパ師、早乙女アキラは股間にフェイクペニスの揺れるレザービキニのみを身につけ、柔らかなスポットライトに照らされた舞台にごく自然な歩みで登場した。薄暗い客席から控えめな拍手が起こり、早乙女の背後の、早乙女の巨大化した影のかぶさった大きなスクリーンに「DREAM ON」という毛筆フォントの文字が浮かび上がる。早乙女がヘッドセットのマイクの位置を調節するうちに、ぱちぱち鳴っていた拍手が疎らになり完全におさまって、聴衆がしんと静まり返った。早乙女は小さく咳払いをした。
「皆さんこんにちは、カリスマ全裸公然わいせつナンパ師の早乙女アキラと申します。とはいえ、私も基本的には捕まりたくないため、こんな格好で妥協しております」
 早乙女は落ち着いた物腰で淀みなく語り始めながら、全長三十五センチほどのフェイクペニスの根元に手をやり、それをかるく振り上げてみせた。柔軟にしなう素材のそれはレザービキニの股間に備え付けの金属製の輪っかに、さらに取り付けられたキーホルダー風の造りで、亀頭部分だけが丸ごとLEDになっており、ある種の警告を発するような真っ赤な光を常時放っていた。
「今日、皆さんに一緒に考えていただきたいのは、どうやったら男が女子会に参加できるかということです。まず手始めとして簡単に、一般に女子会というものを定義してみましょう。それはおそらく、複数の女性参加者だけで催される飲み会や食事会、といったところではないでしょうか。もちろん食事会と言っても、それはスイーツなどだけの軽食も含みますし、単に飲み食いするばかりでなく、おそらくはお喋りも欠かせない要素としてそこに入ってくると思います。何も喋らずに飲み食いしているだけなら、赤の他人同士の相席とあまり変わりませんし、女はお喋りが大好きという通説もあります。もちろん酷く無口な女性もいますが……」
 早乙女がそこで肩越しに背後を手で示すと、そちらのスクリーンに「無口な女もいる」という毛筆フォントの文字とともに、いかにも無口そうな仏頂面の若い女の写真が映し出された。
mukuti04_CL
「複数の女性参加者、という点に関して、細かく異議を差し挟む方もいらっしゃるかもしれません。というのも二人だけならそれは会とは言えないのではないか、三人以上と定義すべきでは、という意見も一方にはあるでしょうし、また一方には、一人ぼっちの誕生日会などを催された経験がおありの方もいらっしゃるかもしれないからです。会というものは何人から会と呼べるのか、ということです。しかしそれは今の場合、些末な問題ですから、脇に置いて先に進みましょう」
 早乙女は「三人」「一人ぼっち」といった言葉に合わせて、指を三本立てたり一本だけ立てたりして、さらに「脇に置いて先に進みましょう」と言うのに合わせて、見えない何かを脇に置き、進むべき前方を軽やかに指さすような仕草をした。
「さてそこで本題に入りますと、男が女子会に参加するというのは、土台不可能なことに思えます。先の定義によれば女子会とは女性参加者のみの飲み会や食事会のことですから、男が参加した時点で、それは女子会ではなくなってしまうからです。ここで女子会にどうしても参加したい男が取るべきアプローチは、現在のところ、大きく分けて二つ考えられています。一つは身体的、外面的なアプローチ、もう一つは心的、内面的なアプローチです」
 早乙女は前者に合わせて自身の外面を両手でかるく撫でるような仕草をみせ、後者に合わせて自身の胸にぽんと手を当ててみせた。そこに人間の心があるとでも言うように。
「身体的、外面的なアプローチとは具体的に言えば、化粧や女装、肌の手入れや無駄毛の処理、あるいはトリートメントをしながら髪を長く伸ばしたり、ペニスや玉袋をガムテープで一時的に隠したり、といった方法で少しでも女性に近づくことです。より過激に原理主義的になると整形手術によって、顔立ちに手を加えるほか、ホルモン注入、乳房や女性器の形成などに突き進むことになります。翻って心的、内面的なアプローチとは、少女漫画やハーレクインロマンスを読んで心をときめかせたり、女優に感情移入しながら女性向けAVを鑑賞したり、女性向けメディアの発信する下世話な情報をせっせと摂取したり、といった方法で少しでも女性に近づくことです。さらにティーカップを持つときに小指が立っていたり、笑う時に上品に口元に手を当てたり、なよなよした身のこなしをしたり、何々なの、何々かしら、などといった喋り方をしたり、そういう男性が往々にして女っぽいと言われることからも分かるとおり、仕草や言葉遣いを女らしくする、それによって女らしい内面を形作る、そして女らしい内面が形作られることによってさらに、女らしい仕草や言葉遣いが自然になる、というやり方もあります。