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物語を愛するすべてのひとたちへ-小説すばる

人間界の諸相 木下古栗 掌編連載

アメトーク読書芸人で取り上げられ注目を集める木下古栗。
ナンセンスの極北を描く鬼才による初の掌編連載。(ときどきエッセイも公開。)

次回は6月16日(金)に掌編を更新予定です!

黒い交際(censored)

 菱野時江はワンピースのドレスにボレロを羽織り、優雅な身のこなしでタクシーから降りると、歩道沿いのコーヒーチェーン店「ベローチェ」に入っていった。いらっしゃいませ、と二人の女性店員の美声に出迎えられながら、BGMとして控えめなピアノジャズの流れる店内をざっと見渡す。すると奥まった二人席のこちら向きの椅子に座ったまま、短く刈り揃えたごま塩頭の、サングラスをかけた褐色の肌の男がにこやかに片手を挙げた。時江もにっこりと微笑んで、小さく手を振りながら近づいていった。
「バ●ク、久しぶり!」
「こちらこそ久しぶり、トキエ!」
 すらりとした背格好のバ●クはすっくと椅子から立ち上がり、サングラスを左手で外すと、嬉しそうに目を輝かせて右手を差し出した。時江も汗ばんだ手のひらをドレスの太腿を覆う辺りでちょっと拭いて、同じ手を差し出した。二人はがっちりと握手を交わした。
「ちょっと先に、飲み物を注文してくる」と時江はカウンターの方を指さしてから、テーブルの上のマグカップに視線をやった。「バ●クは抹茶ラテを飲んでるのね」
「ああ、ベローチェの抹茶ラテは最高だよ。味も良いし値段も本当に良心的」とバ●クは親指を立ててみせた。「自分の国のチェーンだからあんまり悪く言いたくないけど、ここだけの話、スターバックスなんて行く奴の気が知れないね」
「あら、大統領を辞めて売国奴の本性を隠さなくなったのね」
 時江は茶目っ気たっぷりに皮肉めいたウインクをくれて、注文カウンターの方へ歩き出した。バ●クは快活に笑いながらまたサングラスを顔にかけた。
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 時江がマグカップの載ったトレイを運んできて着席すると、バ●クはサングラスをちょっとずらして、その中身の褐色の液体を覗き込んだ。それは普通のブレンドコーヒーよりも若干、色が薄く見えた。
「時江はアメリカン?」
「うん、濃いコーヒーは苦手なの。というか、アメリカンって知ってるのね」
「ああ、日本生まれのアメリカンだろ?」
「そう、和製英語でね」と時江は微笑んで相鎚を打ち、トレイに添えてきたコーヒーフレッシュを手に取って、シャンパンゴールドのマニキュアの塗られた指先でその蓋を剝がした。「バ●クは……ケニア生まれだっけ?」
「いや、ハワイだよ。親父がケニア出身」
「ああ、そう言えばそうだったわね」と時江は思い出したように小刻みに頷き、左手につまみ持った小さな容器の中の、乳化された植物性油脂をアメリカンコーヒーに流し入れた。少量の白がたっぷりの褐色と混ざり合わさった。「たしかお母さんが白人?」
「ああ、でももしかしたら、母方の先祖には宇宙人もいるかもしれない……」
 バ●クは急に深刻な表情になり、小さく手招きをすると、ぐっと前のめりになって「エリア51って知ってるか?」とひそやかに囁き、誰かに聞かれてないか警戒するように左右にすばやく目を配った。
「アメリカが二〇世紀、一国だけあんなに繁栄して世界の覇権を握ったのには何か裏があると思わないか? 俺も在任中は世俗の雑事で忙しくて詳しくは調べられなかったんだが、どうも開拓時代から少しずつ、宇宙人が移民してきてたらしい。ケロッグのコーンフレーク、マクドナルドにKFC、大戦後のハリウッドや音楽業界、IT革命以降のシリコンバレー……全部宇宙人の仕業だと考えるとしっくりくるし、政界に関しても、かのケネディはかなり知性の高い宇宙人のブレーンを抱えていて、そいつに逆らったから暗殺されたっていう話もある。たぶんドナルド・トランプももう本人は死んでいて、今トランプをやっているのは本当は宇宙人だと思う。でないとあんなアニメキャラみたいな奴が当選するはずがない」
「ちょっとバ●ク、そういうのは国家機密じゃない?」と時江はそわそわしながら小声でたしなめた。「抹茶ラテを飲んで落ち着いて」
「ああ、すまない」とバ●クは肩でひと息つき、抹茶ラテを口にした。「でも、TPPがひっくり返されたのは保守派の宇宙人が自由貿易が銀河レベルまで広がるのを恐れたっていう見方もあって、結構信憑性が高い気がするんだ……」
「ありえない話じゃないわね、今のうちに抑えとけばってことでしょ?」
 時江はにわかに思案を巡らせる顔つきになりながら、温かいコーヒーを一口啜った。それからしばらくの間、二人は隠された真実を詮索する話に夢中になった。

「やだ、もうこんな時間……」と時江は小一時間後、腕時計をちらと見て驚きの声を発した。マグカップのコーヒーはもう底から一センチほどしか残っていなかった。「そう言えば聞きそびれてたけど、何で急にお忍びで日本に来たの?」
「ああ、実はしばらく、この国で暮らそうかと思ってるんだ」とバ●クは言った。「仕事も見つけてある」
「えっ、バ●ク、日本で働くの? どんな仕事?」
「実は……」とバ●クは答えかけて口ごもり、おもむろに舌先で唇を湿らせてから、意を決したようにまた口をひらいた。「ビデ倫で働こうかと思ってる」
「ビデ倫って……あのAVの、モザイクとかの審査機関の日本ビデオ倫理協会? でも、たしかもうビデ倫はなくなったんじゃなかった? かなり前に修整が甘くなって摘発されて、その後は別の団体になったとかで……」
「ああ、今は日本コンテンツ審査センターっていう社団法人が最大の審査機関で、そこで大半のAVが審査されてる。ところがここだけの話、そろそろ日本でも無修整を解禁しようっていう水面下の動きが極秘にあって、そのためにビデ倫を復活させて公的機関としてお墨付きを与え、そこの初代トップに変革の象徴として俺を据えようってことになったんだ。企んでる官僚と超党派の議員連中の話では、モザイクを外す代わりに直視税っていう新しい税金を導入して、成人した国民全員に均等に負担させる計画らしい。どうやらそれを財源に子育て世帯を強力に支援するっていう寸法みたいでね。成人年齢を引き下げようとしているのも実のところ、先手を打ってその課税ベースを広くする狙いがある。もちろん実情はポルノ税なわけだから本当はコンテンツの値段に反映させるべきなんだが、ネットに違法アップロードされた無料動画を鑑賞する無法者ばかりというのがこの国の実態だから、そこはやむを得ない。それで昔のビデ倫はちゃんとモザイクがかかってるかどうかを審査したわけだけど、今度はちゃんと無修整になってるかどうかを審査する。さらに挿入中に男優のケツばかり映す作品も厳しく取り締まる」
「それはこの国の文化にとって、何よりも大きなチェンジになりそうね……」
 時江は興奮を帯びた声でつぶやき、まだ信じられないという面持ちでごくりと唾を飲み込んだ。バ●クはふっと微笑みを漏らした。
「ああ、在任中にPRISM(アメリカ国家安全保障局の通信監視システム)の件でビッグ・ブラザー呼ばわりされたこの俺が、今度は監視や検閲じゃなく、むしろ解禁に携わることになるとは皮肉だよ。でも、この国のほぼ完璧な銃規制や国民皆保険制度にかねてから憧れと尊敬の念を抱いてきた俺としては、前からモザイクだけはどうしてそんな前近代的なことをするんだろうって遺憾だったから、それを撤廃することに関われるとしたらこれ以上の喜びはないと断言できる。これまでの歴史を変える、本当に遣り甲斐のありそうな仕事だよ」
「でも……本当に変われるかしら?」と時江は不安げにつぶやき、おもむろにマグカップを手に持って、残りのコーヒーを飲み干した。「長年にわたって無益でおぞましい隠蔽に固執してきたこの国が、無修整っていう変革を受け入れられる? 真実を直視できる?」
「YES, YOU CAN!」
 バ●クはそう力強く答え、微笑んでポケットから取り出した携帯端末を操作すると、画面いっぱいに自撮りの勃起したジュニアを映し出して、それを躊躇いなく時江の眼前に突きつけた。その勢いで一瞬、ささやかな自由の風が吹いた。
 

イラスト:椋本サトコ

 

 

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生成不純文学

次回は6月16日(金)に掌編を更新予定です!

Writing

木下 古栗(キノシタ フルクリ)

1981年生まれ。2006年に「無限のしもべ」で第49回群像新人文学賞を受賞。著書に『ポジティヴシンキングの末裔』『いい女vs.いい女』『金を払うから素手で殴らせてくれないか』『グローバライズ』がある。

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