つまり心身両面にわたるアプローチです。身体と心、外面と内面は峻別できるものではありませんから、実のところ、先に挙げた身体的外面的なアプローチと心的内面的なアプローチもまた、それら両面にわたる作用があると言えるでしょう。もちろん現実の女性は様々ですから、仕草や言葉遣いが世間的な形容で言って女らしくない、あるいはむしろ男らしいと評されるような方もいます。外見内面の双方においても多種多様な女性がおり、世間に流通する女らしさというのは紋切り型の虚像にすぎないという面も多分にあります。さらにその場の性質や接する相手によって、女性自身も敢えてそうした女らしさを演じたり、装ったりもするでしょう。要するに十人十色であり、また時と場合によるというわけです。しかし目下の問題においては、現実の女性の様々なあり方よりも、むしろ紋切り型の虚像の方に近い、いかにもな女らしさこそが重要なのです。つまり、女子会に参加したい男が鏡の中に見るべき、己の内に取り込むべき女というのは、多くの女性に共通する身体的ないし外面的な特徴、あるいは世間に流通する心的ないし内面的な女っぽさであって、現実の女性の多様性に広がっていくようなものではありません。むしろ出発点が男だというハンデがある分、そのいかにもな女らしさをさらに、分かりやすく先鋭化させたり誇張させたりするくらいでないと、女らしさを獲得できないとさえ言えます。なぜなら女子会、それは日々世界各地で催されており、その集合としての女子会ともなれば巨大な規模になるわけですが、時空間に蔓延るその巨大な女子会というマジョリティに対して、それにどうにかして参加したい男というのは厳然たるマイノリティであり、マジョリティがその場において自らの属性をさほど意識せずにいられるのに対して、マイノリティというのは自らの属性、とりわけある観点に立った場合に重荷となる負の属性をどうしても意識せざるをえない。そしてこの場合の負の属性とは女子会に参加できない自らの男という属性、換言すれば女としての属性の欠如であって、その欠如を満たすには、分かりやすい女としての属性を、ある意味では戯画的といってもいいくらいのやり方で、血肉と化していく必要があるからです」
 力強くそう言い切った直後、早乙女は股間のフェイクペニスをレザービキニの輪っかから手早く取り外したかと思うと、それを勢いよく振り回してから足もとに叩きつけ、さらに思いきり踏みにじった。客席の男の幾人かが、まるで自分たちのペニスがそうされたかのように顔をしかめ、股をきゅっと閉じるようにして身を竦ませた。赤々と灯っていた亀頭は取り外された際、その光を失っていた。
「しかしながら、たとえどんなに、どんなやり方で女に近づいたとしても、男は男であり、従って女子会には参加できません。繰り返しになりますが、参加した途端にそれは女子会ではなくなってしまうからです。ところがまた一方で、たとえ性転換手術を受けたり、あるいは身体は男のままでも、参加する女子会の成員に完全に女と認知されるまで女心を獲得できたりしたとして、つまり女になれたとして、その上で女子会に参加したら、それは女のみの参加する単なる女子会であり、やはり男が女子会に参加することにはなりません。男のままでは決して女子会に参加できず、男から女になったら女子会に参加する男ではなくなってしまう。私はこれを女子会のパラドックスと呼んでいます。どう足搔いても男は女子会に絶対に参加できない。とてつもない絶望が我々の前には横たわっているわけです。どこにもウルトラCなど存在しない」
 項垂れて重々しく口をつぐんだ瞬間、早乙女を照らすスポットライトが弱まり、周囲の暗がりが色濃くなった。そしてほぼ同時に、背後のスクリーンに「ウルトラC」という毛筆フォントの文字が浮かび上がり、次いでその言葉の上に容赦なく×印が付けられた。十秒ほどの間、早乙女はそのまま悲しげに黙りこくり、それからふっと顔を上げて、聴衆に向かって優しい諦念を湛えた微笑みを浮かべながら、それぞれの手で左右の乳首をつねり、それを限界まで引っ張るような仕草をみせた。
「少し個人的な話をさせてください。私は五歳の頃、宇宙飛行士に憧れていました。無限の宇宙空間の壮大さに幼心にロマンを感じていたのです。しかし理系の大学生となった頃には、ミジンコの研究をしていました。ミジンコというのは、我々人間からすると驚くべき不思議さをそなえた生き物です。基本的に雌ばかりで無性生殖をする、つまり雌が雌を産むわけですが、水質が酷くなるなど、環境が極端に悪化すると雄を産み、そうして有性生殖をすることで、過酷な環境にも耐えうる卵を産みます。ところが少し前、日本に生息するミジンコは有性生殖をしたことがないという驚きの発見がなされました。みんなずっと雌です。雄とは全然交わっていない。要するにずっと女子会ばっかりやってきたわけです。そうするとどうなるでしょうか。無性生殖というのは簡単に言ってクローンの連続なわけですから、遺伝的多様性が生まれません。そうなると千年単位とかの長い期間でみた場合、やがて絶滅してしまうと言われています。女子会ばっかりやっていては駄目なんです。これが、必要なんです」
 早乙女はおもむろに足もとのフェイクペニスを拾い上げ、それをまたレザービキニの輪っかに装着した。そして根元のスイッチか何かを操作して、亀頭のLEDをふたたび情熱的に赤く灯らせた。
「もう一度、本当の女子会の話をしましょう。実をいうと、この世には女子会というものは存在しません。驚かれるかもしれませんが、これは真実です。なぜでしょうか。それはさきほどの女子会のパラドックス、男と女の排他性から自然に導くことができます。男と女は混じることができない、ということは、男がいるから女がいて、女がいるから男がいる、ということになります。となると、男がいないと女はいないのであり、従って女しかいない女子会には、女はいない、ということが帰結されるのです。もちろんさきほど言ったとおり、男が参加したらそれは女子会ではありません。かといって、女しか参加しないとしても、それは女子会ではないのです。この世には女子会というものは原理的にありえないのです。これが女子会のパラドックス、ヴァージョンⅡです」
 早乙女は「ヴァージョンⅡ」と言うのに合わせて右手の二本指を立て、それからその人差し指と中指を限界まで広げてみせた。
「この人差し指を女、中指を男としてみましょう。この二人が一緒に飲み会ないし食事会をする。するとそれは当然、これまで語ったことに基づき、女子会ではありえません。しかしこの時、男がいることによって女は女となり、女がいることによって男は男となる。するとそこには、日本のミジンコとは違う、男と女という多様性の第一歩が生まれています。そして皆さん、ハーモニー、調和というものを想像してください。調和というのは異なるものが美しい釣り合いを保つこと、響き合うことによって生じます。今、客席の皆さんは総じて節度のある服装をなさっていらっしゃいます。しかし私はというと、決して褒められた格好ではありませんし、ことによると……」
 早乙女はレザービキニの腰に手をかけ、くるりと背を向けるなりそれを大胆にも脱ぎ下ろして、左右の足をすばやく抜き、全裸の後ろ姿を見せつけた。脱いだものを傍らに投げ捨てると同時に、カシャッとシャッター音がして舞台奥のスクリーンにモザイクのかかった早乙女の股間が大写しになり、客席から息を吞むような声がひっそりと漏れた。
「もっと褒められたものではない格好になることもあります」
 そして早乙女は後ろ姿のまま両脚を肩幅より少し大きく開き、深々とお辞儀をするように腰を折って、亀頭と玉袋の覗く股の間から顔も覗かせ、逆さになった客席を見渡した。
「今、この突然の天地がひっくり返った視界からそちらへ向けて、女性の方限定でお訊ねします。これから私とハーモニーを奏でたい方、つまり飲み会ないし食事会を共にしてもいいという方、迷わずに挙手願います。参加いただいた方には漏れなく、特製巨根キーホルダーを進呈いたします」
 三十秒ほど、早乙女はその姿勢のまま微動だにせず客席を逆さに見渡していたが、水を打ったように静まり返った聴衆の中、挙手する女性は一向に現れなかった。
「どなたか、いらっしゃいませんか? どなたか?」
 切実に他者を希求する澄みきった声が響き渡り、まるで誰かが挙手するまでのカウントダウンのように、スクリーンのモザイクをなすブロックがひとつずつ、あちこち飛び飛びに鮮明な画像に切り替わっていくのだった。それにつれて舞台の袖に、制服を着た警官たちの姿がちらちらと見え始めた。彼らは数人で飛びかかる機会を窺っているらしく、そのうちの一人の婦警が正義感に満ちた顔つきで、片手に物騒な手錠を携えていた。
「どなたか、いらっしゃいませんか? どなたか!」
 次第に切迫感を増す声に聴衆の心臓が高鳴り始めていた。
 

イラスト:椋本サトコ

 

 

木下古栗『生成不純文学』発売中!!

生成不純文学

次回は5月17日(水)に掌編を更新予定です!

Writing

木下 古栗(キノシタ フルクリ)

1981年生まれ。2006年に「無限のしもべ」で第49回群像新人文学賞を受賞。著書に『ポジティヴシンキングの末裔』『いい女vs.いい女』『金を払うから素手で殴らせてくれないか』『グローバライズ』がある。

閉じる